見出し画像

脳出血(*_*)、骨折(TOT)でも、歩こう⑤

2024年5月2日、「ゴーツーの日」に、前の年にお世話になったリハビリ病院に再び転院することになった。介護タクシーに乗っての移動だったが、不安はなかった。女性の運転手の方は気さくな方で、運転席と車椅子に乗った私のいる後席とは距離があったが、声は十分に届き、去年の病気や今回の怪我のことを話しているうちに、30分ほどの移動時間は楽しく過ぎて、気が付けば、懐かしい病院の駐車場が目の前に見えて、そこに車が入っていった。
 
去年の入院では、転院した時にすでに杖なし歩行ができていて、駐車場の出入り口を通って外の散歩に頻繁に連れ出してもらっていたので、エレベーターの位置も、入口からの距離もつい昨日のことのように思い出せる。入口から入るともう看護師さんが待機してくれていて、介護タクシーの運転手から、私を載せた車椅子を引き継いでもらえた。
事務局となっている受付階でエレベーターを降りると、夫が待っていた。
手術の前後にも会っていないので、夫と久しぶりに会ったのだが、毎日SMSで連絡を取り合っているので、再会の感激というのは、お互いにない。でも、入院するための準備物がたくさんあり、それを揃えて持ってきてくれていて、ありがたいと思った。
 
1年前の記憶通り、事務局で入院のための受付を済ませると、すぐに検査が始まった。
まず、レントゲンだ。車椅子から立ち上がる。痛みはあったが、これはそれほど苦労しなかった。
その次に、骨折して手術してもらった部位を撮影するために、硬いベッドに移らなければならない。レントゲン技師と看護師に、私の、特別な痛みを説明しないといけない。
「まだ、手術間もないですから痛いかもしれませんが、ここに横になってください。」
そう言う技師に、「あの、ごめんなさい、私、叫ぶかもしれません。手術や骨折の痛みよりも、脳出血の後遺症の視床痛がきつくて、左側はどこを動かしても、すごく痛いんです。自分では動かせないので、お手伝いお願いしたいんですが、ゆっくり、ゆっくり、ナメクジの速度で押してもらえますか。」
そう言うと、二人は本当にゆっくり私の足を検査用のベッドに引き上げてくれたので、痛いけれど叫ばずにすんだ。レントゲンの後は、採血をしたが、右腕なので痛くなかった。
 
検査の後は診察だ。私の主治医となる医師は体調を崩してお休みされていたので、代わりに院長先生が診察してくれた。
急性期病院からの情報を確認しながら、簡単な問診をしていただいた。
その時、私は薬について、二つのお願いをした。

まず、寝る前の薬のことだ。
私は長年睡眠障害に悩まされていて、一時期、心療内科で処方してもらった、よく効くけれど依存性がある薬を飲んでいた。しかし、週刊誌やネットの情報で、その薬が身体に良くなくて、特に認知症につながることを知り、自分で少しずつ服薬数を減らす努力をした。
その結果、その薬を飲まなくても眠れるようになった。
ただ、嫌なことや気になることがあると眠れないことがあるので、頓服薬として、いつもお守りのようにその薬を常備していた。
今回の手術の時に、全く眠れなくなってしまったので、急性期病院の主治医に頼んで、家から持ってきていたその薬を、自己管理して飲めるようにしてもらっていた。
この、長い事情説明を、院長先生は、頷きながら聞いてくれた。
そして、転院先のこの病院でも、同じように自分で管理して飲めるようにしてほしいと頼んだ。
通常、睡眠に関する薬を患者に自己管理させるのは、量を間違えた時に危険であるから、病院の責任上、断られると思いながら頼んでみたが、院長先生は、あっさりと、「いいですよ。」と言ってくれた。あまりに簡単に許可されたので驚いて、「本当に、自分で管理していいんですか?」と念を押すと、「そうだよ、君の後ろに看護師がいるだろう?看護師が聞いているし、記録しているから証人だよ。」そう言って、院長先生は笑顔を見せた。
 
薬について、もう一つのお願いというのは、漢方薬のことだ。
精神科クリニックを開いている高校の同級生が出してくれた漢方薬は、疼痛の治療として効いている実感はなかったが、精神は安定していられたし、睡眠の改善には役立っている気はしたので、ずっと飲み続けていた。
急性期病院では、漢方薬は取り扱いがないということで、持ち込んだ分の薬がなくなると投薬が打ち切られてしまった。
院長先生に、できれば、同じ漢方薬を出してほしいことをお願いすると、薬剤部に確認するけれど、おそらく出せると、こちらもあっさりと希望に沿ったお返事がもらえた。

これら薬についての2つのお願いは、どこかで手違いがあり、実は私が意図していた通りに、記録され伝わっていなかった。
入院翌日に、そのために不快な事が起こったのだが、ゴールデンウイーク中の急な入院で、人手が少なかった事を考えると、手違いも仕方なかったのかもしれない。

診察が終わると、病棟への移動だ。
去年は4階病棟だったが、今回は5階だ。レイアウトは全く同じと聞いているが、スタッフは全く違うだろう。
5階のエレベーターの扉が開く。目の前には絵画が飾ってあり、車いすが左へ向けられると、見慣れたスタッフステーションだ。その前で左へ曲がると、スタッフステーションの端から一人の看護師が現れた。
「Rさん!私のこと覚えてる?」見慣れた、優しい顔。去年4階に入院していた時に、何度も湿布を貼ったり、困った時に声をかけてくれた、他の看護師よりも少し年上の看護師だ。
「もちろん、覚えています。またお世話になります。見た通り、去年みたいに元気ではないんですが。」私は、去年の杖なしで元気に歩いていた姿とは全然違っているのを恥ずかしく思いながら、でも、彼女の顔を見てホッとした。
「またここで元気になってね。」彼女はそう優しく言って、スタッフステーションに戻って行った。車椅子を押してくれている看護師が、彼女は4階から5階に異動になり、今では看護師長を務めていることを教えてくれた。

私の部屋は、スタッフステーションから一番離れた突き当りの部屋らしい。途中でデイルームとリハビリスペースの間の廊下を通った。スタッフに見覚えのある人もいるなあ、と思っていると、また一人、女性がこちらに近づいてきた。
「もーうー!Rさん!去年私言ったよね、もう二度と来んなって!なーんでまた来たのん!あかんやろ。」
ああ懐かしい、愛のムチだ。去年私を担当してくれたOT(作業療法士)さんだ。彼女の言葉とは裏腹に、顔は優しいし、笑顔だ。
「やらかしてしまいました。」私はそう言いながらも、嬉しくてたまらない。彼女といっぱい笑いながら、楽しくリハビリした日々がよみがえる。
彼女も、4階から5階に異動してきたらしい。

部屋に入ると、4人部屋には他に2人の住人がいた。入口のベッドに案内されて荷物を置いたが、そのあとで、窓際のベッドが空いていることに気が付いた。去年は窓際のベッドだった。明るいしそちらのほうがいいなあと思い、お願いしてみると、ベッドの場所を変更してもらえた。
去年の4人部屋で、同室の人が場所移動しているのを知っていたので、去年の経験が役立った。

4人部屋と言っても、それぞれの場所に天井までの仕切り板と机があり、プライベートが保たれている。パッと見た目では、ビジネスホテルの部屋に見えるくらいだ。
クローゼットのような両開きの整理棚が付いている。
使い慣れた空間なので、整理棚の使い方を覚えていた。
去年と同じ整理用のかごを使って持ち物を整理した。

同じ病院への入院は、とても安心だ。知っている人、頼りになる人がたくさんいる。
まだまだ痛みはあるけれど、ここでなら、きっと良くなる。去年のように、笑って元気に過ごせる日が来るだろう。
ゴーツーの日。安心の再出発だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?