誇りの中のタイムカプセル

部屋を掃除すると、思いがけないお宝が顔を出すことがある。今回の発見は、埃まみれのDS。久しぶりに握ると、手のひらのサイズ感が懐かしく、やけにフィットする。あの頃、このゲーム機を手に入れるためにどれだけ苦労したか思い出して、少し笑ってしまった。

10歳の僕にとって、DSは文字通り「手が出ない」存在だった。ゲームカートリッジひとつで5000円なんて、当時の僕には天文学的な数字だ。月に500円のお小遣いをコツコツ貯めても、10ヶ月分。これがどれほどの努力だったか、今ならよくわかる。大人になった今、手取りの25万円から7万円ほど自由に使えるとして、その全てを何かに注ぎ込むなんて想像できるだろうか?当時はそれくらいの覚悟が必要だったのだ。

サンタクロースに毎年手紙を書いて、テストでは20回連続で100点を取るという無茶なチャレンジもした。願いが叶うたびに感じたあの達成感と喜びは、子供心に染みついている。それが今や、フリマアプリで500円とか1000円で売られている。かつては喉から手が出るほど欲しかったものが、今や飲み会の終わりにもう一杯頼むかどうか悩む程度の価格で手に入る。かつての僕なら、こんなことは想像すらできなかっただろう。

それにしても、現実というのは奇妙だ。ゲームを大人買いしている今の僕にとって、その500円や1000円は鼻で笑える金額だけれど、当時の僕には宝物に等しかった。懐かしいゲームを再び手にしてプレイしてみると、その楽しさは変わらない。マリオがジャンプする音や、ゼルダの冒険が始まる瞬間のワクワク感は、年を取っても色褪せない。子供時代の自分が今の自分を見たら、どんな顔をするだろうか?なんだか寂しくもあり、嬉しくもある複雑な感情だ。

そして気がついた。これまで掃除を怠けていたのも、結局のところ、この小さな発見をするためだったのかもしれない。伏線回収と言えるかどうかはわからないが、あの頃の僕が今の僕にプレゼントしてくれた時間を、しばらく楽しむことにしよう。いや、実際のところ掃除なんてしなければよかったかもしれない。どっちに転んでも、DSを手にして、当時の記憶に浸るのは悪くない選択だ。

さて、次は何のゲームを大人買いしようか?あの頃の僕に聞いてみたいけれど、今の僕が決めるのも、また一興だ。

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