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片山慎三「岬の兄妹」

2019年4月ヒューマントラストシネマ有楽町で、片山慎三「岬の兄妹」

国映テイストの暗い物語と画面が圧倒的な説得力を持ってスクリーンから迫って来る。主演が松浦祐也と和田光紗。岩谷健司も大事な役どころで登場。ピンク映画の主要俳優によって作られた、私的にはキネ旬ベストテンに入って欲しい力作にして傑作。

ロングラン上映になりつつあるヒューマントラストシネマは東京のど真ん中有楽町の駅前にあり、スクリーン1は162席もある。その大半が埋め尽くされている。片山監督はこれがデビュー作で、松浦祐也も和田光沙もピンク映画ファンならば知りこそすれ、決して有名な俳優ではない。これは快挙だ。

松浦祐也は主に竹洞組の青春ピンクにおいて、はじけた青春群像の表現者となった役者。濡れ場重視のピンク映画の中で、現代にはもういないような、無軌道で先行きのことを全く考えていない元気だけが取り柄の若者像を演じていた。小松公典脚本にはなくてはならないキャラである。

松浦は大人になった。竹洞作品では一本調子の演技が上手く脚本にハマっていていい味を出していたが、この作品では脚に障がいを持ち、常に足を引きずりながら、自閉症の妹の面倒を必死にみる、生まれながらにしてハンディを背負った人間の業のようなものを迫真の演技で表現する。

和田光沙は80分間の尺の全部において、先天性心疾患による自閉症の女性を演じ切る。決まった言葉しか喋ることができない、幼児と同じ年齢の行動しかできないが、肉体は大人の女性に成熟している。そんな彼女にとまどいながらも結局は金と引き換えに肉体を享受する男たちが、寂しい人間に映る。

岩谷健司は、一度は喧嘩で退職した松浦祐也の元を訪れ、復職するよう説得する造船所の現場監督。この人物像になかなか深みがある。松浦が退職した理由を自分勝手だと頭の中では決めつけても、障がい者雇用の維持のために復職を持掛け、激高した松浦にぶん殴られる、そんな偽善者を演じている。

この映画には、2000年前後に美人で淫乱なピンク女優として一世を風靡した時任歩も出演している(時任亜弓名義)役柄は兄の友人にして警察官の男の妻(ですよね)子供を妊娠、出産し、妹はそれを大いに羨ましがる。そして妹が妊娠してしまうことで物語に破局を与える、重要な役。

物語は現代社会における深刻な問題を鋭くえぐり取ったものである。貧富の格差拡大によるワーキングプア、障がい者に対する社会の無関心、そして最も心を痛めるのは、「障がい者雇用推進」の名のもとにパーセンテージで物事を決める社会の冷淡さ。まず安倍首相に感想を聞いてみたいものだ。

主人公の兄(松浦祐也)は脚が不自由な障がい者、妹(和田光沙)は先天性心疾患による自閉症という設定、しかも両親は死別か離婚か不明だが存在しない。物語はそんな絶望的な状況から始まり、差別や蔑視による苦労の果てに、一筋の光も差すことなく終わる。それがメッセージだ。

造船所で産業廃棄物処理の業務に配置された兄は、職場内の喧嘩で退職。たった一人の家族である妹はまともに会話もできない、身体は大人だが自閉症の女。彼は妹に売春で金を稼がせることを思いつき、無理やり実行する行動力はあるものの、結局は冷たい現実社会に食い物にされる。

妹を買春させようとすると、その相手になってくれるのは、引きこもりのニート、トラックのやもめ運転手、ふざけ半分でイジメ対象にされる気の弱い高校生など、弱者ばかりである。強者は弱者の日常生活など知る由もなく、弱者同士の中で起きる暴力にもイジメにもひたすら無関心だ。

妹を買った不細工なニート男性、彼は妹に「俺は母親の胎内から出て来るとき、嫌がって脚をバタバタさせ、逆子だった」と話す。自閉症の妹はその男に恋をしてしまい、兄が呼びに来ても帰りたがらない。やがて妹は妊娠。誰の子か最早わからないのだが、兄は一縷の望みをつなぐ。

兄はそのニート男性の家を訪れ「妹と結婚して欲しい」と懇願する。男性はどうするか?断るのである。その理由は障がい者に冷淡だからではない。その男性はホントは妹のことを自分の分身のように思い、好きで堪らないが先行きが見えないのだ。優生保護法の問題も想起させる場面だ。

タイトルになぜ「岬」と付いているのか、それは物語が岬に始まり岬に終わるからである。始まりは兄が会社を辞め、上司(岩谷健司)が餞別を持ってくる場所、終わりは子供を身籠ってしまった妹が岬の岸壁に立ち、まさに飛び込み自殺せんとする場所。追いかける兄の必死の形相と。

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