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脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気①

1月24日に脳の右側が出血した。病名は右被殻出血。左半身麻痺となった。突然、全介助状態、つまり寝たきりとなった。
あれからもうすぐ5か月。今のリハビリ専門病院に転院してから50日も経っていない。
入院する時に、脳疾患の場合は150日入院することができると説明を受けた。前の病院でなかなか転院させてもらえなかったが、楽しくて良質のリハビリをすでに受けていたので、その分差し引かれると思っていたが、リハビリが回復期に変わるのでリセットされるという事だった。すごく得した気分だった。

しかし、私は100日以上のリハビリ入院の権利を手放し、明日退院する。先週、大好きな仕事に復帰させてもらえることが決まったからだ。私は派遣社員だ。病気になって一旦契約は終了した。同じ仕事が7月からあることは分かっていたが、復帰は難しいと思っていた。

その仕事が器用にこなせるわけではない。むしろ、出来が悪い。他の人と違うことをして、注意をされることもある。何より、遅い。「まだですか。」と電話がかかって来ることも数回。でも、誰よりもその仕事を楽しんでやっている事だけは自信があった。「仕事が楽しい。」メールでも、電話口でも思わずもらしていた。
今の病院で言語聴覚士(ST)さんのリハビリを受けていると、時々仕事をしている時と同じ気分になる。「楽しい、うれしい。」つい言葉に出るし、歌も歌ってしまう。そして、STさんがにこにこしたり、笑いのけぞったり(彼の癖である)しながら、「こんなに楽しそうにリハビリ受ける人、見たことない。」と、言ってくれる。

今回の職場復帰は私が仕事を楽しんでいることを理解しての、お試し採用だと思う。
脳疾患にかかり、再発して休んだり、今まで以上に作業効率が落ちる可能性がある私を元の場所に戻してくれる派遣元、派遣先、どちらにも感謝を忘れず、誠実に、さらに楽しんで仕事をしよう。

私が入院して最初の1ヶ月ほどは、自分で動けないということもあり、家や仕事の事務的な手続きを夫にやってもらうしかなかった。
夫が職場への連絡をしてくれたのはありがたかったが、私の意図とは違っていることを話したりしていて、訂正しようとすると、電話口で怒鳴られた。家に届く大事な書類は、手続きを忘れていることもあった。今まで書いていたように、サインしろとかハンコ押せという場面では、夫は内容を確認せずやってしまう。
彼に元々そういうところがあったのは事実だが、私が重病になったことで、心配でパニックになっていたせいだと思う。
私が車椅子で自分で動けるようになってから、少しずつ、家に届いていた書類を病室に持ってきてもらった。「暇だから」書類書いたり電話で問い合わせしておくね、と言うと、たぶん本人も一人でするのは不安だったのだろう、書類や手続きは私に全て任せてくれた。
もう、怒鳴ることはほとんどなくなった。きっと私にも、病気だから、やってもらって当たり前みたいな態度や言葉があったのだろうな。今は、何か持ってきてもらったり、何かの対応をしてもらう度に、チャットで、ありがとうと必ず書くことにしている。

退院に当たって、最初のハードルは運転免許だ。脳疾患にかかると、高齢ドライバーと同じように運転適性検査があるようだ。その結果次第では、免許取り消しになったり、免許内容に制限が加えられることもあるという。
まず必要になるのは、医師の診断書。

私は、軽く考えていた。こちらの病院に入院してすぐに、運転再開する予定があるなら、退院後に運転免許センターに行って適性検査を受ける事をお勧めしています、と言われた。そう言うのだから、診断書なんて、ポン、と出ると思っていた。しかしまず、所属する市の警察署に問い合わせすると、問い合わせ先と書いてあるくせに向こうがアタフタして、調べます、かけ直しますと言って30分後にかかってきた電話で、診断書は決まった書式があるから、それを入手して下さいと言う。ネットでダウンロードできないのですかと尋ねると、またアタフタ。なんじゃこりゃー。結局、運転免許センターに電話して下さいと言って電話番号を告げられた。リハビリの空き時間に運転免許センターに電話するとまた、アタフタ。担当者は離席しているから後でまたかけてと言われた。

次に来てくれた作業療法士(OT)さんにそう言うと、気になるだろうから、今かけていいよ、と言ってくれたので再び運転免許センターに電話してみると、やっと担当者の女性が電話口に出た。決められた書式の診断書の用紙を入手したいと言うと、今から15分ほどの聞き取りをして、診断書用紙を送るべきと判断したら、自宅に郵送します、と言う。横にいるOTさんに、15分…と言うと、彼女は「いいよ、でもその分リハビリは減るよ。」うわあ、それは避けたいと思ったところで、電話の向こうで、今何かしているところですか、と聞いてくれた。私がリハビリ中ですと言うと、明日でもいいですよ、と言ってくれたので、翌日にかけることにした。

当然、その後はOTさんは、いつものように時間を惜しんで猛迫力で、リハビリを施してくれた。肩の固くなった所を揉みほぐしながら、彼女は、私の担当医が脳神経が専門ではないリハビリ医だから、診断書はこの病院では出せないはず、と教えてくれた。えええ!「運転免許センターに行って適性検査を受ける事をお勧め」って言っておきながら、診断書出せない、ま、ま、まさかーっと思いながらスタッフルームの前を通ると言語聴覚士(ST)さん発見。そうだ、彼も免許センターに行くよう言ってた。相談してみた。OTさんの言う通りだった。脳疾患になったことで、運転が再開できるかどうかを診断してもらうので、脳神経外科か脳神経内科の医師の診断書が必要なのだ。

こんな時、救急車で運ばれた前の病院に行くのが普通だ。
でも、私は前の病院には行かないと決めていた。院長先生には正直に、もうこの病院に来たくないと打ち明けていた。
しかしながら。私はやっぱりラッキーな人だ。偶然、小学校の同級生が、脳神経外科クリニックを開業していたのだ。母親の様子が心配で検査に連れて行き小さな脳梗塞を発見してもらったこともあった。
前の病院の院長先生は、その病院に私が行きやすいように、脳出血を発症してからの全ての経過が分かるデータが入ったCDや書類の準備をして脳神経外科医の同級生宛ての手紙を付けて私に持たせてくれていた。

STさんからの情報で、この病院で運転免許に関する診断書はいただけないと知ってすぐに、同級生が院長をしている脳神経外科クリニックに電話をした。診察時間内であったが、普通、診察時間が終わると留守電に替わると思い、院長とお話しできる時間帯を聞こうとしたのだ。受付の人に院長とお話しできるか聞くと、運よく診察の合間だったらしく、院長である同級生がすぐに電話口に出てきてくれた。前の病院にいる間に少し事情を説明してあったので、今回の運転免許に関する診断書について、退院後診察をしてもらったうえで、すぐに作成してくれるという返事をもらえた。持つべきものは、同級生。その同級生が開業していることを教えてくれた、あまり交流のない同級生にも感謝。出会いはつながるもの。丁寧につなげていくものだ。

翌日、リハビリの空き時間に運転免許センターに電話をした。前日話をした担当の人の名前を言ってつなげてもらった。「聞き取り」だから簡単なものかと思いきや、まるで「取り調べ」だ。脳疾患犯という感じだった。運転免許センター内にあるものの、交通課の警察官らしいから、それも仕方ないか。発症時の事や、今の状態などかなり詳細に答える聞き取りだった。受け答えで高次脳機能障害の有無も確認している様子だった。15分ほどでようやく合格できたようで、自宅に診断書用紙を送ってもらえることになったが、診断書の内容次第では、オートマ車限定になったり、原付バイクの運転不可となったり、運転免許自体取り消しになる可能性も告げられた。

脳疾患となり、リハビリのおかげで歩けるようになって、5か月ぶりの社会復帰だ。道は険しい。さあ、第一ハードルを超えて歩き出すぞ。



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