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性被害にあった話を思い出したら、話たくなった

私の身体を生きる

を読んだ。


わたしは性被害にあったと

今の時代背景だったとしても
あの頃の私は大きな声で言えただろうか。

娘くらいの年に、父親の友達家族の息子に性器を触られた。おそらく彼は当時中学生くらいか。


今せいきと入力したら、全然出てこなくて下の方にあった。


せいき、性器。まず普通はあんまり使わない口語文だもんな。

話が逸れたが、あの頃の私はこんなにも幼かったか。


小2の性器を触る と言葉にすると、とんでもなく恐ろしく凶悪に感じる。

あぁ、私は怒ってるのだ。
あの頃から数年間は彼の立場に立ち、
お年頃だもんな、触ってみたいよなあ。
と同調した。

忌々しい。吐き気と憎悪と叫び散らして殴りたい衝動が今湧き出てくる。

今は違う。なぜ彼の立場に立った?
なぜわたしは小2のわたしの立場に立たなかった?

自分を大事にするということがすっぽぬけていた。


『友達に優しくしましょう』

という呪いが私を切り離してしまっていた。


今は母親の立場で考える。

自分の娘が悲惨な目に遭って欲しく無いと願う。

自分の娘が、性に関して何も不自由なく苦痛なく暮らしていって欲しいと願う。

それはあの頃の自分を投影していて
あの頃の自分を救いたいからだろうなぁ。


トラウマを掻き消すようにレイプものの創作に興奮を覚えるようになった。


私はレイプこそされてはいないが。

力では敵わない男と女の性差

中学生と小学生の身体の大きさ

信頼して大好きだったお兄ちゃんがまさかこんなことしてくるはずない、絶望感


恐怖を覚え
声を上げれず混乱の中、固まるしかなかった。

何も無い顔をしてお母さんとお父さんが歌うカラオケボックスの中を窓ガラス越しにみていた。背後から触られながら。

悔しかった。お母さん助けてよ、
お父さん、なんでこんなところ連れてきたん?

声をあげればよかった。


声を出せなかった。

自分を正当化するよりも、

性器を触ってきたあいつが悪い。白か黒かでいうと漆黒じゃボケ。


もしかして、レイプもので自分を慰めるのは
自分にセカンドレイプしているのかな?

『嫌やったけど、本当は興奮してたでしょ?』

って、暗示をかけて

『そうかもしれない。』

と。
天性のマゾ性とかけ合わさってちょうどいい具合に混ざり合ってシェイクされたものが、私と言う人間なのか。


答えは一貫してなくていいと思う。

だってどっちの気持ちも私だもん。


当時の彼は人の親になっている。

全然会っていないので、今はどのくらいおじさんになってるかわからないし、
娘の親か息子の親になったかは親づてに聞いたが忘れている。


ただ、私は願う。
お前の大切なものを踏みにじられて、
お前の娘も同じもしくはそれ以上に悲惨な目に遭えボケと思うけど、
その復讐は果たして私は救われるのか。

それは人の親になってわかるが

自分に酷いことをされるよりも

自分の娘や息子が酷いことをされる方が心と身体が八つ裂きにされるように辛いのだ。

と、同時に世界中の子供は守られる存在であって欲しいと本気で思う私もいる。


今私ができることはなんだろう。


あの頃の気持ちをもう一度なぞって

怒り、苦しみ、悔しがり、悲しみ、正当化せず被害者ぶり、

親になった私があの頃の小2の私を抱きしめてあげることだと思う。

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