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何故私は、私の親を選んで生まれてきたのか?×暴露 闇ネタ Vol.1

そろそろ色々な意味で時効かな、
とも思うので、
『暴露闇ネタ』書きます。笑😝

📢ここから先
もしかすると人によっては
痛みや不快感を感じてしまう
可能性があるので、

ご自分の判断でストップ‼️
自己責任で読み進められて下さいまし🙏😉

しばらくの間
めっちゃ暗くて重いお話が続くので、
これもひとつの物語だと思われて下さいね。

では、はい、闇物語始まりま〜す‼️

まずは大きな爆弾から〰💣💥笑


私は、物心着く前から
実の父親にいわゆる'' 性的虐待''を
受けて育ってきました。

(ね、大きいの来たでしょ?!😝)

それはどちらかと言うと酷い感じではなく、
良い様に言い方を変えれば、
''身体を可愛がられていた''
感じかもしれません。

ここで嫌悪感を感じた方、
冒頭で書いたように、
自己責任でストップしてね🙏

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

あまりにも早い時期に
始まっていたのでしょう、
その始まりに覚えはなく、
逆に
それが当たり前のようになっていました。

なので幸い、
始まりのショックはありません。


物心が着く頃になると
それは普通では無いと分かってきたのですが、

「誰にも言っちゃダメだよ。
ママにも言っちゃダメ。」

と言われ続けていた私は、
ただひとり
秘密の中で生きるしかありませんでした。

そう、秘密のアッコちゃん。
兎に角それが、辛かった。


父は、それ以外は''素晴らしい''人でした。
ダンディでお茶目で外見も良かったので、
女性からも良くモテた事でしょう。

「あなたのパパは、
バスローブとウィスキーと葉巻が似合いそう」
と言われる雰囲気、と言ったらわかりやすいかもしれません。

(これだけ書くと、格好いいよね🤣)


私は、父の事も母の事も大好きでした。

でも毎晩のように、
いえ、時には夜でなくとも
'' 秘密'' は繰り広げられ、

私は外側にむけている顔と
内側での葛藤との狭間で生きている子供でした。


外から見ると、裕福で、恵まれた家。
渋谷から15〜20分程の都心なのに
緑の多い住宅地で、
高い塀で囲まれた
300坪ほどの敷地に立つ大きな家。

その界隈は
ほぼ皆そうであるように
父の名前の書かれた表札がでん!と表示され、その横に松の木が立派にそびえ立つ。

春になると
門までの石畳を桃色に色付けてくれる遅咲きの八重桜、
淡い紫色のグラデーションを持つ藤棚や白い花をつけるサルスベリの木など、
様々な木々が広い庭を豊かに美しく彩り、

裏庭にはグミの果実をつける木や
天然の水が湧き出てくる井戸があった。

その冷たくて新鮮な湧き水のために
地域の避難場所に指定されていた場所でもあった。

そんな家の門構えを筆頭に、
この'' 箱'' の中では学歴や肩書き、
血筋などが重んじられ、
いわゆる世間的に''優れている'' と錯覚されたものみが許される暗黙の了解があった。


私の個人的な好みは
往々にして受け入れられず、
要求されるのは
それらしい服や振る舞い。

(反発していた私は、
コインロッカーに服を隠し、自分の好みの服に着替えて出かけていました😝)


このように整えられた
様々な体裁の裏にあるのは、
「誰も知らない」、秘密の毎日。

鎖された心と、口。

私は、全てに関して
《縛られている》と感じていました。

私という存在が
'' 私'' として扱われるよりも、

家族の末っ子の、唯一の女の子、
女性と言う性を持った身体の構造。

として扱われる、
それはまるで、魂のない、
ただの人形にだってなり得る存在。


「私の本当の居場所は、どこにもない」

私が安心できるのは自分の部屋だけ。
そしてその空間さえも、
秘密の場所になる。


助けを求めることさえ禁じられているので、
誰にも守ってもらえなかった。

いや、助けを求めたところで、
この窮屈な苦しさをわかってくれる人など
いるわけがない、
という絶望的な気持ちさえ持っていました。

そして、外では、
何もないような正常な振りをする自分。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

そんな中、
頼りにできるのは、自分だけでした。
自分の直感と、心の奥底にある光だけ。

これは、何かが違う。
この暮らしは、本当の私ではない。
本当の私は、
報われるのを待っているはずだという、
何かを信じる気持ち。


反面、葛藤の中でもがきながら
日記に綴られる言葉。

助けて。助けて。お願い!助けて!
自由を下さい。
私を自由にして下さい。

見せかけじゃなくて、
作り物じゃなくて、
本当の愛をください。

お願い。助けて。。。

それらは時に、
こぼれる涙で
滲んだ文字になりました。

誰にも言えなかった。
誰にも言ってはいけなかった。

更に門限が厳しくて、
友人たちが外で遊ぶ中、
少しでも時間が遅いと迎えに来る母。

その事も重なって
私とは遊んでくれなくなる友人。

いじめ。

親友と思っていた子からは、
「どうせお嬢だから」
と、投げゼリフを言われて
四面楚歌のような孤独の中に陥った。

想いが叶って
大好きな男の子と付き合い始めた直後
何故か突然振られるも、

実は母がその男の子に
「うちの子と付き合わないでください。あなたとは釣り合わないでしょ?」
と言ったと判明。
(母の操作は、10年後にその彼に聞きました。)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

この痛みと傷、どうすれば良いんだろう。
この、やり場のない感情、
どこに向ければいいんだろう。

私は、知識に応えを求め始めました。

今のように
インターネットがある時代ではなかったので、
図書館に行き、本を読み漁ったのです。

歴史を学ぶことで、
封建制度と我が家とを結び付けることによって人類の社会を'' 理解''し、

心理学を学ぶことで、
心の分析と葛藤の扱いを'' 理解'' し、

精神学と哲学を学ぶことで、
人間を超えた真理に触れ、
意識が拡大するという事を
''理解'' していきました。

でも、知識や理解は、
心を越えられなかった。

ナマの心を扱うには、
本気で向き合い、
本気で自分に寄り添うしかありませんでした。


私は、逃げない。
自分の人生から、逃げない。

そう心に決めて、
自分の人生を自由に生きるために、
何も
誤魔化したくなかった。


私には、
魂の底から幸せを感じる権利がある。
それをわかっていたから、
表面的な幸せに甘んじなかった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

実際、表面的な幸せは沢山ありました。
前述のように、物質には恵まれていたし、
学校も大好きでした。

親は、親なりにベストだと思う事を
全て与えてくれていたのも事実でした。

あらゆる事を
一生懸命サポートしてくれていました。

『私が望む形での、ある、心のサポート』
以外は。


高校生の時、
兎に角自由になりたくて
本当の自分を解放したくて、
遊びほうけた時期があります。

(家にあった3つの階段のうちの、私だけが使う階段からこっそり降り、門限外の時間に内緒で出かけていたのです)

その事がバレてしまった時、
親は私に
「人間失格」という言葉を使いました。

(太宰治氏、まさかの場面で登場‼️😅)


「私が、人間失格ですって?!  有り得なさすぎる!」

過剰な干渉、過剰な過保護、そこから出ようとすると人間失格?!そして、口には出せない秘密のストーリー...

これって、いわゆる『毒親』?!?!

自分の親が毒親と思いたくなくて、
それを認めるのにも時間がかかりました。

実際、一方で、素晴らしい親だと思う事も多々あったからです。

(歳をとって、過去の彼らではなくなっているのも事実だし)

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毒親系の本には、こういうのも典型的な、毒親を認めたくない子供の言葉とも書いてありますが、もうこれは、論議を交わすにも答えの出ない感情の迷宮なり。😅


でもね、この後トドメが来ちゃうんですよ。
トドメ。

さあ、長くなってきたのでトドメは『Vol.2』で☆彡

Vol.2へ続く。😘
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