わがままに、今の自分を好きでいると決めた。
日本社会では「〜すべき」で溢れている。
私は「〜すべき」という言葉に対してアレルギーを発症している。
そう、つまり社会不適合者です。
最近その事実を潔く認めてみた。
うん、開き直りました。
正直、社会不適合者がわるいとも思っていない、楽しいと思っている。
私の約29年一応真面目に生きてきた経験から考えると、死にたくなったのなら、何回でも死んだ方がいい。
物理的にということではなく、生まれてから築き上げてきた”固定概念でつくられた自分”を殺してしまえという意味である。
一回自分が死んだことにしてみると、「あ、まだ人生のアディショナルタイムがあったのか、ラッキー!」となる。
「どうせ死んだのなら、死にたくなるくらい嫌なことを我慢している暇なんぞないわ。」と開き直れるので、そこからがまた新しい始まりになる。
だから死にたくなったら、大変革のチャンスなのだ。
”人生リセット症候群”と言われても過言ではない。
でも結局、無駄なことなんて何一つないことに気付く。
自分が"この人と全く同じ人生を歩みたい!"という人生を知らないし、探してもないだろう。
だから尊敬する人の仕事についてや、面白い人の武勇伝、自分がなりたい理想に近い人たちの思想や生活スタイルだったり、そういった一部分を吸収し続けている。
そうやってオリジナルのストーリーを創っていくしかない!
その過程を楽しめるクリエイティブなゲームが、人生である。
80億4500万人もの人が、そのゲームに参加している。
人気すぎるだろ。
我らはそんな人気のゲームに奇跡的に参加できている身なのだ。
だから死にたくなったら、一回自分が死んだことをリアルに想像してみる。
そうやってアディショナルタイムをスタートさせる。
そしたら「せっかく人間に生まれたのだから、死ぬ前に〇〇したい」の〇〇を考えてみるとよい。
「せっかく人間に生まれたのだから、死ぬ前に大好きな牡蠣をお腹壊すまで食べてみたいな。」
「せっかく人間に生まれたのだから、死ぬまでに行ってみたかったウユニ塩湖へ行ってみようかな。」
「せっかく人間に生まれたのだから、死ぬ前にもう一度恋がしたい。」
「せっかく人間に生まれたのだから、死にたくなるくらい真剣に生きて、もがいている自分を楽しんでみてもいいか。」
言葉にすると不思議と、また生きたいような気がしてくる。
脳は、自分が言った言葉をそのまま受け取るという仕組みになっている。
だから、たとえ思っていなくてもポジティブな言葉を言ってみると、脳は勝手にその言葉に続く文を考え出す。
それでいて、できることなのであればやってみればいい。
損得や不安、プライド、世間体や人の目などを気にしているから視野が狭くなっていることが多いんだよな。
今まで創り上げてきた自分を一回忘れてみたっていい。
大変革のチャンスなのだから、新しい捉え方、考え方で生きてみよう。
大人になっても新しい人に出逢ったり、勉強する理由はそれだ。
そういえば、この前人生二度目の適応障害になった。
でも、適応障害は病気じゃない。
本当は心の奥底で適応したくないことなのに、色々なリスクや損得、世間体などを考えて"適応しなければならない"と無意識に考えてしまうことが原因で、身体にまで拒否反応が出てしまうというだけだ。
つまり、身体が自分に「頑張る方向性を間違えてるよ」と教えてくれている。
面白いよな、自分自身では本当の気持ちに気づいているはずなのに、気づいてしまったら本当はみたくない現実を受け止めなければいけなくなってしまう。
お世話になっている上司に仕事を辞めるなんて言いづらい。今後のキャリアはどうしよう。転職活動をしなければいけないな。お金がない。親に合わせる顔がない、、
こんな現実に向き合いたくないので、無意識に心の声を無視してしまっていたりする。
仕事が好きでも、適応障害にはなる。
でも三ヶ月前に適応障害と診断された私が、今では人生で一番楽しく、イキイキと生きているのだから面白い。
「頑張る方向性はこっちではない」ということがわかったのは、大きな収穫である。
自分が社会不適合者だと認めたことで、覚悟が決まった。
過去は忘れていい。
日々、新しい目で毎日を見ていくこと。
自分の固定概念で変な暗示をかけるな。
「今の自分にしかない武器」を見出して、磨いていくぞ。
しいたけ占いにも背中を押されて、わがままに、今の自分を好きでいると決めた。
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