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米国ライフ:英語力より精神力

人の目を気にしない〜笑われても話せ

私が英語を学び始めたのは、13歳の頃だった。父親の海外赴任に伴い、居住地を英語圏(米国)に移したためである。英語を全く勉強することなく渡米したため、当時は自分の名前をローマ字で書くことにも不自由した。最初の数ヶ月は、英語が分からないため意思疎通を行うことにも苦労した。私が入学したBoarding Schoolは、アジア圏の富裕層に人気な欧米エリート養成校のような学校だった。英語ゼロの私とは異なり、日常英会話を流暢に話すクラスメイトからは徹底的に馬鹿にされた。口を開けば、親切そうに聞くフリをしながら蔑視するクラスメイトを横目にカタコト単語とジェスチャーで話しまくった。

戦え〜ステーキ事件

ある日の夕食の際、大皿に盛り付けられらステーキを順番に回して各自が自分の皿に取るというのスタイルだったのだが、私だけ順番が回ってこなかった。何度も、”Me, Me”と言ったのたが無視された。”Could you please pass the steak?”と言えなかった私には、ステーキを回さなくても問題にならないと計算していたのだろう。この手の意地悪は何度かされていたため、ブチギレた私はステーキ皿を持っていた子からステーキ皿を奪い去りテーブルにステーキ皿をぶちまけた。直ぐに先生が飛んで来たが、”Accident, Accident”と言い切りそれ以上追求されることはなかった。エリート教育を幼少期より受けてきたクラスメイトは、想定外の行動に弱い。そして彼らは、暴力的な言動や野蛮な行為を受けたことがないためすぐに応戦できない。ステーキ事件以降、私のカタコト英語を無視すればブチ切れるという噂が出回り寮内で私の英語を無視する人は居なくなった。

話し続けて〜1年後

カタコトとジェスチャーで英語を話しまくった結果、相手の言うことも少しずつ分かるようになってきた。私に話しかけてくれるクラスメイトもチラホラ出てきた。授業中は、相変わらず馬鹿にされ続けたり、グループワークの際には自分だけ分担をさせて貰えなかったりしたが、ひたすら話し続けた。すると、英語にも慣れてきすんなりと耳に入るようになった。通っていたBoarding Schoolでは、毎年最も英語が向上した学生には最優秀が授与され、デザートに連れて行ってもらえる制度があった。そして、私は英語が最も向上した学生として表彰された。入学した時には、英語力が1番低かった私が1年後には英語でコミュニケーションが出来るようになったということが理由らしい。

当時を振り返る〜25年後

最近、当時のBoarding Schoolで共に学んだ友人が来日し食事をした。その際に言われたのが、"I still remember the steak incident. You were the first Japanese person to actually fight, you know." そのBoarding Schoolでは、日本人は数人、中国人や台湾人数十人、韓国人数十人、その他数人、という日本人が圧倒的マイノリティーであり、私が来る前にも何人もの日本人学生が馴染めずに辞めていったらしい。彼らに対して戦いを挑んだのは、私が最初の日本人であった為、今でも覚えている寮メイトは多い。日本人は海外の多くの地域ではマイノリティーとなり、蔑視され、差別され、笑われ続けられながらも、生き抜かなければならない。その際に必要なのは、流暢な発音で英語を話すことではなく、強靭な精神力でなないのだろうか。



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