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神様の仕業

選択の所在

 僕は神様がいると思っている。自分が行った大学、自分が選んだ就職先、自分が選んだ恋人、自分が出会ってきた人、自分がカフェで選んだドリンク。
 自分が選択したように感じるけれど実際は神様が初めから運命を決めていたんじゃないかな。

 極論を言えば、このブログをあなたが読んでいる事。この時間、出来事さえも。全ての物事を最終的には自分が決めていると多くの人が思っているだろうけど、僕の考えは違う。

全ての物事、タイミングは神様が最初から運命を決めているんじゃないか。

成長プログラム

  思い返すとたくさん神様が与えてくれた場面、局面があった。

・公式戦に出場した事のない主将の感情。
・それから初めて公式戦に出られた時の感情。
・あのミスをした時の感情。
・自分の事を優先してしまっていた時の感情。
・あの時もっと客観視できていたらと思わせてくれた感情。

 挙げればキリがないけれど、サッカー以外にもたくさんの感情を抱かせてくれた。みんなも絶対にあると思う。これは自分が生まれた時に神様が立派な人間にするために宿した独自の成長プログラムなんだと思った。

 だから、人の数だけ成長プログラムがあって、全員違うものを持っていて、プログラム通りに人間は成長していくんじゃないのかな?自分が何かの出来事で変化することさえも決まっているんじゃないのかって。

 なぜそんな事を思うか。

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全てはタイミング。それも必然。

 僕には最高の彼女がいます。毎日、たくさんの刺激や愛をもらい、僕とは違った視点から物事を捉える、本当に尊敬できる人です。そんな話は置いといて。

 僕は大学時代サッカー部に所属していて、友達J君は彼女を何度か試合に呼んでいました。その彼女と一緒に見に来ていたのが今の僕の彼女(僕彼女K)です。ここまでならまだある話です。
 しかし、友達J君は、僕彼女Kを紹介しようか?と1度言ってきたことがありました。でも、僕はその時に断りました。その後、月日は経って大学の引退試合の時にも見にきていて、試合後、友達J君が僕を呼び出し、初めてその時話して今に至っています。

 惚気話をしたのではなく、全ては決められた運命に沿っていたという事。もっと簡単にすると、あの時断ったのは偶然ではなく、決められた運命に沿っていたとすれば必然だったという事。

 もし紹介してもらったタイミングで出会っていたら付き合っていなかったかもしれないし、J君が僕を呼んでいなかったら、僕がその時そこにいなかったら、僕彼女Kが来ていなかったら・・・。

 これは僕だけに限らず、先輩はお母さんとお寿司を食べに行きました。そこに幼馴染みがいました。その幼馴染みと一緒に来ていた女性と付き合っています。

 そう、全てはタイミング。それも必然に。

神様の決めた事

 完全に宗教みたいになっているけれど、必要のない事は成長プログラムには組み込まれていないという事。

 運命は決まっているからといって努力しないでいいのか!!なんてアンチなコメントがくるかもなので弁解しておくと、そこで努力をやめてしまう事も運命で決まっているのかもしれない。

 神様にいつも見られているという意識を。成長プログラムをアップデートできるのは自分の可能性を信じて行動できる人だけ。

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先日のInstagramでアンケートに協力してくれた方ありがとうございました。以下が世間の意見なので僕の考え方は参考までに。


自分の名前で生きて行く。大海が居るから大丈夫。がコンセプトです。将来起業し、自分のマインドをたくさんの方に伝えていきたいと思っています。 よろしくお願いします。