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生きること、学ぶこと


(問い)大学はなぜ変われないのか? どうしたら変革できるのか?


〜「教育神話」とは?〜 その4


 
変わることを学び、「学習する」(ラーニング)ことへ変わるために
(パラダイムシフトへの障害を取り除くために)
 
変化の可能性
 
「認知不協和理論」によると、個人や組織が変わることができるのは、自らの意思によるのではなく、矛盾やジレンマを感じて、その結果、何かをせざるを得ないと言う行動心理がある。認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す。
(レオン・フェステインガー(社会心理学))

教員の仕事にはそうした認知不協和の現象が見られる。
しかしこのことは、教員が研究を重視して教育を軽視すると言う教員自身のモチベーションに起因すると言うより、むしろ大学経営や環境に問題がある。
 
(1)  私は、ほとんどの教員はラーニングパラダイムを支持していると信じている。実際、教員になろうとしている学生はラーニングパラダイムの習得をしようとしている。ある調査で教員は次のように答えている。

・86%が今の大学の教育の在り方には課題がある。
・88.2%が自分の教育方法が学部の教員から評価されていると考えている。
・教員は自分の時間を教育方法の向上のために使っている。
・教員は平均29時間/週を教育のために使う。
(ゴールディとドアの調査「HERI=The Higher Education Research Instituteの2010−11年の調査結果、(対象:教員23,000人、417大学))
 
テニュアになれば教員は、教育の重要性を考えて教育に力を入れる。
教員が評価されるのは、研究や出版物ではなく、効果的な教育が行われているかどうかによる。(デビッドWディズリー(教育学))
 
これらの調査結果は、これまで見てきた教員は研究に時間を使い、教育にはあまり時間を使わないという事実とは逆になる。教員の教育重視のモチベーションにも関わらず研究に偏っていくのは、大学が教員に給与などの評価も含めて研究を強いるためだ。教員は本質的には教育のことをしたい。
(What Do Faculty Want?)
 
(2)  教員はラーニングこそが重要と考えているが、大学が研究を強要する中で認知不協和に苦しむ。アージリスが指摘する大学の「組織的な防御のルーティン」に、教員は自覚のないままに従ってしまう。
 
背景には教員の就職市場の問題、すなわち博士論文を書いてからテニュア教員になるまで期間が長いため、インセンティブとして研究を重視せざるを得ないことになる。大学院では教育のことを学ばないので、結局のところ、新人教員を研究能力によって評価するしかない。教育能力のある人がいても評価されない。
 
またコミュニティカレッジは研究をやらないので教育者として教員を採用するが、「学問の自由」という神話によって、教員がフィードバックできる効果的な教育方法の実践や開発に関しての影響力が、4年生の大学に比べてないのが問題だ。若手はベテラン教員の教育方法のモデルを倣い、改革をすることがなかなかできない。こうしたこと全てに大学の現状維持神話がシステムとして働いている。
(Dissonant Theory)
 
教員個人が変わるための仕組みとは?(How Do People Learn To Change?)
 
大学を変えると言うのは、教員の行動と実践を変えることに他ならない。学生の学習成果を上げるためには、教員の教育方法を向上させなければならない。これは必要不可欠なことだ。変化を妨げているのは、教員の個人的な考えと言うより、変化が自分の組織における役割を妨げるのではないかという心配からだ。教員は現在の制約の中でも今よりも効果的な教育をすることができる。しかし、教員を変えることで大学が変わると言うことはない。両方を変えなければならない。
 
(1)  教員個人が変わるためにはどうしたら良いのだろうか。正月に何かを変えようと決意して、77%の人は1週間後に、55%は1ヶ月後に、40%は半年後に、19%は2年後に実現すると言う考えがあるが、大学教員はどれにも当てはまらない。翌年には何かを変えようとするぐらいだ。身にしみた習慣(ingrained habit)を止める、例えば禁煙や減量あるいは酒や薬などを止めるのには、プロセスが重要だ。(ジェームズ・プロハスカ、ジョン・ノークロス、カルロ・ディクレメント(いずれも心理学))プロハスカは、諸理論統合アプローチ(transtheoretical model: TTM、変容の促進・変容のメリットとデメリット・自信と誘惑・変容の段階から成る)を提唱する。カウンセリングには汎用なものはなく、人によって適応できるものが異なるということだ。
 
アントン・トールマン(教育学 ユタバレイ大学(平成26年に帝京大学霞ヶ関キャンパスでStudent Engagement の講演を行う。))は、TTMを活用して、教員が教育強化へ変容するための5つ段階を提案した。
 
①    事前の考察が最初です。具体的な変容の必要性は感じていないが、現在の習慣に何か違和感があるという感覚が生じる状況だ。意識的というよりは常識の範囲での感覚だ。トールマンは教員の変容を2つに分類する。変化の必要はないという感覚をPC1(precontemplation1)とする。現状を変えなければならないと考えるのをPC 2とする。この違いはとても重要で、現在の環境をどのように分析するかによっても分かれる。またPC1のゾーンに長くいると変容は難しくなってくる。
 
②    第二段階は考察だ。変容が必要であると考え、考察に入る。この段階ではコミットはできないが必要性は考えている。改革のための努力、エネルギー、費用などが改革実行に値するかの検討をする。慢性的考察状況ということがある。改革の可能性を感じながら、ずっと行動を起こさないことだ。これが大学ではよくあること。
 
③    第三段階は準備である。行動を決断することだが、往々にして小さな変容から始めることがあるが、大きな変容へと最初から決断しなければならない。何を、いつ、どこでという具体的なことを決める必要がある。
 
④    第四は行動である。エネルギーと時間をかける段階だ。
 
⑤    最後は継続だ。新しい習慣を続けなければ意味がない。この継続することは難しいことである。新しい習慣が身につくと、そのこと自身が後戻りをさせない仕組みになっていく。例えば、学生の意見を聞きとる習慣ができると、Teaching your mouth shutの授業を実現できる。
(Stages Of Change)
 
(2)  改善は螺旋型に進む。実際のところ、教員の変化は直線的には行われない。行きつ、戻りつ、留まりつつ、再開するというように進むものである。正月に決意して上手くいかなかったものの60%は同じプランで再開する。失敗したことで学んでいく。禁煙の準備から実行への段階の人の94%は6ヶ月後喫煙していない。考察段階の人とは違う。つまり、考察、準備、実行の各段階によって進め方のノウハウがあるということである。我々は、その段階に応じた適切な方法を生み出すものである。(The Upward Spiral)
 
(3)  変化するための本当の障害は何か?
それは、時間である。すでにteachingに目一杯時間を使っている教員は、改善に時間を使うよりも他にやることがあるという。また改善計画を立てても、いつ始めるか決めかねる。論文を書くのと同じで、始める時と終わる時を決めかねる。もう一つ厄介なのは、文章を書き始めるとなかなか思うように書けなくて止まってしまう。よく学生に話すのは、一度悪い文章を書いてみると良いと。カロル・ドェック(心理学者)がいう「成長のマインドセット」(固定のマインドセット」に対して)である。努力すること、トライすることは何かを生み出す。できないことが、能力の限界を考えるのではなく、成長の可能性を考えることになる。教員の改善変化戻ると、準備段階に入ることが重要である。これは時間のコミットである。プランと準備の段階の重要な違いは、個人なものから周りを巻き込むことへの違いがある。大切なのはこのことが大学の他の教員へも広がっていくことである。 
(What Are The Real Barriers To Progress?)
 
仲間(ピアグループ)の形成がイノベーションを広げる
(Diffusing Innovation By Making Peer Groups?)
 
慣れた習慣を変えるのは大変である。あるポイントを超えると自分一人だけで変えるのは、難しく、環境に依存することになる。組織が変われば自分も変わる。仲間が変わればそれが伝播していき変化への抵抗が弱くなるということがある。教師が孤独に一人で教育改善をしていても限界がある。
 
イノベーションを拡大する
 
エベレット・ロジャーズ(SoTL)は、組織やグループでなぜ、どのようにイノベーションが起きるのかについて研究している。「イノベーションの広がり」について。組織において、イノベーションはどのように受け入れられるのか。イノベーションの特質とは何か。イノベーションの特質の中で、特に2つのことを述べたい。「相対的な優位性」と「互換性」である。「相対的な優位性」はイノベーションの結果、期待される利益とコストの関係とも言える。コスト対効果がすぐ見えるイノベーションはすぐに採用される。そうでないものは、しばしばのびのびになっていく。

教育改善であるが、結果が曖昧でも、仲間の教員が成果を出していれば、考案段階の教員は、やってみるかという気持ちになる。とは言え、すでに準備段階にあると、他の仕事への影響や結果が出るまでのコストなどが不安になる。「互換性」について考えてみる。イノベーションが自分の現在やっていることに近ければ、コストの不安がより少なくなる。黒板、白板からpptへの移行は数学の授業以外では比較的自然に変われる。
コースデザインなどの基本的な変更(急進的イノベーション)は組織のなかで受け止めが異なってくる。
(The Diffusion Of Innovations)
 
ピア学習の判定
 
「相対的な優位性」と「互換性」の判定は、個人と組織では異なる。イノベーションも組織にテクノロジーがあるかないかでも異なる。また、イノベーションは、社会的交渉によっても影響をうける。殆どの人は、他の教員のイノベーションの判定を主観的に行う。仲間の教員の行なったイノベーションの成功モデリングや模倣によって広がっていく。
(The Judgement Of Peers)
 
ピアネットワークは変革をもたらす
 
ボーネルとタナーが指摘するように、あらゆる国際学会、国内学会は教員の改革を支援する環境を整備すべきです。現在は学会のトップの方針が支持されるのが一般的です。学部や学会内部での変革の限界に外部から促すことが有効です。
 
FLC’s(faculty learning communities)という組織がある。1979年に、オハイオ州のマイアミ大学のミルトン・コックスが始めた。6−7人のグループで組織外の教員が交流する。2種類のFLCsがあり、同じ属性(初任教員、中堅など)のFLCsとテーマ別に集まるものがある。多くの組織でマイアミ大学方式を始めた。2004年には308のFLCsがあった。FLCsは、同じ学問分野ではない仲間の教員との交流を求める。彼らは組織内ではリスキーとして敬遠されるイノベーションを支持するふりをしがちである。
コックスの指摘は、「FLCs以外でのワークショップやコンサルではシングルループの浅いラーニングになりがちである。深い省察しかないが、FLCsはダブルループの省察と一段進んだラーニングの探究ができる」という。私の考えではこういうコミュニテイが拡大すれば、ラーニングの文化がより広まってくる。教員はFLCsへの参加を通じて、個人の考察から準備へと移行していく教員も増えてくる。
(Peer Networks That Enable Change)

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