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脳出血(*_*)、骨折(TOT)でも、歩こう④

4月27日の朝、大腿骨頸部骨折の手術の翌日、私は優しい二人の理学療法士さんに助けられて、立ち上がり、歩行器にしがみつき歩く方法を教えてもらった。
8日間ずっとベッド上で横になっていたので、自分の身体が縦になるだけでうれしかった。
 
隣のベッドの患者さんは、92歳だと、カーテン越しに看護師と交わしている会話で知った。私よりも後に入院されたが、先に手術を受けていた。病名は私と全く同じだ。彼女の手術は全身麻酔だった。手術の翌朝帰って来た当初は大人しくされていたが、次第に、カーテン越しに聞こえてくる彼女のつぶやきや、電話をかけて聞こえてくる会話の内容がおかしくなってきた。彼女は私と違って、骨折だけの入院で、もともと痛みや麻痺がなく、動きやすく、ベッド周りの荷物に手が届くようだった。がさがさと物を動かしている音がしていた。
看護師さんが来るたびに、だめですよ、と怒られている声が聞こえてきた。どうやら家に帰るために、荷物をまとめているようだ。電話では、帰りたいのに、帰らせてくれない、と不満を言っているのが聞こえる。
ここまでなら、帰宅願望が強いだけと思っていたが、自分のいる場所が病院だと分かっていない様子も感じられた。夜中に、そこにいる子、こっちに来なさい、と言っているのが聞こえた時に、認知症なのかもしれないと思ったが、私も痛くてたまらなかったので、その声が聞こえても聞こえなくても、どうせ眠れないので気にならなかった。
2,3日そんなことが続いていた時に、看護師どうしが、手術後のせん妄と言っているのが聞こえた。その後、彼女の話し方も、話の内容も普通になった。
 
私の手術を全身麻酔でしてもらえなかったことには、当初大きな不満を感じていたが、全身麻酔の場合、彼女のように一時的なせん妄や、パニック、健忘などの危険性もあることをネットで調べてみて分かった。
私は、下半身麻酔で、鎮静剤で眠っている時間があったとはいえ、手術のほとんどの時間に意識があって、手術をしてもらったという実感はある。主治医の手術前や手術中のお気楽さは最初は腹立たしかったが、工事をしているかのような手術でも、怖くなかったのは、その彼のキャラクターのおかげだった。
手術後の、主治医の回診の時には、手術をしてもらったことに、素直にお礼を言えた。
 
手術後は私が横たわっている必要がなくなったため、車椅子に座って移動ができるようになった。もちろん、車椅子に移乗する時には、ベッドから降りるのに時間ががかかるし、痛いのだが、ベッドからベッドへと持ち上げられて移動するよりは痛みはずっとましだった。
 
手術後2日ほど経って、看護師さんが、ペインクリニックに行きましょうと言って、私を車椅子に乗せた。
主治医とは、入院当初から、手術の日程や麻酔のこと、そもそも別の病院で手術を受けるかなど、意見の相違があったり、納得できないことが多かった。
でも、私が視床痛のために、骨折の痛みを越える痛みを抱えていることについては、気にかけてくれていた。
私は、最初から視床痛に効く薬はないし、ペインクリニックに行っても無駄と主治医に失礼なことを言っていた。でも、今まで視床痛の治療をしてくれていた国立病院の院長である医師が、4月に退職していたことが分かり、退院後に私が頼る所がなくなることを主治医が心配してくれていることが、徐々に分かってきた。
実際には、視床痛でお世話になっている医師は、国立病院を退職しても、私の友だちが院長をしている脳神経外科クリニックで、定期的に診察を続けるので、退院後に、視床痛の治療で頼るところがなくなるわけではなかった。
 
病院の中のペインクリニックは、普段は予約がないと診てもらえないそうだが、主治医が、入院中の私を優先的に診てもらえるように連絡していたらしい。5分も待つことなく、診察室の中に案内された。
ペインクリニックの医師は、整形外科医である主治医から、私の病状について申し送りを受けているようで、私は、補う形で、これまで飲んでいた薬やその副作用について説明した。
医師は、視床痛のことをよく理解していて、私の苦しみを知ってくれているので、安心して話ができた。
去年から私の視床痛の治療を担当してくださっている医師のことはよく知っていて、もしも頼るところがないなら同じ治療を引き継ぐことができますとまで言ってくれた。
私が、引き続き同じ医師の治療を受けられることを説明しても嫌な顔一つせず、今の薬が合っていないと思う時には、思い切って減薬した方が良いというアドバイスをしてくれた。
 
手術が終わると、どんどん私の動ける範囲が広がっていった。手術の三日後には、見守りなしで、一人で歩行器を使って部屋の外のトイレに行くことが許された。手術前後の激痛の嵐を越えたら、どんどん前に進む気持ちがが湧いてきた。
 
去年の脳出血の時の急性期病院では、患者のリハビリは土日はなくて、自主練でやるしかなかった。でも今回の急性期病院では、土日でも一日2回理学療法士さんが来てくれて、精神面でも、とても支えてもらった。
それでも、去年脳出血の時に転院した回復期リハビリテーション病院は土日祝関係なく1日3回50分のリハビリががあって、めきめきと自分の身体が良くなっていったのを思い出して、早く、回復期のリハビリを受けたくなった。
病院の相談員さんに相談すると、すぐに、去年入院していた病院に連絡をとってくれた。
ゴールデンウイーク前半に入ったタイミングだったので、ゴールデンウイーク明けまで転院は難しいと思っていたが、私自身が電話で面談を受けたその1時間後には、明日転院できますというお返事がもらえた。

こうして、私が手術を受けた6日後の朝、私は救急車で運ばれた病院を出ることになった。
朝食を済ませて、自分で荷物をまとめていると、主治医がひょっこりと現れた。
やっぱり友だちに言うような口調で、でも優しく微笑んで、「よう乗り越えたな。がんばったな。痛みどうや。あっち行ってもがんばりや。ペイン行ったか?ええ先生やろ。困ったらまたここ来いや。」
入院直後から手術中まで主治医に対して抱いていた、怒りや呆れや不満や不信、全てふっとんで、お礼を言った。清々しい気持ちになった。

看護師さんが、見慣れない車椅子を持ってきて、そこに私を座らせた。
転院先の病院が、介護タクシーを手配してくれているのだ。その車椅子は、介護タクシーの車椅子だった。
私は、車椅子で一階の事務所に連れて行ってもらい自分で退院の手続きをした。夫とは、転院先の病院で合流する予定だ。

病院を出てその建物を振り返って見た時、救急車はやっぱりいい病院に私を連れてきてくれたという感謝の気持ちが心の中に広がった。
病院の前では、私が乗る介護タクシーが待っていて、看護師さんから運転手に、私を乗せた車椅子がバトンタッチされた。私は車椅子のまま介護タクシーの後部座席に乗せてもらった。
その日は、5月2日、偶然にも、去年と同じ日の、同じ病院への転院の日となった。
5月2日は、「ゴーツー(go to)の日」と名付けることにした。
 

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