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従妹について【ヤバさ:★★☆☆☆】①

「美人は性格が悪い」などという俗説の皮を被った妬み嫉みがあるが、実際どのくらいの美人がそれに当てはまるのだろう。うちの母と叔母は美人であるが、性格が悪いわけではない。ただ倫理観を失ったまま二度と取り戻すつもりがないだけである。
ところで、母方は美形一家であるが実は従妹たちも私同様父方の遺伝子を色濃く受け継いでしまい、「お父さん似だね」という呪詛を浴びながら生きる宿命を背負っている。従妹たちの父とはつまり前記事の叔父である。私は叔父を思い出そうとするとメガネばかりが思い出されると言ったが、その奥の瞳は常に眠そうであった。叔父が夜勤明けのときはもちろん、休みの日に12時間眠った後でさえ眠そうであった。そういう目なのである。分厚く重い目蓋がテロリンと瞳を覆っている。そして従妹たちも、そんなテロリンeyesを受け継いでいた。
一方私は目元だけは美形一家の血をしっかり受け継ぎ大きく見開かれているが、鼻から下で母の遺伝子がまったく仕事をしなかった。つまりマスク生活の世の中の恩恵を存分に受けるタイプの顔である。先日、入院生活に向けておしゃれメガネを購入したが、マスクをした上でそのメガネをすると知的な中にもワンパクさを秘めた愛くるしい印象になるのだが、マスクを外した途端「カーワーイーイー(笑)」と弄られてイヤらしい笑みを浮かべた係長(男性)が現れる。
そんな私と従妹、どちらが良いかというとどちらも良くない。ただ一つだけ私と従妹には女として大きな差がある。自分の容姿を客観視できるかどうかである。
「美人は性格が悪い」…人がこう口にするとき、僻みでしかない場合もある。しかし「美人美人と言われて育った女は性格が悪い」…というのはどうだろう?従妹を見ていると、「あると思います!」というちょっと懐かしい台詞が浮かぶ。


従妹は叔母夫婦にとって待望の二人目であり、待望の女の子であった。可愛がられるべくして産まれてきた。(余談だが私は中3のときに両親のできちゃった婚の賜物であると叔母から聞き「だからあの扱いか!」と雷に撃たれたように納得し、以降好きに生きると決めた。)そして幼少の頃の従妹は実際可愛かった。色素の薄い栗色の豊かな髪に、卵の殻のような優しい白い肌。そして伏し目がちでアンニュイな瞳。品の中に憂いを感じさせる可愛さだった。ちょうどルノワールの絵画に登場しそうな容姿である。幼稚園児時代の従妹は鬼のようにモテた。従妹と私は9つ離れており、従妹が幼稚園の恋愛市場で無双してる頃には私は既に思春期で、容姿において身の程を知り尽くしていた。愛らしい従妹を横目に一層私は顔でなく頭で生きていくしかないと決意を新たにしていた。要するに頭脳においてはまだ身の程を知る前だった。


周囲から容姿を褒められて育った従妹は当然私は可愛いんだな、と思ったまま成長した。実際彼女はよく「私可愛いもんね」と口にもしていた。可愛い幼女が、自分でも「私可愛いもんね」と言い出したらその自身過剰さえどこかユーモラスでこちらとしては更に可愛い可愛いと揉みくちゃにしたくなるだろう。
そうして実際に揉みくちゃにしたのが私の祖父であった。祖父は私のことも大層可愛がってくれたが、更に幼く更に可愛い従妹のことは盲目的に崇拝した。簡単に言えば、なんでも許した。ちょっと従妹がギャーギャー雄叫びを上げれば(従妹たち兄妹は二人してシャウトが自己表現だった)買ってあげたり連れていってあげたりやってあげたり何百回でも使える青い魔神と化した。家族は皆そんな祖父と孫娘の交流を微笑ましく見守っていた。が、ただ一人冷ややかに見つめる者がいた。…私である。
祖父と従妹の蜜月は従妹が小学校に上がって幼女から少女になっても続いた。そんな中で、私は2つのことに気付いてしまった。ひとつは、従妹が自分の我儘は全て通るとわかった上で、不機嫌や雄叫びを演じることができるということ。そしてふたつは、成長と共にテロリンeyesが主張を始め、並みの容姿になっているということであった。テレビを観ていて久しぶりに登場したかつての人気子役に対し「あれー?この子こんな顔してたっけ?可愛かったのになぁ」という感想を抱くことがあるだろう。あれと同じ現象が起きていたのである。そうするとどうしても女のイヤらしく悲しい性として、私は従妹に対し「なにさそれほど可愛くないくせに」と学園ドラマのあまり可愛くないモブのような感想を抱くようになった。それとは別に、私は物心つく前から水濡れ厳禁のパンヒーローのアニメを延々見せられたせいで強すぎる正義感に燃えていた。クラスで苛められている子を見ると必ず担任に報告し、あろうことか担任から「教えてくれてありがとう。気付けた貴女は素晴らしいわ。じゃあ帰りの会で苛めはいけないことだと、貴女からみんなに話して」と言われてもちょっとビビりつつ本当に帰りの会で黒板の前に出て演説かますタイプであった(これは小3の時に本当に起きたことだが、教師になった今、この担任の対応についてこれ以上危険な悪手は無いと思っている。)。たぶん親が捨てた倫理観を拾い食いしたのだろう。椿の葉とか割りとなんでも口に入れてたし。とにかくそんな私なので、家中で従妹の我儘がまかり通っていることも是正すべきだと心に誓っていた。そして誓いは実行に移された。


その機会は夕飯時に訪れた。うちはお察しの通り行儀のよい家ではないのでテレビを観ながらご飯が当たり前だった。祖父は根っからの巨人軍ファンであり、野球中継は欠かさず観ていた。その野球愛たるや、従弟の突き出た尻を見て「将来は野球選手になる」と期待をかけ、その成長過程で従弟が運動というものとの相性があまりに悪すぎることを悟ると失望のあまり従弟への興味を失った程である。私も幼少の頃はぬいぐるみを買ってあげるからと諭され野球観戦に連れていかれ、気付いたらジャビット君を握らされていた。祖父は我が家では君主であり、我が家は絶対君主制をしいていたのでどんなに他番組が観たくても野球中継を観ることが決まっていた。
その日も球場の「あぁぁぁぁあーーー」というサイレンと共にプレイボール。テレビの中では白球が光り、我々の手中では白米が光っていた。始まりと同時にゲームセットを期待しながら食事をしてると、突如祖父の「あっ、何?!」という声が聞こえた。顔を上げると従妹がテレビのリモコンを握り、他番組にチャンネルを変えているではないか。これはいけない。だめです。私の正義感がパン工場の窯さながらに燃え上がった。私は鋭く言った。

「ちょっと従妹!ダメじゃん!!」

言うが早いか私は従妹からリモコンを引ったくり野球中継に合わせようとした。刹那、本当に一瞬だが、そこには私がプロ野球開幕まで毎日楽しみにして観ていた子供向け海外ドラマが映っているのが見えた。リモコンと手のひらの間にサッと汗が滲む。やってしまった。従妹は、私のためにチャンネルを変えたのだった。
従妹は火が点いたように泣いた。その泣き声が、いつもの我儘を通そうとする演技のものとは違って響いているのも私にはわかった。だっていつも、憎々しげに見ていたから。いくら許せないといえ、相手は9つも年下である。小さな頭で私がいつも決まって観ていたドラマを覚え、小さな心で「RONIちゃん今日も見たいだろうな」と思って、小さな手でリモコンを握ったのだ。そんな、小さいながら一生懸命果たされた厚意を私は一瞬で切り捨てた。従妹の泣き声は私の大人げなく頑なになった心にキリキリ突き刺さった。
それでも私は引っ込みがつかなかった。イヤ、違う。それでもやっぱり、許せなかった。祖父が従妹を愛していたのを知っていたから。従妹が祖父から愛されているのを知っていてそれを利用しているのを知っていたから。祖父がその愛ゆえに、こんなに毎日楽しみにしている野球中継を諦めるのが辛かったから。私は断固とした口調で泣き止まない従妹に

「おじいちゃんが見てたでしょ…!」

と言い放った。が、その声は後ろに行くほどかすれて揺れた。祖父はというと、いくら従妹が泣いているとはいえ私の善意を無駄にすることはできず、野球中継に変わったブラウン管をただただ黙って見つめていた。もしかしたら本当に野球が見たかっただけかもしれないが。
この一件はずっと己の大人気なさと従妹への罪悪感でその日食べた鯖の小骨のように私の胸に刺さって残った。その痛みは確実に乳房の針生検より痛かった。



私は従妹が、泣いたり叫んだりして要求が通ったときに得意気な色を一瞬浮かべるのを知っていた。叔母や祖父に「私、RONIちゃんより可愛いもん」と言っているのも知っていた。もっと許せないことに私の目の前で「RONIちゃんより私の方が頭良いもん」と言ってのけたのも覚えていた。「頭が良い」というのは、容姿に恵まれなかった私にとって唯一すがれるものであり、この家族の中で私だけに認められた形容だった。それを得るまでにどれほど机に向かっただろう。そんなものまで取り上げないで…。従妹が口にすれば、家族は皆それを認めてしまう。従妹もそれをわかっている。なんて性悪だろう。こんなに小さいのに。
本気でそう思っていた。可愛い可愛いと言われ続けたせいで、従妹は性格の悪いヤバい女になってしまった、と。
でも私は自問する。そんな女と、自分の僻みを隠すために正義を振りかざす女と、本当にヤバいのはどちらなのか。


家族の中で、私は従妹とだけ妙に合わなかった。私たちが二人きりで会話した記憶はほとんどない。私が成長し、従妹も身の程を知り、ぶつかることが無くなると、関わること自体がなくなってしまった。しかし、従妹は私の就職後に高校の三者面談で「従姉は良い大学に行って先生になった。私も従姉みたいに教師になりたい」と発言し、私は現在、メンタルを病んだ従妹を心配し検索履歴から飛んで毎日Twitterを監視し続けている。
次回はこんな私たちの不器用な愛憎劇をもう少しお話ししよう。


愛憎劇といえば、私は従妹への思いのように時に愛し時に憎んだ右乳と今日ついに今生の別れを迎える。
母乳もロクに作れなかったくせに癌細胞だけはちゃっかり溜め込んだ乳。憎くて仕方なかった。でもなぜか最後の入浴で乳に話しかけている自分がいた。両手で優しく包み、「今までありがとう、ごめんね、またね」と語りかけたらそっぽを向いた。そう、乳頭がね。


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