過去の名ボカロ曲をレビュー part9(+コラム:たまには自分の曲について語ろう)
ニコニコ動画が復帰して2か月近くが経ちました。一時停止のダメージは残りつつも徐々に日常を取り戻しつつあるところでしょうか。だいぶ戻ったなというところもあり戻らないところもありですが、続いていく以外無いということで今日も相変わらず新曲を作ったり聴いたりしています。
しかし何も淡々と続いていくわけではありません。今も相変わらず、いや全てが始まったあの時よりも楽しみ方の幅が増えているところです。聴くにしても作るにしても意地を通してきてますます色々なものが良くなってきた感覚です。というわけでどういう意地をやってきてるのか、たまには自分の曲について書いてみたいと思います。
そもそも自分はセルフライナーノーツの類を読むのが好きで、印象に残った文章と言えば、ユーミンの「ひこうき雲」とか佐野元春「SOMEDAY」、BO GUMBOS「BO & GUMBO」、小沢健二「犬は吠えるがキャラバンは進む」、BL.WALTZ「モノクロームの冒険II」などなど挙げてみれば枚挙に暇がないです。今後も機会を作って書いてみたいなあと思いつつ、今回は現時点の最新作「可愛いだけで17年!」について書いていきます。
まずこの曲の制作に取りかかった時の仮タイトルは「狂乱の合成音声十七年紀」。これはメトロファルス「マラスキーノ伯爵の大快楽園」という世紀の大奇曲にかなりインスパイアされたもので、この仮タイトルの通りもっとカオスで歴史もの的な内容にするつもりでしたが制作しているうちに割と普通のアイドルものの歌詞になったので最後の最後に「可愛いだけで17年!」に改題した、という流れです。仮タイトルの方も癖が強すぎる気はしますが、結構気に入ってはいるのでいつかこれでちゃんと曲を作ってみたいなあとも思うところです。
曲そのものの最も大きな影響元はアニメ「それでも町は廻っている」の劇中歌「そうは云っても世界は終わらない」です。
作詞作曲伊藤ヨタロウ、編曲演奏メトロファルスということで実質的にメトロファルスの曲と言えます。とにかく最近の自分の曲はメトロファルスからの影響をどう落とし込むかというところが大きなウェイトを占めています。シンプルに音楽の根源的な面白さを感じさせてくれるメトロファルスこそが今の音楽周りに必要なものと確信しています。もちろんこの曲以外にも「LIMBO島」「俺さま祭り」「東京暮色」「蒼空のチリアクター」など様々な曲をベースにしています。
さらにより煌びやかなポップさを滲ませるために影響を受けたのはELO「On the Run」です。
参考にしたというよりは、今年の初め頃に本曲収録のアルバム「Discovery」を久しぶりに聴いて、あまりにも耳に染み付いていたことを自覚した、という方が近いかもしれません。相当昔に聴き込んだだけあって知らないうちにかなりの影響を受けすぎていたことに気づいていませんでした。恐ろしいことです。自分のブリティッシュな感覚のルーツはどうやらここだったようです。基本的にこのメトロファルスとELOを掛け合わせたようなメロディーを基礎として、結構入り組んだ出来に仕上がっていてかなり気に入ってます。
「君はまだ~」から始まるBメロはもちろんCurtis Mayfield「Tripping Out」です。
定番のリズムだけあって色々な同リズムの名曲が歴史の端々に存在しています。山下達郎「甘く危険な香り」、小沢健二「天使たちのシーン」、米津玄師「フローライト」などなど。シティポップのリバイバルが流行り始めた辺りから必ずやこのリズムとコード進行(いわゆるJust The Two of Us進行、あるいは丸サ進行と言った方が通りが良いかもしれません)を用いたTripping Outを現代版に書き直したようなヒット曲が出てくると考えていましたが終ぞ現れませんでした、と言っていいでしょうかね。まだ間に合うと思うので誰かやってくれないかなあと思いつつ、自分的な回答はこういうBメロで繋ぎを演出する形になりました。
サビはここ最近はシンプルな定型のコードの上でどんなメロディーを乗せるかをテーマにしていて、今回のようにこういう凝ったコード進行にするのはかなり久しぶりです。そもそも凝ったコード進行にすれば簡単に独自性を出せるのでむしろ定型で作る方が難しくてそっちに興味が移っていたんですよね。しかし今回はコード、メロディー両方使ってしっかり作り込もうというわけでやってみました。
影響というならばやはり816「この世界に花をうえて」があまりにも大きいでしょう。
あまりにもドラマチックで感情を喚起するコード進行。好事家から幾度となく言及され続けてきた曲であり、これからも幾度となく言及され続けるであろう究極のロックバラードです。コードの動かし方にかなり影響を受けています。
最後に歌詞について。言ってしまえば書いたままのことから読み取ってくれれば良いので語りすぎるのも野暮かなという感もありますが、ここというポイントはあります。
割とポジティブな感覚も含んでいる内容ですが、一方で最もフォーカスしたニュアンスは無力感です。何かを成し遂げたとしても、成し遂げないにしてもそれで一体何が変わるのか?という。それが最終的にタイトル「可愛いだけで17年!」に落とし込まれているわけです。しかしそれでも好きなことや信じたこととは無縁でいることはできないので、詞の語り手は結局同じようなことを繰り返してしまうオチになっています。この辺りはThe Who「Won’t Get Fooled Again」からの影響が大きいのかもしれません。Won’t Get Fooled Againというタイトルは素直に訳せば「もう二度と騙されたりしない」となりますが、その歌詞は革命を起こしても結局また同じことの繰り返し、というような内容になっています。Won’t Get Fooled Againと言いながら人間はまた同じことを繰り返さずにはいられない、という歌詞だと個人的に解釈しています(革命を否定する歌詞だと解釈されることがたまにありますが、それは安易、踏み込んで言えば誤りであると思います)。
こういったテーマは過去作の「27」「39」「合成音声上位時代」とも共通しています。無力感の中で信念をどうやって貫き通すか、それぞれ別の形で表現しています。この信念を貫くことについてはスティーヴン・ミルハウザー「アウグスト・エッシェンブルク」という中編小説から多大な影響を受けています。からくり人形師の成功と挫折を描いた本作は、全ての創作者に読んでほしいと思わせるほどの重厚な情念に塗れた物語です。運命とは何か、仕組まれたかのように続く歴史の流れに圧倒される以外ありません。移り気な社会の中で、主人公は少年時代にくすんだ緑色のテントの中で見たぜんまい仕掛けの手品のことを決して忘れることはありません。要するに自分の歌詞は全てこのことについて書いていると言っても過言ではありません。
こう書いてみると、本作「可愛いだけで17年!」は入れようと思った要素を上手く盛り込むことができた集大成的な作品であると感じます。とりあえず名刺代わりとして聴いて貰うのも良しであるくらいにはしっかり仕上がりました。まずはこれを聴いてください、という風に思っています。
相も変わらずこうして音楽を聴き音楽を作っているわけですが、ペースの変化はあれど全く止めようという気にはなりません。アイデアもまだまだあるので当分続いていきます。自分にとって音楽は呼吸とか食事とか生命維持に必要なものとは全く異なりますが、大体いただきますとかごちそうさまみたいな挨拶のようなものです。別に無くても重大な困難に陥ることはないと思うのですが、生きていく上で必ず関わり合いになるもので、それによって生活の流れが構築されていきます。そしていただきますもごちそうさまも必ずしも言わなくてもいいものです。音楽がなければ生きていけないとかとは露ほども思いませんが、これからも自分の意志でいただきますやごちそうさまと言うように、惰性になることなく自ら音楽と関わり合いになっていきたいものですね。
というわけで本編です。
コンパクトにより濃くお送りしたいですね。
【初音ミク】アポトーシスプラン【オリジナル】 作:betchaさん
まさしく80年代UKインディーシーンを原点とするギターポップの渋谷系的経過を辿った、揺らめきながら骨太なロックチューン。渋谷系と言えば何やらお洒落でマエストロ的で、さらには近年のアニメソング的感覚の流入などによってポップスとしてのイメージが強くなっているところのように感じるが、原初の一つであるフリッパーズギターがそうであるように、ポストパンクのニュアンスも無視できない。Venus PeterやSpiral Lifeなどがより90年代風にブラッシュアップしていったのと同様に、本曲もギターポップ系列の渋谷系周辺楽曲のような形で現代的に昇華した快作。コードも展開もコロコロを変わっていく中で、SFチックな難解な歌詞が広がる。入り組んだコーラスと絡み合うギター、ぐねぐねと異様に動き続けるベースがカオスな空間を作りつつ徹頭徹尾キャッチー。一聴して展開を追っていくのは不可能に近いが、理解よりも先に圧倒されること請け合い。忘れられたかに思われた90年代以降のポストパンク的ギターポップの究極の形はここにあった、そう思わせる到達点である。
【初音ミク】石油【オリジナル】 作:佐々木Kすけさん
ブルースは定型の音楽。定型のコード進行や定型の十二小節、ブルーノートスケールやシャッフルビートなどの要素があり、馴染みのない人にとっては堅苦しさを覚えるかもしれないほどの独自の形式を持っている。一方でそれぞれの要素がジャズやロックンロールに大きな影響を与えそれが今日のポピュラーミュージックに繋がっているため、音楽の歴史を辿るうえでは無視できないジャンルの一つでもある。ただ、ブルースが音楽史にとって最も重要だと言える要素は音楽的な要素の方ではなく、”blues”という名称の通り、憂鬱や日常における哀愁などをテーマにしたその精神性の方であると個人的に考えている。それがボブ・ディランであったりヒップホップへ繋がるなどして、音楽というものがある意味単なる娯楽を超えた過剰な社会性を獲得した契機の一つであると思う。そこを言うと本作は伝統的なブルースに則りながら接客業の哀愁をリアルに表現した、まさに現代に蘇ったブルース。合成音声音楽シーンはそれぞれの生活の中にありながら存在し続けているということをブルースの伝統とリンクして表現しているかのよう。おかげで堅苦しさが薄れており、ブルースがよく分からない方にも分かりやすくなっていることは間違いない。
緑のスープ 作:キヅミタさん
合成音声音楽史における屈指の奇曲の一つ。へなへななサウンド、へなちょこで全く凄みの無いメロディー、たどたどし過ぎて不安になる初音ミクの声、終始意味不明な歌詞。緩いメロディーに合わせて、恐らく禄に調整されていないボーカルが妙なリアリティーを生む。原始的なDTM的安っぽい音源とシンセポップ的ニュアンスにありながら心地よく外れる音。あまりにもしっかり狙った上での結果であるように感じられるし、コンセプトとしての完成度に恐れ戦くしかない。それら全てが合わさって生まれる”緑のスープ”という謎の概念が意味深なようでいてあまりにもナンセンス。音楽と言えばもはや社会性とは切っても切れない文化となっている中で表明されるこのスタンスこそが本楽曲で最も尖った部分。こういう音楽と同じ時代に生きて出会えたことが音楽好きとしての至上の幸運であると感じる。みなさんも緑のスープが好きな子供たちになってみませんか?さよなら緑のスープを食べられなかった子供たち。
次回:過去の名ボカロ曲をレビュー part10の記事(まだ)
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