鹿島アントラーズの「発散と収束」
天皇杯に敗退。鹿島アントラーズの2022年無冠が確定した。
前回のブログで私が今の鹿島について「ムズ痒い」と感じていた所を正直に書いたので、今回は未来の話について少しだけ。
試合終了後のゴール裏
天皇杯の敗退が決まった試合後、鹿島のゴール裏と岩政監督がひと悶着あった様子がSNSで拡散された。大手メディアも取り上げた。
この悶着についてSNSでは色々と言われているようだが、私は「小さい頃から見てるカシマスタジアムの光景だ」と思った。
納得いかないので罵声をあげる人、悲痛な叫びを上げる人、叱咤激励の声をかける人、ブーイングをする人、それでも応援の声をあげる人。私はどの感情も理解できるし、間違ってはいないと思う。
それに反応して声を荒らげた岩政さんもまた、間違っていない。
「素晴らしい」とは言わないが、これがサッカーの一部だと私は思ってるし、カシマスタジアムの一部だと思ってる。
発散のタイミング
今年の結果、それに至る過程を見てきたサポーターが、昨日のゴール裏だけではなくSNSでもそれぞれ煮え切らない感情を吐露している。
今、おそらく鹿島アントラーズは「発散」のタイミングなのだと思う。
様々な立場の人が正直に思いの丈を述べる発散のタイミング。それくらい今年のチームは不甲斐ないし、それは選手もフロントも監督もサポーターも理解しているだろう。
私は、サッカーチームは「発散」のタイミングが無ければ継続的に強くなってはいかないと思ってる。
選手やサポーターそれぞれが我慢して地味にストレスを抱えて「良い所もあるから次頑張ろう」と無理くりポジティブになるのではなく、それぞれがしっかり吐き出す。伝える。ネガティブな感情をチームにぶつけ合う。
その「発散」を経る事で、次にチームが「収束」した時に以前よりも強靭な力を得る。
一番良くないのは、「発散」をする事なくチームから心が離れていく事である。(鹿島のファンには今、そのように心が離れている人もいると思う……)
鹿島の「発散」と「収束」
過去の鹿島アントラーズは節目節目で大なり小なり「発散」のタイミングがあったように思う。社会的に褒められた行為じゃないものが多いので、ここで言葉にするのは避けるが、そういうタイミングをいくつか経験してきたクラブだ。
そしてその「発散」の後に、クラブは節目節目で「収束」をしてきたのもまた、事実だ。
その収束はどのようにして行われたのか。
いわずもがなタイトルである。
鹿島アントラーズは、タイトルと勝利によって「収束」して、「発散」の悪い時期を何とか乗り越えてきた。
このチームはやはり、勝つしかないのだ。
昨日の試合後、改めてそう思った。勝つこと以外で収束する事は難しい。ロジックで収束するわけでも、情や情けで収束するわけでも、スター選手の存在で収束するわけでも、エンタメ性のあるサッカーで収束するわけでもない。
そういう土壌の上にきっと鹿島アントラーズはある。
他クラブとの比較
その上で「どうやって勝つのか」という道筋を立てようとする際、他クラブの過去事例が比較対象に挙げられる事がある。近年の川崎やマリノスなど。
あくまで私の見立てだが、その比較やケーススタディにはあまり意味を感じない。
前述の通り、鹿島の土壌は他のクラブと違いすぎる。どこかの大きなフットボールグループに所属しているわけでもないし、そのリソースに期待する事もできない。
過去の強化ノウハウは通用せず、力のある選手から選ばれるクラブでもなくなっているだろう。残っているのはジーコスピリットだけだ。
このチームはどこまでも土臭く、手を汚して汗をかき、納得いかない事には声を上げながら鹿島の道を開拓していくしかない。茨の道かもしれないが、右往左往しながら進んでいくチームを応援しようと思う。
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