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創作大賞小説部門応募作 『山の民 サンカ』 その3 日本にはサンカと呼ばれ蔑まれた山の民が居た。彼らを書き残したい。

その2より続き

滅びたサンカ

サンカは確かに存在した。滅びた時期もわかっている。明治から戦後だ。ほんの最近まで存在したと言っていいだろう。滅びたのは、戦後政府が定住化政策を推し進めた結果だ。
 しかし、その発生については全くわかっていない。古代からの先住民族の生き残り、応仁の乱で町や村を捨てて山に入った人たち、江戸時代の天明天保の飢饉で山に入った人たちなどいくつも説はあるが、実際のところは何もわかっていない。
 なぜ、わかっていないのか。彼らは、文書も建造物も何も残してないからだ。
 ジプシーもモンゴルのゲルで暮らす人達も何かしら残している。しかし数千年も歴史上に存在しながら何も残さず、どの歴史書にも登場もせずに、建物だけでなく、身につける装飾品も残していない。生活に必要なものすら残していない。
 こんなことありえるだろうか。
 戦い、滅びた先住民族は、歴史書に名を残すが、戦わず、何も残さずひっそりと消えていった人たちはどこにも残らない。
 例えば、猿やクマも何千年、何万年とこの国に存在するが、何千年前の猿もクマもその痕跡は何も残らない。それと同じことだと考えればありえる。そう考えればやはり彼らは獣かもしれない。そんな獣に近い生活をする人たちが近年まで生き抜いてきたことを思えば驚くべきことだ。
 現代の我々は生きるだけで、何かしらの記録が残る。デジタル社会の中では、その記録を消し去ることすら難しい。しかし、山中を漂泊し、食べ物も生活物資も山にあり、必要なものはそこから採取すればいいだけの生活を送っていれば、その痕跡は何も残らない。
 サンカの人たちがそんな生活を送ってきたと考えれば、その存在が、歴史上に登場することなく長い年月を経ても不思議ではない。
 進化した我々の近代文明を誇りたい気持ちもあるが、そんな気持ちすら彼らにしてみれば何の価値もないものだろう。
 良く生きて、良く死ぬ。
 食べて、排泄し、愛し、子を産み、育て、子孫を残す。
 人の生涯はそれだけである。
 近代文明もサンカも同じである。
 どれだけ文明が進んでも、食べて、排泄し、愛し、子を産み、育て、子孫を残す。
 人の営みは変わらない。
 種の保存。
 すべての生き物の最大の目的はそれである。近代文明に生きる我々も本来は同じであるはずである。
 サンカの人々は、食べて、排泄し、愛し、子を産み、育て、子孫を残す。その生命の基本に忠実に生きた。その意味では人とか獣とかの区別なく、もっと深い何か生命の根源的なものを感じる。生命の基本に忠実に生きた人々の何か。それは獣ではなく、人として本質的なものではないだろうか。
 愛し、食料を得て、子供を成し、育てる。
 そこから生まれる喜びに忠実に生きていたのではないだろうか。
 彼らは社会に同化しなかったのではなく、同化する必要を感じなかったのではないか。
 社会の中で生きるために複雑なことを何十年もかけて学び、働き、お金を稼ぎ、複雑な人生を神経をすり減らし、何事かに追われるように生きて幸福とはなにかを忘れ、薬と医療とで長生きし、死ぬことすら許されず、高齢化した社会を成り立たせるにはお金がかかり、若者は子を成し育てることすら難しい。社会はこれから更に複雑に生きることすら難しくなってくる。
 便利で豊かで清潔で世界とつながっている最高に進化したこの文明社会。
 しかし、食べて、排泄し、愛し、子を産み、育て、子孫を残す。という生命の本質とは大きくはなれてしまっているのではないだろうか。
 生命の本質と離れてしまっているが故に、生命が感じる幸福を感じる術を無くしつつあるのではないだろうか。
 生きること。食料を得て食べること。愛すること。子を成すこと。育てること。
 そこから得られる底抜けの喜びを彼らは知っていたのだろう。私達も本来は知ってはいるのだろうが、目の前の煩雑さに忙殺され見えなくなっていたり、忘れてしまっているのだろう。
 彼らはその喜びを最大限に享受していたのではないだろうか。
 朝起きて、空を見上げる。晴れている。今日も生きている。そのことだけで、大きな喜びを彼らは感じる事ができたのではないだろうか。
 青空を見るだけで歓喜の声を上げていたのではないだろうか。
 私達は朝起きて、空を見上げるだろうか。
 私達は朝起きて、空を見上げて喜びを感じるだろうか。
 私達は朝起きて、スマホを見る。そこにどれだけの喜びがあるのだろうか。彼らが空を見上げた時に感じる喜びと私達が朝起きてスマホを見る時の気持ちは全く違うものだろう。
 私達は文明を得た代わりにいくつもの喜びを手放したのだろう。

サンカは文字を持たない。

 歴史学にしろ、民俗学にしろ、文書も建造物も何の資料もないものは、研究のしようもないが、それ以前に誰も研究しようとすらしないだろう。研究者もなんの成果もないものは研究しない。そう考えれば、サンカは古代からの生き残りと考えてもおかしくはない。
 学者からもそっぽを向かれた人たち。
 その存在が誰にも有益でもないけれど、害にもならない。ただ、この国の山の中でひっそりと、狩猟採集を行い生きていた。
 何も残していないから、歴史的に浅いんじゃないかっていう研究者もいる。実際、そうかも知れない。真相はわからない。
 しかし、日本書紀には毛人という記述があり、
「冬は穴に寝、夏は巣に住む。山に登ること飛ぶ鳥の如く、草を走ること獣の如し。矢を髻に隠し、刀を衣の中に佩く」とあり、見た目も、弥生式の水稲農耕を生産手段とし歴史を作ってきた我々の先祖と違い、顔も扁平でなく、堀が深く、頭はずっしりと後ろが発達し、丈は低い。
 景行紀では、英雄的な王子が征討軍を率いて東を征し彼らを多数捕獲し、畿内に戻り、一時期、大和の三輪山に置かれ、やがて、畿内の国々に分住せしめた。とある。この時代に、ほとんどの人は、大和朝廷に従い、山を下り、農耕民族へと同化したと思うが、一部の人たちは、そのまま山に残ったと考えれば、現代のように戸籍謄本があるわけではないし、農耕民族に迷惑さえかけなければ、どこからも苦情がでるわけではなく、ごく少ない人数の人が山の中で暮らしていくのはそんなに難しいことではないだろう。
 しかし、日本が近代文明の仲間入りを果たした明治時代には、外国との付き合いを始めた政府が、今までのお寺が人別帳を作り、社会の人口を把握するというのでは、対外的に見栄えが悪い。それに納税義務を果たすこともなく、徴兵制からも漏れた浮浪者が、各地を徘徊しているのは許されることではなかった。そこで、政府が人口調査を行い、戸籍を整え、管理しようとした。その際にどうも定住化せずに移動を繰り返しながら生活している人たちが多数いることに気がついた。サンカは浮浪者扱いされた。
 サンカは住む場所のない、貧しい漂白の民であり、素性もわからぬ社会的落語者とみられていた。自由に山を闊歩するサンカからすれば、迷惑な話だ。
 しかし、調べればサンカは物乞いではなく、旅をして歩く遊芸人でもなかった。諸国遊歴の職人や行商人でもなかった。山で暮らし、自然採集で生きていた。定住できる土地も家もなかったが、家族連れで各地をまわり、それぞれ自分たちの回遊路をもつ人たちで、貧しくもないし、素性のわからない落語者でもなかった。しかし、それがわかっても、義務教育を受けたこともなく、納税義務を果たすこともなく、徴兵制からも戸籍登録からも漏れた者が各地を徘徊している。彼らは文明開化の波から置き去りにされた棄民であり、その存在は国家の恥だ。社会の安寧秩序を保つためにも、早急に一掃されねばならない。世間一般ではそのように捉えられた。
 戸籍を持たない。という人はそれだけで警戒される。それが多人数いるとなると、かなり衝撃だし、怖い。私たちもそう感じるだろう。
 しかし、政府の権力や社会から独立して自由に生きている人間がいることに衝撃を受ける人や感嘆の声を上げる人たちもいた。その人達が、サンカに近づき、研究が始まった。しかし、それでも研究は進まなかった。  
 サンカは文字を持たない。故に、サンカは自分たちの歴史を示すものを何も持っていない。由緒書も口碑も、口伝もない。研究のしようがなかった。それで、サンカの起源について、色んな説が書かれているが、確証のあるものはない。縄文人の生き残り説から応仁の乱で、乱を逃れて山に入った人たちという説や、江戸時代の飢饉で町や村で飢えに苦しむ人が町や村を捨てて山に入ったと言う説もある。どれも確証はない。これは全て、サンカの生活が何の痕跡も残していないからだ。
 そして、第二次世界大戦後には、明治時代以後もほそぼそと生存していたサンカも、定住化と義務教育制度によって完全に絶滅した。

続く




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