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ベクトル空間って何ですか?──公理とその役割

 数学科でどんなことが行われているのか,コミカルに,しかしかなり具体的に描かれているマンガとして「数字であそぼ」がある.(最近最新11巻が出ました)

 主人公・横辺建己は,高校時代には圧倒的な記憶力とパターン認識で優秀な成績をおさめ吉田大学の数学科に進学したけれど,数学科の最初の講義でデデキント切断にノックアウトされて2年間ひきこもったという,ありそうでもなさそうでもある設定の大学生.

註.今のご時世だと,吉田大学くらいでないとそんな講義許されない気がします.それから,実際の吉田大学でどんな講義が行われているかぼくは知りません.

 それでも数学を学びたい!と数学科に戻って勉強し直している彼の姿を,周囲の人たちと合わせて描いていて,ぼくも「ああ思い出すなあ」と思いながら読んでいるのだけど,時折自分には思いもよらないところで躓いているのを見てびっくりしたりもする.

 しかしながらぼく自身,大学院を出てから集合論とか数理論理学といった分野の話を聞く機会が多くなり,なかなか理解できないことも増えてきた.あとになって「なぜ自分は理解しにくかったのか」と考えなおしてみると,実は横辺と同じような間違いをしていたことに気付く.ほんのちょっとした意識の違いで,なんでもないことが大きな崖みたいに思えてくることはあるものだ.ちょっとしたことなのだけど,気づくまでは難しい.

 そんなわけで,数学科での学びでちょっとつまづきやすいと思われる「公理とその取扱い」の話を,ベクトル空間を例に書いておきたい.大丈夫,ちょっと「見方のコツ」を身に着ければなんてことはない話です.

まず現れる「定義」

 手元に何冊か線型代数の本があるが,有名な参考書として名高い斎藤正彦『線型代数入門』を手に取ってみよう(これはぼく自身がフレッシュマンのとき線型代数の参考書として指定されたもので,今でもそれなりにシェアはあると思われる).

 第1章では数ベクトル(高校で教わる平面ベクトル,空間ベクトルの延長),第2章で行列,第3章で行列式と,のちのち重要な道具とはなるものの具体的な計算が重視される章がいくつか続き,そして第4章第2節(第1節は集合と写像の基本事項の確認)にその定義はやってくる.

定義.集合$${V}$$が次の2条件 (I),(II) を充すとき,$${V}$$を複素線型空間あるいは複素ベクトル空間と言う.
(I) $${V}$$の二元$${\mathbf{x}, \mathbf{y}}$$に対してと呼ばれる第三の元(これを$${\mathbf{x}+\mathbf{y}}$$で表わす)が定まり,次の法則が成り立つ:
1.  $${ (\mathbf{x}+\mathbf{y}) + \mathbf{z} = \mathbf{x} + (\mathbf{y} + \mathbf{z}) }$$ (結合法則)
2.  $${ \mathbf{x} + \mathbf{y} = \mathbf{y} + \mathbf{x} }$$ (交換法則)
3. 零ベクトルと呼ばれる特別な元(これを$${\mathbf{o}}$$で表わす)がただ一つ存在し,$${V}$$のすべての元$${\mathbf{x}}$$に対して$${\mathbf{o} + \mathbf{x} = \mathbf{x}}$$が成り立つ
4. $${V}$$の任意の元$${\mathbf{x}}$$に対し,$${\mathbf{x} + \mathbf{x}' = \mathbf{o}}$$となる$${V}$$の元$${\mathbf{x}'}$$がただ一つ存在する.これを$${\mathbf{x}}$$の逆ベクトルといい,$${-\mathbf{x}}$$で表わす.
(II) $${V}$$の任意の元$${\mathbf{x}}$$と任意の複素数$${a}$$に対し,$${\mathbf{x}}$$の$${a}$$倍と呼ばれるもう一つの$${V}$$の元(これを$${a\mathbf{x}}$$で表わす)が定まり,次の法則が成り立つ.
5. $${(a+b)\mathbf{x} = a\mathbf{x} + b\mathbf{x} }$$
6. $${a(\mathbf{x} + \mathbf{y}) = a\mathbf{x} + a\mathbf{y}}$$
7. $${(ab)\mathbf{x} = a(b\mathbf{x})}$$
8. $${1\mathbf{x} = \mathbf{x}}$$
 以上の二条件 (I),(II) を複素線型空間の公理と言う.混同の恐れのないときは,$${V}$$の元を単にベクトルと言う.ベクトルと対照的に,複素数をスカラーと言うこともある.

斎藤正彦『線型代数入門』p.96

 ちょっと長い引用で恐縮だが,これが(複素)線型空間の定義である.今回の話の本題は,

この定義をどう位置づけて理解するか

である.

数学的対象の作り方(再録)

 斎藤先生は文章中で (I), (II) を公理だと述べているけれど,基本的には「1. ~ 8. を公理系(公理の集まり)」とみるのがよいと思う.ちょっと細かい話になるが,ぼくの考え方はこんな感じだ.

 数学で考察される対象(数学的対象)の構成要素を

  • 対象を実現する器(集合など)

  • 対象を機能せしめる機構(仕掛け.写像など)

  • 対象たりうるための公理系(性質)

の3つに分けて理解している.例えばこの線型空間の定義であれば

  • 器…集合$${V}$$

  • 機構…加法(和を定める写像)$${+ \colon V \times V \to V}$$,定数倍写像$${\cdot \colon \mathbb{C} \times V \to V}$$,零ベクトル$${\mathbf{o}}$$,逆ベクトルを与える写像$${ - \colon V \to V}$$

  • 公理系…上記 1.~8.

のようにとらえている.

細かい話になるが,公理の中で「$${\mathbf{o}}$$という元があって云々」と新しい登場人物を出す書き方は,慣れているとやりがちだけれど,混乱するという声も少なくない.自分でやってしまうのを棚に上げて言うと,もっともな意見だと思う.

公理系とは何か?

 ここで本題に戻ろう.この本の流れでこの定義を見ると,どことなく

それまで扱ってきた数ベクトル空間$${\mathbb{C}^n}$$が
備えている基本的な性質をまとめたもの

という印象を受ける.

 いや,間違いではない.公理系とは「これとこれとこれを充たすと興味深いものができるよ」などと天下りに降ってくるわけではなく,基本的な例に共通する性質を抽出してまとめたものだ.それはいいのだが,そこに留まるとちょっと困ったことになる.

 つまり,公理系のもとになった例の刷り込みが強すぎて,そこから抜け出せなくなることがある.この例でいえば,ベクトル空間の公理系を

数ベクトル空間$${\mathbb{C}^n}$$に固有の性質
($${\mathbb{C}^n}$$だけが持っている性質)

のようにとらえて,それ以外の例を認められなくなってしまうことがある.つまりベクトル空間を数ベクトル空間$${\mathbb{C}^n}$$だけのように認識してしまって,あとあといろいろなものを「ベクトル空間と見做す」ことができなくなってしまう.ぼく個人はわりとこの点に躓かずに済んだのだけれど,後々になって,誰でも(かなり理解力の高いと思われる人でも)この状態に陥りうることを知った.

 $${\mathbb{C}^n}$$の性質をまとめて「ベクトル空間」と抽象化・一般化したのは,$${\mathbb{C}^n}$$で展開した議論を他の状況にも適用するためである.定義は

どんな仕掛けがあって(機構)
どんな性質を備えていれば(公理系)
その議論が再現できるか?

を示す規格といえて,例えば$${\mathbb{C}^n}$$の演算関係(加法とスカラー倍)の性質をまとめて規格化したものがベクトル空間の公理系なのだ.

「数字であそぼ」の横部も同じ壁にぶち当たり,あれこれ悩んだ挙句あるところに着地する.

絹田村子「数字であそぼ」第2巻より

 そう「ベクトル空間が先にあって,その要素をベクトルと呼ぶ」のだ.ベクトルとして「数の組(またはそれを図示する矢印)」のみを考えていると,ここで躓く.あくまで演算を備えた集合があって,しかるべき公理系をみたしていれば,それが何であろうとベクトル空間と呼んでよいのである.そうして,ベクトル空間の要素を(用語の便宜上)ベクトルと呼んでいるわけだ.だから,多項式であろうと数列であろうと函数であろうと,かなり多くのものにベクトル空間の構造を定めることができる.定数倍の「定数」の範囲を変えれば,さらに多様なベクトル空間の世界がそこに広がる.

 ところで,$${\mathbb{C}^n}$$には演算以外の機構も備わっている.例えば点の遠近を表す距離も定められるし,そこから位相も定義される(位相はだいたい「点と点のつながり」を表すものといえる).単なるベクトル空間には距離や位相に関する議論はすぐには移植できない(対応する機構が導入されていないので)が,独立して距離空間や位相空間という規格に昇華されているし,ベクトル空間に演算と(整合する)距離や位相を積み増して「より特別なベクトル空間の規格」を考えることもできる.

「集合論」の公理系?

 ベクトル空間の「規格化」はわりとすんなり乗り越えたぼくが躓いたのは,集合論の公理系だった.

「現代数学はおおむね集合論を基礎として構成されていて,
集合論はZFC公理系によって形作られている」

と言われる.さて,これはどういう意味だろう? ぼくはここで躓いた.

 ZFC公理系というのは,上のベクトル空間の例に倣えば「集合論の規格」のひとつである.集合論の規格には他にもいくつかあるが,他のものはぼくはよく知らない(ZFC公理系も「よく知っている」とは言い難いが)のでここでは触れない.とりあえずZFC公理系という規格があって,その規格にあてはまる集合論を活用すると,現代数学がかなりの精度で再現されているらしい.ぼくはイチから確認していないが,とにかくそういうことらしい.

 ぼくはここで躓いた.この「ZFC規格にあてはまる集合論」をぼくはきちんと掴んだことがなかった.代わりにぼくが頼っていたのはいわゆる素朴集合論というやつで,集合を漠然と「ものの集まり」として捉えるやりかただ.

 素朴集合論はすぐ矛盾を生じる.「ものの集まり」という定式化が漠然とし過ぎているからで,ただ何の気なしにものを集めるとすぐに大きくなり過ぎて破綻する.例えば「自分自身を含むか否か」などの自己言及を絡めてものを集めるとすぐ矛盾する.そうならないように「集合論」をきちんと規格化しようと考えられたものが公理系なわけだ.それはわかっていた.そして,公理のそれぞれも「ふんふん」と読んで「そういうことなのね」と読んでいた.しかし頭の中にあったのは依然として,漠然と「ものの集まり」という素朴な集合観に囚われていた.今ならわかる.そりゃ破綻する.

 ぼくの失敗は,「集合論の公理系」を,素朴集合論から矛盾を追い出すようにその性質に工夫を加えてまとめたものと捉えていたことで,つまりは素朴集合論以外の例を認められなくなっていたわけである.「ベクトル空間の公理系とは$${\mathbb{C}^n}$$の性質をまとめたもの」と考えているのと大差ないことが分かると思う.見事に公理系を「あるモデルを特徴づけるもの」と勘違いしていたわけだ.

そうはいっても,公理系の中には
「その公理系をみたすモデルは本質的に1つしかない
=公理系があるモデルを特徴づける」
ものもある.例えば実数とか自然数の公理系がそうだ.言われてみればそれはそうで,数の体系が人によって違っていたら数学をやる上でひじょうに困る.

そういえば,公理って

 ここまで書いてしまってから,そういえば「公理」という語にはちょっと意味深な説明があてられることを思い出した.それは「公理とは証明しなくてもよいほどに明白な主張」というもの.失礼な引用で恐縮だが,テレビ番組『笑わない数学』では公理を「めっちゃカンタンな、超当たり前のことがら」と説明している.

 かつては確かにそういう意味合いもあったのだろうが,それがまた現在の「公理の扱い」への誤解を引き起こしているように思われる.

 この手の話でしばしば引き合いに出されるのが,ユークリッド『原論』における幾何学の公理系である.全部で5つあって,そのうちの第5の公理(平行線公理とも呼ばれる)が問題の公理である.他の4つに比べて主張が込み入っていてとても明白には見えない,なんとなれば他の4つから導けるのではと多くの人がチャレンジした.

 私見では,この問題意識はユークリッド自身(と同時代の人)には既にあっただろうと思う.というのも,天下りに5つの公理を導入して「これらだけで幾何学ができます」と宣言したようには考えにくい.諸々積み上げられた幾何学の体系を再構築するのに必要な主張(最初はたくさんあったのだろう)から,あれも要らないこれも要らなかったと削ぎ落としていって,5つの公理が残ったのだろう.であれば,ユークリッド自身が「平行線公理がさらに削ぎ落とせないか?」という疑問を抱いてもおかしくない.

 この問題は,18世紀になって

平行線公理に代えて,その否定を加えた
「5つの公理」からも豊かな「幾何学」ができる

とわかって結論が出た.つまり平行線公理は他の4つから導けないどころか,まったく「明白に正しいことがら」でもなかったし,だとすれば「公理は正しい」という言い分にも疑問符が付いたように見える.

 とはいえ,別にそれで「公理」という概念が破綻したわけではなく,今の方がむしろ活用されている.「公理は証明しなくてもよいほどに明白な主張」という考え方が潰えただけだ.公理は「理論の前提となる主張」で,その理論の中では証明抜きに正しいものして扱われるが,実際にそれが「正しい」かは問題にしないという扱いになった.

 ひとつ例を引こう.ぼくの専門は「環」と呼ばれるもので,ベクトル空間と同じように考えるならば

  • 器となる集合

  • 機構である演算(加法・乗法)

  • 演算がみたすべき公理系

によって規定される.ここで,公理系に可換性を加えるかどうかで理論はまったく変わるのだ.

 可換性をみたす(可換性を公理に含む)環を可換環といい,そうでない環を非可換環という.可換環の例は整数環や函数環,後者の例は行列環である.可換性が成立しない環の例がある以上,可換性の主張は「あらゆる環に対して正しい」ものではないが,可換環は(まさに可換性のゆえに)非可換環とは異なるアプローチで観察でき,ひとつの理論として進化している.

 先の比喩で言えば,「環」という規格の中に「可換環」という特別な規格があって,その特別な規格には特別な活用法があるのである.

 そんなわけで,公理系を「正しい・正しくない」で捉えるのは無用な混乱の惧れがあるのでお勧めしない.思い付きで喩えたが「規格」というのは悪くない比喩だと思う.ベクトル空間の規格に合致するものをベクトル空間として扱う(扱ってよい)のである.それが何であろうと,今持っているベクトルのイメージに合致しなかろうと,問題ではない,とするのだ.

終わりに

 これから数学を学び始める方に宛てて,数学特有の「公理系をみたすもの」という定義について,ぼく自身の失敗も加えて書いてみた.思い返してみると,自分が抱いていた刷り込みもかなり強固だった.刷り込みというのはそういうものなのだろう.ましてベクトル空間論(線型代数)における$${\mathbb{C}^n}$$の位置づけはかなり重要かつ典型的であって,他はさておき$${\mathbb{C}^n}$$は計算できるのはものすごく重要な理解の1ステップではある.それゆえに刷り込まれてしまうのも理解はできるのだけれど,もし可能なら少しだけアタマを柔らかく構えてほしい.数学の先生たちが何を言おうとしているのか.多少はわかりやすくなると思う.

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