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なんでこんなにも疲れやすいのだろう

今日とても楽しい授業を受けた。平和について考える授業でナウシカの漫画版から自然をコントロールすることとはどういうことかとか、人間は論理と自然の間に生きてるとか、障害者を障害者として扱うことは障害者のためなのかとか、構造的暴力とか、文化的暴力、、などなど

珍しく私が学びたいことだらけの授業だった。

なので全力で集中して、全力で考えて、ディスカッションも人とこういうこと話すのが嬉しすぎたからいつも以上に積極的に参加して、数行でいいはずの課題もじっくり考えて、ちゃんと調べることは調べて、喫茶店で2時間かけて作成した。

その次にもやることはあったのだが終わった瞬間一気に脱力感に襲われた。

今、まさにだ。

私は、次にやるべきことがどうしてもできなくて、喫茶店のソファーでしばらくフリーズしていた。

もう何もしてない時間が3時間経った。

その後にやるべきだったことができない罪悪感に苛まれ

なんで私ってこんなに疲れやすいの、なんで私は1つの課題にこんなに労力を使っちゃうの、ほんと効率悪い。このままで本当に大学卒業できるのだろうか、こんな授業一つしかもオンラインで受けて課題一つ終わらせただけなのに、、そもそも大学向いてないのでは、、

と、ネガティブ思考が止まらなくなったので「危ない危ない」と思い、ココにとりあえず今頭にあるいろんな言葉を発散させていただいている。

好きなことでこんなにも疲労感を感じることがすごく悲しい。好きなことだからいくらでもしたいのに、すぐに泣いてしまうほど体と脳みそが悲鳴を上げる。

とりあえずこれを書いているので気持ちが保てているが、これを書いた後、私はまた喫茶店のソファーでフリーズするだろう。何か食べたら元気出ると思うが食欲もない。


これは人間好きHSPつまりHSEの特徴かもしれない、

好きで人間と接するし、好きで人の話を聞きまくるけど刺激に弱いのはHSPと変わらないから本当に疲れる

HSEはマルチタスク得意って言う人もいるけど、まあモードに入ればできるが実はめちゃくちゃ疲れてるし、できない時もある、、

やっぱり大学の授業や課題は多数派の非HSPができる量を課せられるし、社会に出てもそのようなことがきっと多い。ああ将来が不安すぎる。

いくら絵が上手でも、いくら人の気持ちが分かっても、趣味が多くても、喜びや感動を多く感じることができても、正直まだまだデメリット多くないか、、と思ってしまう。非HSPはこういうことを感じないのか、、いいな、と羨んでしまう。

特にそこから自分の人生を楽しめる方法とか、HSPを上手く活かした生き方とかかければいいんだけどまだ私はできない。本を読みまくってもなかなか難しい。


とにかくサボりながら単位もらえればいいか、単位もらえなくても生きてるし、うんうん、それくらい自分を許そう。


さあ、喫茶店でたら何しようか、、喫茶店出れるだろうか。


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