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創作大賞小説部門応募作 『山の民 サンカ』 その4 日本にはサンカと呼ばれ蔑まれた山の民が居た。彼らを書き残したい。

その3より続き

 少年キングを読んだいた

 私はサンカの住処を見たことがある。
 その時の話しをしたい。

 小学5年生の夏休みだったと思う。
 月刊誌のコロコロコミックのドラえもんから週刊誌の少年ジャンプ、サンデーなどの高校生たちが主人公の作品へと読むものが変わっていく年齢だった。
 あの頃の僕は、少年キングを読んでいた。
 少年キングは緑の髪のエスパーが主人公の超人ロックが代表作で僕にはたまらない魅力があったが、SFが好きな人は少ないようで、少年キングは人気がなく、街に一軒しかない本屋さんに毎週木曜日に五冊届き、水曜日には四冊残っていた。街で僕しか読まれていない漫画雑誌だった。 
 木曜日の午後の船で少年キングが届くので、夏休みには、その船が到着する時間に、船着き場の近くにある本屋さんの前で少年キングが届くのを待っていた。
 その日のうちに読み終わり、翌日には、少年キングを持って友達の家に行き、ジャンプやサンデーを読んでいる人と交換し回し読みをしていた。回し読みをしても、来週から少年キングを買って読む人は増えなかったという残念な記憶がある。しかし当時の少年にとって漫画が娯楽の中心だったことは間違いなかった。
 回し読みをする漫画がない日には海、山、川、池、学校のグラウンドなどで遊んだ。
 当時、僕が住んでいた淡路島は、本州をつなぐ明石海峡大橋はまだ架かっておらず、関西地方を代表する観光地となった今の姿からは想像できないほどに、漁師と農家と少しの観光地の素朴な島だった。
 僕はそんな淡路島の田舎町で育った。
 家の前がすぐ海で、その海の先は本州だった。その本州の街にはビルがたくさんあり、電車も走っていた。神戸だった。夜には電車が走っているのが動く光でわかった。まばゆいばかりの都会の光だった。今見ても幻想的な景色に見える。
 目の前には都会の景色が広がっていたけれど、実際に暮らす街には、ビルなどなく、電車も走っていなかった。子供の娯楽と呼べるものは船着き場の近くの本屋さんだけだった。
 タカシとヨーとショー。この三人が僕の遊び仲間だった。みんな近所で、みんな漁師の息子だった。タカシの家には井戸があり、その井戸水は美味しかった。昭和五十年代の淡路島には水道は通っていたが、井戸水もまだ、併用して使っている家庭は多く、すぐ近所でも不思議と井戸水の味は違った。僕はタカシの家の井戸水が好きで用事がなくてもよく飲みに行っていた。
 その日もタカシの家に集まっていたが回し読みする漫画もなくなっていて、
「みかん山行こうや」誰かが言った。

サンカの住処を見たことがある


 みかん山は、担任の高山先生の実家が所有する山で、収穫時期以外は自由に行くことができた。
 高山先生のみかん山には十分ほど舗装された道を登り、後は二十分ばかり舗装されていない山道を登れば到着した。
 みかん山に行っても特に楽しいことなどないので、みかん山から少し行けば川があり、クワガタがたくさんいる森もあり、そこで魚やカニをとったり、木に登りクワガタを取ったりして遊ぶことが目的だった。
 川も森も、子供だけで行くのは危ないので、大人と一緒でないと駄目だと言われていた。それでも、当時は、今のようにうるさくなくて、みんな平気で山に入っていた。特に僕たち四人は、海で釣りをしたり学校のグラウンドで野球をしたりするよりも山に入って遊ぶのが好きで、子どもたちだけで山に入っていた。
 山で知り合った大人から、常に大きな声で歌を唄うか喋りながら歩きなさい、と言われたことがある。そうでないと、山の猟師に獣と間違えられて鉄砲で打たれるかもしれないからと注意され、それ以来、山では大きな声で話しながら歩くようにしていた。鉄砲は怖かった。
 獣は実際に見たことがなく、うさぎくらいしか見たことがなかったので怖いと思わなかった。むしろ見てみたいという好奇心が勝っていたくらいだ。それでもやはり山には危険がつきものだった。木から落ちることもあったし、崖をよじ登り転げ降りたこともある。ハチに追いかけ回されたこともあったし、野犬に出会い、慌てて木に登って隠れたりしたこともある。しかし、一番怖かったのは、毒を持つマムシに襲われた時だった。マムシは人に向かってくる。
 草むらをかき分けながら歩いていると、目の前にマムシが鎌首を擡げて草むらの中に居た。マムシにしてみると、人間どもが自分のエリアに入ってきたので迷惑な話だったんだろうが、私たちからすると、私たちが歩いていくのを待ち構えられていたのかのように思った。道を遮るように、真っ正面にマムシが居た。舌をニョロニョロと動かし、こっちを見つめていた。先頭を歩いていた僕は、マムシの目に射すくめられて、恐怖で動けなくなった。
 マムシがシャーと声を上げて飛びかかって来た。その時、ショーが、私を突き飛ばし、マムシを手に持っていた棒で横殴りにバシッと殴った。ショーは山では常に護身用に棒を持ち歩いていた。マムシの体が大きく左右に揺れた。しかし、マムシは怯まなかった。マムシは、すぐに体勢を整え、再び首をもたげて、ショーに向かって飛びかかった。それをショーはもう一度棒で殴ろうと、右から左に力いっぱい振った。しかし、マムシはその棒に、するっと体を紐が棒に絡まるように巻き付けてきた。しかも、そのままするすると棒を登り、ショーの手に近づいてきた。
 危ない、ショーが噛まれる。
 みんな恐怖で体が固まり、声も出なかった。猛毒でショーが死ぬ。マムシが大きく口を開けショーの手にがぶりと噛み付くその瞬間、ショーは、そのマムシが巻き付いたままの棒を「おりゃ〜」と大きな掛け声をかけて投げた。棒は遠くまで飛んでいった。僕たちは、そのままわぁ〜わぁ〜大声で叫びながら走って逃げた。マムシが追ってこない場所まで逃げると、みんな急に何が楽しかったのか、危なかったなぁ、と笑い転げた。ショーは、マムシを退治したことを誇るわけでもなく、一緒に笑っていた。
 ショーは、海で遊んでも、岩場に寝転がりながら、海面を見つめ、泳ぐ魚をじっと見て、パシッと手で海面を叩く。不思議だけど、それで魚を取っていた。僕もやってみたことがあるが、海面に手が当たった時にはすでに魚は居なくなり、魚に手が届く以前の話だった。当時の淡路島にはこんなショーのように野生児みたいなのが居た。
 淡路島が百姓と漁師の町だったあの頃、そんな野生児のような奴は中学を出るとすぐに船に乗り漁師になった。昭和五十年代まではそれが優等生だった。そんな淡路島を懐かしく思う。
 マムシに襲われた後、喉が渇き川まで歩き水を飲んだ。川の場所さえ覚えておけば山を降り街に帰れるので不安はなかった。その日は、マムシを退治してテンションが上がっていたんだと思う。そのまま川を伝い普段入らない深い山へと入っていった。
 川の横が崖のような急な斜面になっている場所に出た。多分、ショーだったと思う。
「ここ登ろうや」と崖を見ながら言った。
「こんなとこ無理やって」と三人が反対したと思う。
 でも、ショーはすでに登り始めていた。ここの木に手をかけて、ここの岩の窪みに足をかけて、ここの草は頑丈やから手で掴んでも大丈夫やとか、ショーが声をかけるのに従いながらみんな登っていった。みんななんとか登りきれた。
 でも、登りきった先に何があるわけでもなく、そこは再び普通の山の中だった。
「また、山やん。もう、帰りたなってきた」それを言ったのは確か、ヨーだったと思う。ヨーはタカシの弟で、タカシに連れられてきてるだけだし、年も二つ下なので、体力的にしんどかったんだと思う。普段はコロコロコミックを読んでいた。ショーは、また、枝を折って棒を手に入れていて、その棒を振り回しながら、もう少しだけ行こうやとしばらく歩いた。
 すると、突如として森を抜けた。急に明るくなった。
 薄暗い森を突然抜けたからなのか、普段からお陽さまをこれでもかというくらい浴びながら遊んでいるのに、普段の何倍もの明るさに感じた。そして、その明るさに目が慣れてきて、目に飛び込んできた景色は、獣や鳥などが暮らす森ではなく、小さいながらも人が暮らす場所だった。それは感覚でわかるものだった。土の色も森の中の黒に近い茶色というものではなく、砂ではないけれど、薄い茶色だった。
 光のさす中には家のような建物があった。でも、それは人が暮らす家というよりも、物置小屋のようだった。実際に中に入ってみた。薪が積み上げられているだけで他には何もなかった。四人が小屋に入ると手狭になった。
 父親たちが使っている漁師の小屋にも何度もはいったことはあるけれど、漁師の小屋には漁に使う器具が所狭しと並んでいて、大人が一人入るスペースしかなかった。それが僕の知る物置小屋だった。それとは全く違っていた。
 小屋を出ると小さい池があった。池と言うほどの大きさではなく、神社に鯉が数匹泳いでいる池があるけれど、それくらいの大きさだった。その池の縁に鷹だろうか、鷲だろうか大きな鳥が、水辺で羽を休め水を飲んでいた。その鳥は私たちの姿を目にしても、何一つ動じることなく、悠然としていた。その気高さに僕たちは圧倒された。みんなかっこええなと感嘆の声を上げた。
 他には、何に使っていたのかわからないけど、小さな窪みがいくつかあった。浅く掘られたものは数十センチのものだった。深いものでも下半身が入るほどのものだった。今思えば、火を使ったりして食事の用意をしていたんだと思う。他には何もなかった。
 こんな道もなく、田畑が近くにない場所で誰が何のために使っているのだろう。農家の人ではないし、山の猟師さんが休憩や一晩過ごす山小屋にしては、小屋には何もなさすぎた。薪はあったけれど、薪を燃やして温まる暖炉のようなものもなかった。山小屋でもなかった。不思議な場所だった。でも、その場所には何か、僕たちの心を惹きつけるものがあった。
 みんなで隅から隅まで探索した。小屋で寝転がったり、池にいる魚を見たり、小さい場所なので、すぐにそれは終わったが、嫌な感じは何一つしない、今、思い出しても気持ちの良い場所だった。
 僕は、
「ここを僕らの秘密基地にしよう」と提案した。みんな大きな声で、
 「そうしよ、そうしよ」と賛成の声を上げた。本当はもっとその場所に居たかったけど、帰り道を考えると、まだまだ日が高かったけれど、日が暮れ始めると山を降りれなくなるので、また、ここに来ようと約束して山を降りた。

続く

 



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