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いつか、山の民、サンカ(山窩)について書いてみようと思っている。

日本には、サンカと呼ばれる人々がいた。


 サンカと呼ばれる人々がこの国に居た。
 漢字だと山窩と書く。当て字だ。
 彼ら自身が、自分たちのことをサンカだと名乗っていたのではない。周りの者たち、警察、行政が山窩と名付けた。良い意味ではない。地域によってはホイトなどと呼ぶ地域もあったようだ。良い意味ではない。蔑称と捉えても間違いではない。
 しかし、彼らは、蔑まれるような人々ではない。少し彼らのことを説明する。
 彼らは、日本の山々を生活の場とした。
 日本の国土は七割を人がほとんど住まない山林が占める。その山林にわずか数万人程度のサンカの人々が暮らしていた。正式に調べられたことはないので正確な人数はわからない。 
 彼らは、一か所に定住せず、時期に合わせて食料や住みやすさを求めて、砂漠に暮らすジプシーが水辺や食料を求めて移動したように、日本の山々を移動しながら暮らした。
 その暮らしぶりから、漂白の民と呼ぶ人も居るし、日本のジプシーと呼ぶ人も居る。


サンカの起源はいつ。


 サンカはいつから日本に居るのだろう。
 それがわからない。
 縄文人の生き残り、応仁の乱や戦国時代に山に逃げ込みそのまま暮らしはじめた人たち、江戸時代の天保の飢饉などで飢えを凌ぐために山に入ったのが始まりなどいくつかの説があるがわからない。
 なぜわからないのか。
 彼らは驚くべきことに文字を持たなかった。
 そして、なんの建造物も残していない。簡単に言えば、彼らは歴史になんの足跡も残していない。故に研究も進まない。
 このまま時間が過ぎれば、彼らは忘れ去られるのみである。
 しかし、彼らは、歴史から存在したことすら忘れ去られても、何も思わないだろう。彼らは、物欲や現世利益に乏しいが、それ以上に、歴史に名を残すことになどなんの欲もない。歴史に名を残す意味すらも理解できないだろう。その無欲さは、現代に生きる私たちには到底理解できるものではない。彼らにあったのは、今を生きる。それだけある。その潔さは感動的ですらある。
 彼らは山に暮らし、その暮らしの上には空のみが存在する。
 彼らに地上の喧騒は関係がない。源平合戦も、戦国時代も、幕末も、第二次世界大戦すら風のように過ぎ去るものでしかなかっただろう。
 彼らの暮らしを見て、彼らは獣だ。という人たちがいれば、それは大きく見れば間違いではないのかもしれない。それほど彼らの暮らしは、我々の暮らしとは懸絶しており、獣たちの暮らしの方に近いと言ってもいいのかもしれない。

彼らはいつまで存在したのか。


 山に暮らす、サンカ。そんな人々が、この国に存在した。いつから存在したのかはわからないけれど、いつまでいたのかはわかっている。
 それは遠い昔のことではなく、昭和の戦後の時代までかすかではあるが存在した。
 戸籍法、教育法などにより、定住し、子供は学校に通うことが厳しく守らされるようになり、あっさりと漂白の民は滅んだ。
 そんな彼らの絶滅を書きたい。
 書かねば、何も残していない彼らは時間が過ぎれば存在そのものが消え去って行く。彼らを書き残しておかなくてはいけない。
 何のために。
 彼らの誇りのために。
 
 しかし、彼らはそれを望むのか。
 望まないだろう。日々を正しく生きただけの彼らは何も求めない。しかし、書かねばならない。彼らの絶滅を誇り高く書かなければ、彼らを滅ぼした我々の物欲にまみれた文明があまりにも汚いものに私には思えてしまう。 
 現代人から見れば、欲望少なく、何も所有せず、名誉も金も必要としない。食料や生活に必要なものは山から調達し生きた。そんな人達が、我々の歴史に存在した。
 そう思えるだけで心に明るいものが差し込んでくるような気がする。

 すでに、いく人もの人たちが、サンカを主人公に小説に書いている。今更書いても目新しさもないし、書き上げ何らかの文学賞に応募しても一次予選を通過するのが精一杯だろう。
 でも、書きたい。
 ここでアップするだけでいい。
 
  

なぜ書きたいのか。


 何故書きたいのか。
 理由がある。
 僕は、子供の頃に見たことがある。サンカの人たちが滞在地としていた場所を。
 サンカは実在したんだ。その時の興奮をそのまま伝えればと思う。
 そこらへんのことを皮切りに書きたい。
 

今日の最後に。


 人間が生きてきた歴史は、戦い続けてきた歴史であり、科学や社会や政治が進化してきた歴史で、偉大な歴史と言えるだろう。
 しかし、少し視点を変えれば、そんな人間の歴史など本当はつまらないものではないか。そんな戦いや進化などをものともせずに日々ただ生きる。
 食べて、子孫を残し、死ぬ。そういう生き方もあるのかもしれない。そう思ってもらえたら成功だと思う。
 小説というのは作り話である。彼らは、何も残していないが故に、史実というものがない。小説でなければ書けない。小説で彼らを作るのである。しかし、全部が全部作り話ではない。サンカという確かに存在した人々の暮らしを想像して作り上げるのである。
 人は、本来、欲深いものであるとするならば、やはり、彼ら、サンカの人々は、私達とは同じ人ではないのかもしれない。そんな思いを常に持ちながら書こうと思う。
 とりあえず、資料をしっかりと作ろう。

それでは。




 

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