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#教科書に載せたい建築の名文 ──建築意匠講義|香山壽夫

「ロンロさん、おすすめの建築本教えて下さい」

編集者という立場で建築に関わるコンテンツ制作に携わっていると、このような質問をよく受けます。
それに対する回答に正解はなく、その人がどの程度建築について知っているのか、いままでどんな本を読んできたのか、そして次なる好奇心として何を求めているのかによって、答えは変わってきます。
またトンチンカンな回答をして信頼を損なうのも嫌ですし、いきなり難解な本を紹介したことでせっかく建築に興味をもちつつあったその人を建築嫌いにさせてしまうのも嫌。
したがってその都度ヒアリングをしつつ、相手が知りたそうな情報についてズバリ書かれた本を僕が知っているという稀有な状況にのみ、具体的な書籍名を伝え、あとはもっともらしい理由を並べてはぐらかすことが多いんですね。

そんななか、この本は結構守備範囲広いじゃないかな、と感じた本をご紹介したいと思います。
香山壽夫著『建築意匠講義』です。

守備範囲が広い、と書いた意図は、帯に書かれたコピーを読んで頂くとわかるかと思います。

人は何によって建てるのか
建築を見る楽しさ 建築に住む喜び 建築を創る興奮を 建築を学ぶ人 建築を愛する人 すべての人に向かって 平易な言葉と 豊富な実例によって語りかける。 東京大学における 講義の集大成。

帯にある通り、本書は「すべての人」に向けて書かれた建築の本です。
大学の建築学科に入ると、先生から「必読書」のリストを渡されたりしますが、これはあくまで建築を志す人が読むべき本であって、建築にちょっと興味がある、という人が読むには専門的すぎる場合が多いです。
また建築の通史をざっと理解できるような、比較的薄めの建築史の本なども初学者には勧められがちですが、いきなりお勉強から入るのも、個人的にはもったいないような気がしています。

その点本書は、「建築ってこんなに奥が深いものなのか!」「建築家はこんなことを考えて設計しているのか!」という驚きを読者に与えることを主眼としていて、まずはその魅力に親しんでもらうために書かれたものです。
著者の想いがあとがきに記されています。

社会的芸術、あるいは共同的芸術と呼ばれる建築芸術の意味をよく理解し、その面白さをより深く愛することは、私たちひとりひとりの感覚と精神を、豊かにするだけでなく、私たちを互いに結びつけているはずの秩序を、より明らかで、より強いものにしていると信ずるからである。

この本は、東京大学の建築学科で著者が実施した同名の講義を書籍化したものです。
2年間の一般教養課程を修め、いよいよこれから建築を学問として学びはじめる、まさにその序章として設けられた講義は、「すべての人」が理解できる平易さと若き有志者たちに建築の魅力を伝えようという意気込みに富んでいます。

自らも建築家として数々の作品を手掛けた著者は、本講義を書籍化するにあたり、構想10年、実質的な執筆期間も5年という歳月を費やしています。
全12回にわたる講義は、建築の歴史を追う教科書ではなく、本書がテーマにする「意匠(工夫を凝らす)」を切り口に、古今東西の建築家が施した工夫とそれによって生まれた効果を検証する内容になっています。
各回それぞれ、建築を語る上で普段何気なく使っているキーワードを問い直し、実例を通して「いまあるべき」姿を定義しなおしていきます。
たとえば、第1回「空間について」の講義では、空間という概念について、著者自身の体験から話が展開されます。

私は、アメリカで学生だった頃、インディアンの集落の遺跡を訪ねた時、日が暮れて砂漠の真中にただひとり野宿した時のことを思っています。(中略)むきだしのちっぽけな自分が、拡散して消えていくような不安を感じました。そして何か、自分を囲い、大地に定着させるものがあったら、と思いました。そうです、その時私は、建築の生みだされる瞬間に立ち会っていたのです。

そうして本能的に建築を求めた著者が、空間を規定する建築の役割について、原初的な建築の誕生から現代にいたるまでどのような空間の規定の仕方が行われてきたのかを紹介していきます。
さまざまな実例を、自分の論を都合よくまとめるために表層的に引用するのではなく、その例が示す特徴を分析し、その背景にどのような欲求が隠されているのか、紐解きながら、その素晴らしさを称賛し、なおかつ現代においては同じ方法をコピーしてもダメだということを綴っていく。
信頼の置ける筆致だと思います。
さらにその態度は、設計に携わった当事者として自作を紹介する際にも貫かれています。

…囲いのスケールやプロポーションは、一応うまくいったと今も思っています。しかし、肝心のクヮドラングル(注:中庭)を囲む壁が固すぎたことが大きな反省点です。ここには、もっと空間が内外を行き来できるような、透過性を与える必要がありました。空間は、決して図式、ダイアグラムのみでは成立せず、具体的な細部に支えられて初めて完成することの良い教訓です。 ※九州芸術工科大学キャンパスについての言及

その誠実さにやられてしまうのはきっと僕だけではないでしょう。
建築家が設計論を書く場合、過去の建築の引用は多くの場合自らの論の正しさを補強するために用いられ、また自身の作品をわざわざ貶めることも稀です。
本書で文中に引用されている実例はいずれも著者が感銘を受けた建築でありながら、その素晴らしさと同時に課題も提示していくことで、読者に考える余地を残す、それが本書の懐の深さにつながっています。
あるいはそれは、あまりにも語るべきことの多い「建築意匠」をたった12回の講義で語らなければならない、そのプレッシャーによる逡巡の跡なのかもしれません。

冒頭で述べた本書の「守備範囲の広さ」を僕はそこに感じています。
これから建築を学ぼう、建築について知りたい、という人はもちろんのこと、一通り建築の歴史を学んできた人、実務で建築に携わっている人にも必ずそれぞれにとっての発見が隠れている、名著と呼ぶに相応しい一冊なのではないかなと。
僕自身大学3年生の頃に本書を読み、それから随分経って自ら建築のコンテンツ制作に携わっているいま、改めて読み返してそう感じました。
次に誰かに建築のおすすめ本を聞かれたときは、とりあえず本書を差し出してみようと考えています。

建築意匠講義 目次
第1回 空間について──住むことと建てること
第2回 部屋について──中心と囲い
第3回 部屋の集合について──囲いと共同体
第4回 窓について──空間と光
第5回 続 窓について──光と闇
第6回 入り口について──開くことと閉じること
第7回 場所について──地形と記憶
第8回 表象について──住むことと表すこと
第9回 モティフについて──支えることと囲うこと
第10回 意匠について──闘争と一致
第11回 分解について──還元と狂気
第12回 秩序について──創作と時代性


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