生きること、学ぶこと



(問い) 不登校は、子どもからの、大人社会の不承認である?


 


 現在、小中学生の不登校は30万人に及ぶ。
暉峻淑子の「承認をひらく」を読み、考える。
 憲法25条は個人の尊厳、生きる権利を保証する。しかし、現実は極めて貧弱である。全国的な生活保護への裁判も行われている。貧困と(社会参加への)不承認が根源的な問題であると指摘する。「承認」をひらくことは、人が生きていく上で必須である。承認される立場と承認する立場がある。不登校はいじめ問題など承認されないと感じることが起因と考えがちでるが、果たしてそうなのか?
 
 
不登校は、子どもの大人社会への不承認である。
 
 
 不登校の理由は、
大人の社会には、能力というキーワードによる選抜と排除の論理が根強くあり、子供を追い詰めている。子ども自身が身を守ろうとする心身の反応が登校拒否ではないか。
 
 学校もまた、学習指指導要領の枠に縛られて、教師も自由に動くことができない。このことは子どもにも伝わる。教師のいうことは正しいものとの前提で学びは進む。これに多くの生徒は習い性とされる。例えば、探究の時間の価値が重要とされるが、生徒にとってはルーティン化されたものとなり圧力になっていないか。教師の注意不足で、生徒を比較していないかなど、大人が妥協してしまう行為が、子どもには納得できないことが多い。年々重くなるランドセル、少ない余暇、早朝からの勉強、保護者の進路への介入、放課後時間の授業化、プログラマ化された短期の時間など、今の学校教育は、経済成長につながるものを優先する経団連の教育方向を見ている。
 
こうした環境において、生徒は、無気力、不安、非行などが蓄積してくる。子どもは努力しているが我慢できない.ストレスがたまる。
 
 
大人の社会にすんなり順応できない感受性の強い子ども。大人たちへの根本的な疑問の表出ではないか。


 
 大人は間違った多様性を強いているのが今の日本社会である。色々なことをやるから多様なのではなく、芯のあるぶれない基本的な考えを身につけてから、それぞれの異質性を対話していくという多様性が必要なのである。欧米、インド、韓国では小学生の頃から政治、民族、社会問題について話し合うという。日本との大きな違いである。
 
 このまま大人の社会が変わるのを黙って待つわけにはいかない。大人社会の承認をひらかない子どもには、家庭や学校以外のさまざまな社会環境を経験することで、それぞれの場において考える時間を与えたい。

このままの大人社会は決して承認できないと。



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