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デュファイ:ミサ「私の顔が青いのは」聴きどころ

★3/23演奏会【聴きどころ】

デュファイのミサ「Se la face ay pale(私の顔が青ざめているのは)」は、カトリックのミサのための祈りの曲なのですが、デュファイ自身の作った同名のシャンソン(世俗曲)を引用して作ったミサ曲なのです。これは当時大流行した(今で言う、超バズった)シャンソンで「私の顔が青いのは恋にやつれているから。彼女を好き過ぎて死にそうだ!(歌詞大意)」という歌です。

デュファイの作ったバラード「私の顔が青いのは」Se la face ay pale

ミサ曲のほうは4声ですが、定旋律(テノール)のパートにはそのまんまこの旋律が置かれていて、テノールのパートは「キリエ」から「アニュス・デイ」まで全5曲ずーっと繰り返しこの旋律を歌っているのです。

しかし、それだけでは面白くないのでデュファイはある工夫をしています。例えば「グローリア」ではテノールはこの旋律を、最初は記譜の3倍の音価、繰り返したら2倍で、また繰り返した時には記譜通りの音価で、という指示があります。だんだんと音価が縮まれば音の密度も濃くなってゆく、というわけです。

しかし、テノールがひたすら同じ旋律だけを繰り返しているのに他の3パートが複雑に絡み合ってくるので、全体をなんとなく聴いているとテノールがずっと同じ旋律を繰り返している…ということはわからないかと思います。そのなかで、この「私の顔が青ざめているのは」の旋律を探し出して聴く、というのもひとつの聴き方かもしれません。

「キリエ」では他の3パートは「Kyrie eleison(主よ憐れみたまえ)」と歌っているのに、テノールだけが「Se la face ay pale(私の顔が青いのは恋にやつれているからです…)とシャンソンの歌詞そのまま。それを全パートが同時に歌ってる…というのもエモいポイントです。(ひょっとして、恋にやつれた男に対して「主よ憐れみ給え」と言っているのか…?

デュファイ作曲:ミサ「私の顔が青いのは」の冒頭「キリエ」

しかし、複雑に絡み合う音楽ゆえ歌詞も聴く人にわかりにくく、また世俗曲をミサ曲に取り入れるのは神のための音楽として相応しくない、というお達しが出てしまい、ルネサンス後期(16世紀)の作曲家が作るポリフォニーはかなりシンプルな作風となりました。(現在合唱コンクールなんかでよく課題曲になるルネサンスの曲はこの辺りです。)

しかしながら、15世紀ルネサンス初期の作品は生でなかなか聴けないもので、この濃密な響きが何といっても魅力ですし、このような複雑緻密な曲は一体どのようにして書かれたのか驚異的で、より美しい素晴らしい音楽を作るべく苦心した作曲家に感動しています。

また、現代譜ではなく写本(当時の楽譜)を読み解き歌うことで蘇る響きを聴けるのは、名古屋ではスタートラインとなります。ぜひこの機会にお聴きください。きっと「新しい古楽」に出会えるはずです。


【スコラ・ポリフォニカ名古屋 第2回演奏会】
★2024年3月23日(土)15時~
★「オリナス一宮」にて。
★入場料2,000円。
★アクセス:JR名古屋駅→JR乗り換えで快速10分「JR尾張一宮駅」より東へ。徒歩7~8分。一宮市役所西隣。
★駐車場:会場隣の一宮市役所立体駐車場(254台収容)をお使い下さい。30分100円、打切り料金なし。

★ご予約はコチラより↓
スコラポリフォニカ名古屋 第2回演奏会予約フォーム (google.com)


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