パンノニアとアクインクム
パンノニアとアクインクムの歴史
パンノニアには、元々イリュリア系のパンノニア族が住んでいた。BC4世紀以降、この地域は多くのケルト人部族からの侵略を受けるようになり、ケルト系のエラウィスキー族(Eravisci)がこの地に定住した。北部パンノニアにはエラウィスキー族とイリュリア系のアザリ族(Azali)が居住していた。
BC220年からBC168年に起こったローマとのイリュリア戦争の結果、イリュリア王国領の南半分は共和政ローマの保護領となり、その後周辺領域を加えBC32年からBC27年頃にはイリュリクム属州となった。
BC9年、アウグストゥス治世でパンノニアはローマ帝国の支配下に入り、イリュリクム属州に併合されて国境線がドナウ川まで広がった。
西暦6年、パンノニア族はダルマティア族など他のイリュリア人と連合して反乱を起こした。反乱は3年間続いたが、ローマ帝国のティベリウスとゲルマニクスによって制圧された。
10年、イリュリクム属州は新たに2つの属州に分割され、北側がパンノニア属州、南側がダルマティア属州になった。
パンノニアはドナウ川を挟んでクァディ族とマルコマンニ族という敵対部族と相対していたため、クラウディウス帝の治世の50年頃からウェスパシアヌス帝の治世の初めまで、補助軍団であるアラ・イ・ヒスパノルム(Ala I Hispanorum)が、ティトゥス帝の治世からドミティアヌス帝の治世の80年代までアラ・イ・ヒスパノルム・アウリアナ(Ala I Hispanorum Auriana)がパンノニアに駐屯した。
1世紀中頃に現在のVízivárosエリアに最初の軍事要塞がドナウ川に沿って建設された。
71年、ウェスパシアヌス帝の治世でパンノニアの名前が初めて公式文章に登場した。
73年に、新しい補助部隊であるAla I Tungrorum Frontonianaが現在のオーブダに新しい恒久的なキャンプ(後のアクインクム要塞関係集住地)を建設した。また、別の部隊もドナウ川の現在のAlbertfalvaにキャンプを設置した。軍の恒久的な駐屯地は、この地域の以前の入植パターンに変化をもたらした。 現地の一部の住民は、補助部隊のキャンプ周辺の集落に住み、別の一部は国境から離れた場所に再定住した。ローマの生活様式と文化との直接的な接触は、この州のこの地域の先住民の間でローマ文化の採用を加速させた。
89年、ドミティアヌス帝はドナウ川の反対側に住むゲルマン人とサルマタイ人の部族に対する遠征を支援するために、Legio II Adiutrix(正規軍団)をアクインクムに移動させた。この6000人の部隊は、4世紀までアクインクムに留まった。現在のオーブダに恒久的な軍団の砦が建設された。
102年から107年までのいずれかの年(2回にわたるダキア戦争の間)に、トラヤヌス帝はパンノニア属州を上パンノニア属州(西側)と下パンノニア属州(東側)とに再分割した。アクインクムは下パンノニアでは唯一の正規軍の要塞で、属州総督の所在地でもあった。
124年、ハドリアヌス帝の治世で、民間人居住地に自治市の権限が与えられた。また、Albertfalvaに石造りの新しい要塞が築かれた。
145年、アントニヌス・ピウス帝の治世でAlbertfalvaの要塞は石造りで建てかえられた。また、同時期に要塞関係集住地の南端部に円形闘技場がLegio II Adiutrixによって建設された。ネメシス神への碑文が発見されている。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の治世(161年-180年)で起こったマルコマンニ戦争でパンノニアは大きな被害を受けたが、セプティミウス・セウェルス帝の治世(193年-211年)で要塞は改修された。
194年、アクインクムはセプティミウス・セウェルス帝から植民市の権限を得た。イタリア権も与えられたかは不明。
以前から町の中心は民間人居住地から要塞関係集住地に徐々に移っていったが、214年にカラカラ帝がこの地を訪れたときには要塞関係集住地が完全に町の中心になっていた。
アクインクムの最盛期は3世紀で、その頃の人口は約5万人から6万人であった。
260年、クァディ族とサルマティア族がパンノニアに侵攻したことで、アクインクムは大きな被害を受け、正規軍団の要塞の大半は再建を余儀なくされた。
ディオクレティアヌスの治世(284年-305年)に、パンノニアは4つに分割された。
・パンノニア・プリマ (首都: サウァリア) - 現ソンバトヘイ
・パンノニア・ウァレリア (首都: ソピア) - 現ペーチ
・パンノニア・サウィア (首都: シスキア) - 現シサク
・パンノニア・セクンダ (首都: シルミウ) - 現スレムスカ・ミトロヴィツァ
アクインクムはウァレリア の中心となったが、民政と軍政が分割されたため、軍事を司る将軍(Dux)がアクインクムに常駐した。
コンスタンティヌス帝の治世(306年-337年)には、要塞の東側に新しい要塞が建設された。旧要塞の西側は放棄された。
ウァレンティニアヌス帝の治世(364年-375年)には、要塞の工事が行われたが、死後、要塞の北側は放棄された。
377年、ゴート族がパンノニアに侵入し、元の住人はパンノニアから脱出した。
433年、ウァレンティニアヌス3世の時代に、パンノニア属州はフン族に割譲され、ローマ帝国の属州ではなくなった。
アクインクムの水道橋
アクインクムの水道橋は長さ約5 km、勾配は約1-2度たっだ。
現在のRómai Lido一帯に少なくとも泉小屋が15棟あり、それが1棟の大きな小屋につながっており、そこから水道橋に水が供給されていた。
アクインクム博物館
民間人居住地の3分の1が発掘され、見学できるように整備されている。
124年、ハドリアヌス帝の治世で、民間人居住地に自治市の権限が与えられた時、この町は380メートルx420メートルの敷地を市壁が囲んでいて、90メートルごとに砦が設けられていた。
アクインクム博物館内部
要塞関係集住地
赤の点線で囲われている一帯が要塞関係集住地。発掘が行われ、テルマエなど見学できる遺跡があるのは10、11と表示されている高架下の部分。中に入ることはできない。
出土品の一部は自由に見学することができる。
パンノニア属州総督
ガイウス・カルウィシウス・サビヌス (Gaius Calvisius Sabinus) (39)
セクストゥス・パルペッリウス・ヒステル (Sextus Palpellius Hister) (50)
ルキウス・タンピウス・フラウィアヌス (Lucius Tampius Flavianus) (69)
マルクス・アンニウス・アフリヌス (Marcus Annius Afrinus) (69-73)
ガイウス・カルペタヌス・ランティウス・クィリナリス・ウァレリウス・フェストゥス (Gaius Calpetanus Rantius Quirinalis Valerius Festus) (73-77)
ティトゥス・アティリウス・ルフス (Titus Atilius Rufus) (79-82)
ルキウス・フニスウラヌス・ウェットニアヌス (Lucius Funisulanus Vettonianus) (82-86)
ルキウス・ネラティウス・プリスクス (Lucius Neratius Priscus) (91-94)
グナエウス・ピナリウス・アエミリウス・キキアトゥリクラ・ポンペイウス・ロンギヌス (Gnaeus Pinarius Aemilius Cicatricula Pompeius Longinus) (96-99)
ルキウス・ユリウス・ウルスス・セルウィアヌス (Lucius Julius Ursus Servianus) (99-101)
クィントゥス・グリティウス・アティリウス・アグリコラ (Quintus Glitius Atilius Agricola) (100-103)
ルキウス・ネラティウス・プリスクス (Lucius Neratius Priscus) (102-105)
プブリウス・メティリウス・ネポス (Publius Metilius Nepos) (105/106)
上パンノニア属州総督
ルキウス・ミニキウス・ナタリス (Lucius Minicius Natalis) (113/114-117/118)
ルキウス・コルネリウス・ラティニアヌス (Lucius Cornelius Latinianus) (126)
コルネリウス・プロクルス (Cornelius Proculus) (130/131-133/134)
ルキウス・エリウス・カエサル (Lucius Aelius Caesar) (136-137)
ティトゥス・ハテリウス・ネポス (Titus Haterius Nepos) (137-141)
マルクス・ポンティウス・ラエリアヌス・ラルキウス・サビヌス (Marcus Pontius Laelianus Larcius Sabinus) (145-150)
クラウディウス・マクシムス (Claudius Maximus) (150-155)
マルクス・ノニウス・マクリヌス (Marcus Nonius Macrinus) (159-162)
ルキウス・ダスミウス・トゥッリウス・トゥスクス (Lucius Dasumius Tullius Tuscus) (162-166)
マルクス・イアッルス・バッスス・ファビウス・ウァレリアヌス (Marcus Iallus Bassus Fabius Valerianus) (166-169)
ガイウス・ユリウス・コンモドゥス・オルフィティアヌス (Gaius Julius Commodus Orfitianus) (169-172)
セクストゥス・クィンティリウス・マキシムス (Sextus Quintilius Maximus) (175-179)
ガイウス・ウェッティウス・サビニアヌス・ユリウス・ホスペス (Gaius Vettius Sabinianus Julius Hospes) (182-191)
プラスティナ・メッサリヌス (Prastina Messalinus) (185-191)
セプティミウス・セウェルス (Septimius Severus) (191-193)
ルキウス・ファビウス・クリオ (Lucius Fabius Clio) (197-201)
ティベリウス・クラウディウス・クラウディアヌス (Tiberius Claudius Claudianus) (201-207)
エグナティウス・ウィクトル (Egnatius Victor) (207)
カッシウス・ディオ (Cassius Dio) (226-229)
下パンノニア属州総督
プブリウス・エリウス・ハドリアヌス (Publius Aelius Hadrianus) (106-108)
ティトゥス・ユリウス・マクシムス・マンリアヌス (Titus Julius Maximus Manlianus) (108-110/111)
プブリウス・アフラニウス・フラウィアヌス (Publius Afranius Flavianus) (111/112-114/115)
クィントゥス・マルキウス・タウロ (Quintus Marcius Turbo) (117/118-118/119)
ルキウス・コルネリウス・ラティニアヌス (Lucius Cornelius Latinianus)(127-130)
ルキウス・アッティウス・マクロ (Lucius Attius Macro) (130/131-133/134)
ノニウス・ムキアヌス (Nonius Mucianus) (134-136)
ルキウス・エリウス・カエサル (Lucius Aelius Caesar) (136-137)
クラウディウス・マクシムス (Claudius Maximus) (137-141)
マルクス・ポンティウス・ラエリアヌス・ラルキウス・サビヌス (Marcus Pontius Laelianus Larcius Sabinus) (141-144)
クィントゥス・フフィキウス・コルヌトゥス (Quintus Fuficius Cornutus) (144-147)
マルクス・コミニウス・セクンドゥス (Marcus Cominius Secundus) (147-150)
マルクス・ノニウス・マクリヌス (Marcus Nonius Macrinus) (150-153)
マルクス・イアッリウス・バッスス・ファビウス・ウァレリアヌス (Marcus Iallius Bassus Fabius Valerianus) (156-159)
ガイウス・ユリウス・ゲミニウス・カペッリアヌス (Gaius Julius Geminius Capellianus) (159-161)
ティベリウス・ハテリウス・サトゥルニヌス (Tiberius Haterius Saturninus) (161-164)
ティベリウス・クラウディウス・ポンペイアヌス (Tiberius Claudius Pompeianus) (167)
ルキウス・ウルピウス・マルケルス (Lucius Ulpius Marcellus) (173)
ガイウス・ウェッティウス・サビニアヌス・ユリウス・ホスペス (Gaius Vettius Sabinianus Julius Hospes) (173-175)
セクストゥス・クィンティリウス・コンディアヌス (Sextus Quintilius Condianus) (175-179)
ルキウス・セプティミウス・フラックス (Lucius Septimius Flaccus) (179-183)
ルキウス・コルネリウス・フェリックス・プロティアヌス (Lucius Cornelius Felix Plotianus) (183-185)
ガイウス・ポンポニウス・バッスス・テレンティアヌス (Gaius Pomponius Bassus Terentianus) (192)
ガイウス・ウァレリウス・プーデンス (Gaius Valerius Pudens) (192-194)
ティベリウス・クラウディウス・クラウディアヌス (Tiberius Claudius Claudianus) (197/198 )
ルキウス・バエビウス・カエキリアヌス (Lucius Baebius Caecilianus)(199-202)
ルキウス・カッシウス・マルケリヌス (Lucius Cassius Marcellinus) (202-204)
ガイウス・ユリウス・セプティミウス・カスティヌス (Gaius Julius Septimius Castinus) (211/212)
ガイウス・オクタウィウス・アッピウス・スエトニウス・サビヌス (Gaius Octavius Appius Suetonius Sabinus) (215/216)
ルキウス・アルフェヌス・アウィティアヌス (Lucius Alfenus Avitianus)(218-222)
マルキウス・クラウディウス・アグリッパ (Marcius Claudius Agrippa) (217)
トリキアヌス (Triccianus) (217-218)
ポンティウス・プロクルス・ポンティアヌス (Pontius Proculus Pontianus) (219-222)
フラウィウス・アエリアヌス (Flavius Aelianus) (228)
イアスディウス・ドミティアヌス (Iasdius Domitianus) (222-235)
フラウィウス・マルキアヌス (Flavius Marcianus) (230-235)
ルキウス・ウルピウス・マルケルス (Lucius Ulpius Marcellus) (262-264)
ブリゲティオ (Brigetio)
100年頃に北から帝国を攻撃してくるクァディ族に対抗するためにトラヤヌス帝がアクインクムの北西に新たな軍事都市ブリゲティオを建設した。
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