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不登校の子と、卒業式

こんにちは。麦原です。

幼稚園の送迎中に、梅の花が咲き始めているのを見つけました。
この時期になると、数年前に6年生を担任していたときのことを思い出します。

当時担任していた不登校の子は、別室登校や放課後登校を頑張っていました。
卒業式についても、お家の人や本人とたくさん話をして「欠席する」ことが決まりました。式の後にお家の人と来校して校長室にて卒業証書を受け取ることになりました。

そこまではスムーズに決まりましたが、問題はそこからでした。
「呼名」についてです。
もちろん、学級の大切な一員であり、卒業生であるその子の名前を呼ぶことは決まっています。ただ、勤務校では呼名のあとに壇上にて将来の目標を発表することになっていました。

大人からすると、
「その子だけは名前を呼ぶだけでいいのでは」と考えがちですが、
小1年生のころから6年生の立派な姿を憧れてきた子どもたちにとってその瞬間は本当に特別なもののようでした。
クラスの子どもたちも「何を発表しよう」とどきどきわくわくしているようでしたし、お家の人たちもわが子の晴れ姿をものすごく楽しみにしているのでした。

不登校のその子も、呼名の後の目標発表について思い入れがあるようでした。…でも当日、出席するのはこわい。

私はその子の気持ちを理解することはできないけれど、とにかく気持ちを知りたいし、一緒に考えたいと思っていました。
卒業式は通過点のひとつであり、担任していた当時も無理に参加しなくてもいいと思っていました。(…立場上あまりはっきりとは言えませんでしたが)「最後くらい出てみようよ」の発言で、今まで頑張ってきたその子が傷ついてしまったらと考えると、そちらの方がよっぽど怖かったです。

なかなか結論が出せず、前日の電話連絡のときに
本人から
「もしできたら、麦原先生が代わりに発表してほしいです」
と言われました。
それまでその子から直接「こうしてほしい」と言われたことがあまりなかったので(いつも遠慮がちで控えめな子でした)、本人から希望を伝えてくれたことがとても嬉しかったのを覚えています。

そして迎えた当日。
呼名の時が来ました。
担任していた一人ひとりの児童の名前を呼び、立派に目標を発表する姿を見ているとたくさんの想いが溢れてきました。…でも今の私の役目は間違いが無いように、丁寧に、一人ひとりの名前を呼ぶことです。
心を静めて、落ち着いて呼んでいきました。

不登校の子の順番が来ました。
ふと体育館の後ろの入り口を見ると、その子とお母さんが立っていました。

…来てくれた。
その姿を見た瞬間、こらえていた気持ちが溢れて涙が止まりませんでした。

泣きながらになってしまいましたが
私はその子が教えてくれた素敵な目標を、その子が考えた言葉で代わりに話しました。

不登校の子のゴールは復学だけではないと思っています。
自分らしく、自分の進む道を見つけること。
私はそう思っています。

あの時、どうしてあんなに嬉しかったのかというと
「卒業式に出席してくれたから」
ではなく
「どんな形で卒業式に関わるかを、自分なりにたくさん考えて実行してくれたから」だと思っています。

また、お家の人にとって
「出席することが全てじゃない」の気持ちと
「わが子が卒業式に出席してほしい」の気持ちは
どちらも本心であり、ものすごく葛藤があったと想像します。
それでも本人の意向を一緒に実現してくれた姿、本当に感謝でした。

終業式や卒業式。
学校生活の区切りを迎える季節は不登校の子どもやそのお家の人にとって
心が揺れ動く時期だと思います。

「自分なりの関わり」を考えて
納得して進んでいけますようにと願います。

無理する必要は全くないと思います。
どうしたいかを本人が自分の言葉で言えたら、それはその子にとって少しずつでも前進しているのだと私は信じています。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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