見出し画像

お母さんと呼ばないで

みーちゃんを出産後に、「お母さん」と他人から呼ばれる機会が多くなった。みーちゃんにとって私は「お母さん」であるが、他人の「お母さん」ではない。米国では、子供の母親を他人が"Mother"や"John's Mom"などと呼ぶことは、あまりない。公的な場所では、"Ms._______"と呼ばれるし、子供の母親同士ではファーストネームで呼び合う。文化の違いだと言われてしまえばそうだが、私はこの「お母さん」と呼ばれる際に「良いお母さん」としてのプレッシャーを与えられているようで非常に重たい気持ちになる。

過去には、教育番組「おかあさんといっしょ」で歌われていた「あたしおかあさんだから」の歌詞が大炎上した。大炎上はしたが、日本では「あたしお母さんだから」の歌詞で述べられているようなお母さん像が求められている気がする。私は出産後も働いているし、キラキラネイルもするし、ダメージデニムにドクロのTシャツ着るし、仕事のない日は昼まで寝てるし、子供の興味があるキャラクターを覚えたりもしない。保護者としての養育責任は果たすが、子育ては自己犠牲の上に成り立つとは全く思わない。子供と親とは、対等な関係でありどちらかの犠牲によって成り立つ関係は、幸福でない気がする。子供にとっても、母親が自己を犠牲にして子育てすることは重いのではないだろうか。

ちなみに、私は他人から「お母さん」と呼ばれることはほとんどない。夫とは、お互いの名前で呼び合っているし、みーちゃんの通うインターでは保護者は全て"Ms.__/Mr.____."で呼ばれている。保護者たち同士は、お互い下の名前(日本人の場合は、下の名前+さん・ちゃん)で呼び合っている。そして、「お母さん」と呼ばれたら「〜と呼んで頂けますか?」と訂正している。面倒くさい人だと思われようが、自分の名前で呼ばれることは譲れない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?