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瞑想が難しくて泣きそうになった話

『マーヤという幻想の雲を取り払い

青い空を見なさい。』

私が最初に習った瞑想の一節です。

。。。意味が理解できませんでした。

雲が去れば空が見える。

うん、それは分かる。

でもその取り払い方がわからない。


そこから色々な人のレッスンや

ワークショップを受けてみたけど

それでもわからなかった。

なぜなら

目を閉じれば考え事が浮かんできたから。

それが雲なのはわかる。

雲を取り除けば空があることもわかる。

そのうちになんとなくだけど

雲を消せたような気になる。

そして、またこう言われる。
 
「静かになることと
静かなふりをすることは違う。」

おっしゃる通り。

私がやっていることは静かなふりでした。

長い間この繰り返しでした。

今もやっていると思います。

生きてきた長さだけ経験があるから

記憶はだんだん多くなっていく。

幸せなもの、かなしいもの、くるしいもの、

楽しいもの、どんどん増えていく。

だから人生は楽しいのだけれど、

その記憶に押しつぶされそうになる日が

ときどきある。

だから、静かな時間を過ごしたくて

瞑想をしてきたけど

その瞑想でまた雲を増やしたりもした。

そこで降参してみた。

もう難しくて無理です〜と

両手を上げて降参したら

ふっと気持ちが軽くなった気がした。

そんな時『流れゆく考え事を傍観しなさい』

と師匠から教えてもらった。

‥‥自分は川の前に立っていて

川の上を流れる小舟を見ているとする。

小舟が気に入らないからと

その船に乗ってみたり

色が美しくないと変えようとしたりせず

ただ見る人

傍観者となる‥‥

少しずつだけど

流れてくる小舟に飛びついてしまっても

その自分に気が付いて

よいしょと岸に戻れるようになった。

いまでも小舟に飛びついて

馬乗りになってしまうこともあるけれど。

一通り大騒ぎしたら戻れるようになった。

瞑想をすんなり理解する人もいるのだろう。

私は遠回りするタイプだった。

遠回りしたからわかったこともあったから

それをこうやって誰かに話せることに

しみじみ感謝している。


この話は失敗の連続だったので

シリーズ化にしておきます。

私とどこか似ているあなたへ

読んでくれてありがとう。ありがとう。

romi

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