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【不登校】やりたくないんじゃない。

寒い朝の学校。
下駄箱の前で座り込む女の子と、立ち尽くしているお母さん。
低学年の女の子は、小さな赤ちゃんのように泣いていました。

通りかかった私は一時間目の授業のために自分の学級に急いでいるところでした。
「どうしたの?寒いから、こっちに座ろう。」とカーペットのあるところまで背中をさすりながら案内することにしました。
担任している子じゃないので、詳しい事情は分からなかったけれど
その子とそのお家の人がなんとかここまでやってきて
これ以上がんばるエネルギーが少なくなっていることは感じられました。

担任の先生が来るまでは、せめて温かいカーペットのところで
ゆっくり待っていられたらいいなと考えての行動でした。

廊下を3人で歩いていると、向こうからその子の担任の先生が足早にやってきました。私よりもずっとベテランの女性教師です。
「よかったね。先生きたよ。」とその子に言おうと思った瞬間、そのベテラン先生は私にこう言いました。

「構ってほしくてやってるんだから、そう簡単に手をかしちゃだめよ!」

私は何と言っていいか分かりませんでした。
教室に行きたくなくて寒い玄関で大泣きしていた女の子。
その子は「構ってほしくて」泣いているのでしょうか…?
あまりのショックにその子と一緒に私も固まってしまっていたと思います。

気が付くとそのベテランの先生はその子の手を引き、教室へと歩いていきました。お母さんは私に会釈をして、そのあとを付いていきます。
教室まで付き添い登校をしているのだと思いました。

通りかかりの私には分からない事情があったのかもしれません。
ベテラン先生とその親子の間には言葉を超えた信頼関係があったのかもしれん。

でも
それでも私はやっぱり納得できませんでした。

学級に行きたくないと言葉で言っても聞いてもらえず、「甘えている」などととらえられて…SOSが届かないあの子の気持ちを想像したら
胸が苦しくてたまりませんでした。

どんな思いでお家の人は朝、学校に向けて出発してわが子の登校に付き添い、そして帰っていくのかな。そう思うと、しばらく動けませんでした。

先生の気持ちとしては、「その子に頑張ってほしい」「みんなと同じ学習をしてもらいたい」というものだと思います。その点は私も同じですし、お家の人も、何より本人もそうだと思います。

でも、できない事情があるから困っているんです。

みんなと一緒に勉強したいけれど、できない。
毎日学校に楽しく通いたいけれど、できない。

不登校の子自身が一番強く思っていることだと思います。
でもできないから自分を責めてさらに心を痛めています。

不登校の子の行動だけを見て
「甘えている」とか「やりたくないことから逃げている」と勘違いしてしまうと、
よかれと思った対応でさらに子どもを傷つけてしまうことがあると思います。

やりたくないわけじゃない。
今はできない状態だということ。
一つの側面からだけ不登校の子の心を決めつけるのは危険だと感じました。

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