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Choose Your Future in OUJ 始動  ~放送大学「縦の旅行」の先~

 私は放送大学大学院を卒業したのち、学部生として入りなおして勉強している。

 なんだかんだ言って私は一度いわゆる18歳から大学に入るという「マジョリティ」なルートを通ってきたため、放送大学という仕組みがあることを知った段階では「今から大学院で修士とれるんだ」という程度の認識だった。

 大学院の修士課程に入り、ゼミの仲間と知り合うことになった。そこの仲間たちは向学心にあふれていた。彼らとは今でも付き合いがあるが、おそらくほかの社会人大学院などとの違いとして、「一銭の得にもならなくても勉強したい。」という人たちの割合が高いと思う。一方で、なんだかんだ言って「それなりに一定の生活水準を確保することに成功しており、その余力の部分を生かして研究しに来た」人が多く、なんだかんだ言って生活水準・社会に出るまでに受けてきた教育水準・社会的地位などなどは「中の中以上」の人が多かったと思う。

 彼らに引きづられるように自分の体と脳みそに鞭を打ち、何とか修士論文を書き上げた。自分の研究分野は社会科学であり、当時は「貧困」とか「貧困の再生産」といった言葉が流行っていた。(親ガチャを「品のいい言葉」でくるんだようなものである。)そういったことについて論じていくなかで、「家庭の事情で大学に行けなかったのなら働きながら放送大学を頑張って卒業し、大卒になって転職するなりいい仕事に就けばいい」という意見が散見された。一応「理屈としては」可能なことはわかっていたし、「少なくともそういう希望があるからそれを支えていく仕組みを作るなりみんなで頑張るなりしよう」ということを考えてはいたのだが、自分が中学卒業と可能な限り同じ条件で放送大学卒業をやってみないと何ともできないと考え、自分でやってみることにした。手を付け始めたのが2015年のことである。

 その後、病気をしたりしながら少しずつ単位を取っていたものの、思うように進まなかった。しかしながら、昨年4月に人事異動というものにより職場の状況が劇的に改善し、心身ともにようやく「頑張れる状態」になったこともあり、本格的に卒業を目指すことにした。

 一方で、この放送大学という仕組み自体がもっと多くのことに使えるかもしれないと考えたこともあり、また、ほかにも自分が考えていることもあり、このNoteを始めた。同時にTwitterを始め、このルートから放送大学の学生とのつながりを得始めた。

 アタマではなんとなく予想がついていたものの、やはり様々な事情を抱えながら一歩づつ勉強をしている人たちとつながると感動がある。それは、今までの大学院の仲間たちとは異質なものである。基礎学力・体力・気力といった面では大学院の仲間たちのほうがずっと上かもしれない。しかし、病気を抱えていたり大変な目にあったり何らかの事情に学校に通えなかったりした人たちが一歩進んではもどり、また一歩進むという姿は感動すら覚えるものだ。

 過去に何があっても一歩ずつ進むことができる。そんな人たちとの緩やかなつながりを「一歩ずつ」作っていきたい。その企画を次の動画から、「Choose Your Future in OUJ」と名付ける。

 どんな運命が待っていたとしても自分の決めた道を信じて…