DX(デジタルトランスフォーメーション)と効率化と新しい資本主義

2年ほど前にこんな記事を書いたが、私は基本的に業務の効率化を目的としたDX推進には懐疑的である。そしてその想いははこの2年間で、減るどころか、ますます強くなっていく。理由は、業務効率化の行き着く先は「リストラ」と「歓迎されざる人事異動」だからである。

高度経済成長期において、業務の効率化は大きな武器であった。8時間で100台の自動車が生産できるところを、4時間で100台の自動車が生産できるようになれば、そのまま倍の数を生産することが出来、倍の車を売ることができた。これはそのまま売上が2倍になることを示す。

しかし、バックオフィス業務は別である。100時間で完了していた1ヶ月分の経理の仕事が50時間で完了したからといって、残りの時間で来月分の経理の仕事をする訳にはいかない。また、バックオフィス業務だけではない。「需要」 < 「供給」となったポスト高度経済成長期において、単純に生産数を倍にすれば、売れる数が倍になるという数式は成り立たなくなっている。この場合も、生産能力が上がった分をそのまま生産増に当てはめることは難しいだろう。

この場合企業には2つの選択肢がある。浮いた時間で別の仕事をさせるか、雇用を削減するか、である。

一見、浮いた時間で別の仕事をさせる、というのは妙案に見える。DXを推進する企業の多くは、社会通念上、リストラのためのDX推進とは言えないので、社員を「誰でもできる仕事(コモディティ化した仕事)から創出価値の高い仕事へ転身させる」というような言い方をする。

だが、大抵の場合この転身はそんなに生易しいことではない。経理の人材のスキルセットはマーケットの人材やIT人材のスキルセットとはまるで違う。畢竟、多くの人材は無茶な職種変更に苦しむこととなる。もしくは空いた時間で、無理やり価値の低い仕事を無理やり創出することになるだろう。(予算が余った、リソースが余ったという理由で謎のAIや機械学習のプロジェクトを立ち上げるケースもあるが、そのようなプロジェクトが実のあるものになることはない)

実は私も以前は業務効率化を目的したDX推進に近い仕事もしてきたが、日本でDXが進まない根本的な理由は、業務効率化は多くの人々を幸せにしないからだと考えている。

少し論点はかわるが、そもそも、今のテクノロジーレベルであれば、標準労働時間を8時間からもっと短縮すべきのはずだ。ところが、経済界も政府も労働時間の標準を8時間から減らす気はないらしい。時短労働や週休3日の導入は増えているが、いずれの方策も給料の削減や出世コースからの脱輪などの一定の制限が課されている。これまで8時間で作れた価値が6時間で作れるようになったのであれば、何の制限もなく標準労働時間が8時間から6時間に短縮できるはずである。だが、社会がそれをする気がまったくない。これでは業務効率化に基づく労働時間の短縮は企業の人件費(コスト)削減の方便の域を出ない。

現代の資本主義社会が「生産効率をあげることで生産量を増大させる」ことの追求を取りやめ「空いた余暇を以下に豊かに使うべきか」に重きを置くようにならない限り、業務効率化は真の価値をもってこず、リストラの推進のための方策の一つにしかなってこないだろう。私は業務効率化の真の価値とは「人間を単純労働の長時間労働から開放し、より創造的なことに費やせる時間を増やすこと」にあると考えているが、そこに辿り着く道は現状の多くの業務効率化を目的としたDX推進からは見えてこない。

また、これは完全に余談だが、先日、山口周さんのビジネスの未来、という本を読んだ時、製品やサービスの供給が人間の欲望の臨界点近くまで達した現在においてどのような価値観をもってこの資本主義を生きていくべきか、ということがテーマに書かれてあった。私は、現在の資本主義おかれた状況の見方は私は山口周さんと完全に同意見である(対策部分については全てが腹に落ちているわけではないけれど)。

いずれ、現代の資本主義をどう生きるか、についてもNoteで書いていきたい。

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