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王の正体

 城外が騒がしい。落城するのも、いよいよだろう。夜明けまで持つか、と言ったところか。
 だが、G帝国の国王・ガルシアは、決してその状況に悲観していなかった。寧ろ、潔く受け入れていた。
 彼は人類史でも類を見ないほどの暴虐の限りを尽くしてきたのだ。多くの人間が最もらしい言葉に騙され、虐げられてきた。圧迫されていた国民が謀反を起こすのも当然の報いだった。
 そして部下たちも次々に反旗を翻していく中、ガルシアの元に残っているのは、百にも満たない僅かな兵士と二十年来の付き合いになる忠実な側近・ルークだけだ。
「ガルシア様、遂に反乱軍が城内に侵入して来ました。王室にやって来るのも時間の問題かと」
「…そうか」
「幸い、国民はガルシア様のお顔を知りません。王の顔を知っている者は、城の中でも片手に数える程度です。一か八かになりますが、逃亡という最終手段もまだ残っております」
 人民の前ではいつも仮面を被っていたガルシアは、「仮面の王」と呼ばれていた。
「いや、いい」
 ガルシアは、無表情にそして抑揚のない声で虚空に答える。
「それより、ルーク。例のものは調達できたか」
「ええ、既に衣装室にございます。…しかし、こんなもの、何にお使いになるおつもりですか?」
 ルークは、王室の横に繋がる衣装室へと目を向ける。ガルシアから調達して欲しいと頼まれた、薄汚れた市民服。一体どのような用途で使われるものなのか、皆目見当もつかなかった。
「すぐにわかる」
 ガルシアは一言そう告げ、黄金に装飾された玉座から立ち上がり、衣装室へと入っていった。
 五分ほどして戻ってきた彼の姿にルークは目を丸くする。
 そこには、市民服姿のガルシアが立っていたのだ。
「それは…」
「どうだ、似合っているか?」
「申し訳ございませんが、質問にお答えする前に、私には、ガルシア様の御考えがわかりません」
「考えも何もありはしないよ。最期のときくらい、後世に伝わる暴虐の王としてではなく、この国を愛する一国民として在りたいんだ」
「ガルシア様…?」
「本当は、私もこんな人生を歩むのではなく、もっと普通に生きてみたかった。ははっ、叶わぬ願いだが。しかしなるほど、このみすぼらしい服の居心地も、存外悪くないものだな」
 ここまで弱気、いや、柔和な表情をするガルシアを見るのは初めてだった。その類に見ない非常さから、仮面を被った悪魔や人ならざる者と揶揄されてきたが、今この瞬間に見せる彼の所作にはそんな異名を取る所以は一切感じられない。市民の格好をしたガルシアが、かの冷酷な独裁者であると、誰が気づく。
 とうとう死を前にして、気でも狂ったのか。ルークは思う。ガルシアもまた、血が流れた人間なのだと。
「反乱軍の将は、随分と頭がさえわたる者のようだな。ここまで、悉く策が破られるのは私も初めてだ…。でも、だからこそ安心して、この国の未来を託せられる。G帝国はこれから先も永久に不滅だ」
「…ええ、そうですね。G帝国の未来は明るいのかもしれません」
「唯一の心残りがあるとすれば、その未来を目にすることができないことだ。最も、私には、そんな権利はないがな」
「ガルシア様は、ここまで歩んできたご自身の人生を後悔していらっしゃるのですか?」
「後悔、か」今にも消えてしまいそうなか細い声で、ガルシアは呟く。
 窓外から、大きな月が彼を見下ろす。その強大な光に照らされた表情からは、何も読み取れなかった。しかし、そこには、かつて国民を絶望の底に突き落とした男の面影が、微塵も感じられないことだけは、確かだった。
「……私は、一体、どんな選択をすれば今のような結末にならずに済んだのだろうな。全ては、G帝国のため、そして愛しき国民のため。そうであるのに、私はどこで悪魔になってしまったのだろうか。今更、過去を振り返ったところで、何の意味も持たないのというのに。決まって、人は手遅れになってから全ての過ちに気づくのだな」
 目の前に佇む壮年の王は、死を前にして気が狂ったのではない。その拭い切れない罪に、悔いているのだ。ルークもまたそう確信するのと同時に、己を悔いる。何故もっと早い段階で、王の苦悩に気づいてやれなかったのか。彼の心の中にも、後悔にも似た感情が芽生えてきた。
「だが、ルークよ、よく長きに渡って、私の元で働いてくれた。これは、地獄へ行く前の餞別だ。受け取ってくれ」
 ガルシアは懐からボトルを取り出し、それをルークに手渡す。ルークの好きな銘酒だった。
「正式な側近となってからは、酒を一滴も飲んでいなかっただろう。お前は、いつでもバカ真面目すぎる。でも、そのお陰で私は小説にも書き切れないほどの色濃い人生を送らせてもらった。本当に感謝している。また針山の上で、共に酌み交わそうではないか」
 王の言葉に、ルークは立場も忘れて涙を零した。泣いてはダメだ。そう思い留めようとしても、涙は止まらなかった。今更、王を救うことはできない。今回の反乱が起こってしまった時点で情に流されないと誓ったはずだ。全てはガルシアの行いが招いた事態なのだから。しかし最後は結局、付き合いの長さが勝ってしまう。
「うう…。王、本当に申し訳ございません」
「謝ることはない。お前は、最後までよくやってくれたよ」
「ですが、私は王を、ガルシア様を――」
 泣きながらボトルに口をつけた瞬間、ルークの目玉が見開かれた。ボトルは音を立てて床に転がり落ち、ルークは喉を押さえ、のたうち回る。まるで、制御の効かなくなったロボットのようにしばらく痙攣したかと思えば、やがて息絶えた。
「ルークよ、最後まで私のために尽くしてくれて本当に感謝しているよ」
 悪魔は、やはり悪魔のままだった。全てはガルシアの計画通り。そして、ルークが逝ったのとほぼ同時に国民軍が王室に乗り込んでくる。そのタイミングも完璧だった。まるでそれは、泥臭くも生き延びて王に謀反した全ての者たちへ復讐をしろ、という神のお告げのようでもあった。全ては、もう一度ここから始まっていく。
 ガルシアは狂喜する。こんな苦渋を舐めたまま、死ぬわけにはいかなかった。
 愚かな国民どもに復讐するためなら、例え、家族のように長い間過ごしてきた側近をも踏み台にする男だったのだ。
「ガルシアよ! お前の非道もここまでだ! 今日がお前の命日……ん? 貴様は誰だ?反乱軍の者か? ならば、なぜ、本部隊の我々より先に王室にいるのだ?」
「斥候の者だ。一足先に本部隊より王室に潜入していたんだ。でも、私がここに到着したときには、王は既に服毒自殺していた。恐らく、諦めて腹を括ったんだろう」
「そのような報せは受けなかったが」
「斥候とはそういうものだろう。我らの軍にガルシアが送り込んだ密偵が紛れ込んでいるかもしれない。だから、個人で秘密裏に動いていたのさ。それに、あの王のことだ。まだ、何か秘策でもあるのではないかと思ったんだが、まさかのこの有様だ…」
 ガルシアは、さも困惑した表情でルークへと視線を落とす。
 二十年来の付き合いであるルークですらも見抜けなかったガルシアの巧妙な演技に、反乱軍が気づくはずもない。それに、ガルシアの顔を知っているのはルーク含む、重鎮中の重鎮だけ。その中で、ガルシアに造反した者は誰もいない。彼の顔を知る者は既にこの世にいないはずだった。
「我らの手で王を殺せなかったのは、無念極まりないが、致し方ない。これで、長きに渡った戦いが終わるのだから」
「ああ、そうだ。晴れて、我々は解放されたのだ。今日は、新時代を祝して宴にしよう」
 次々と反乱軍の間に、安堵の声がもたらされていく。しかし、そんな中、ガルシアには聞き捨てならない台詞が耳に入ってきた。
「それにしても、王というものは、随分とかしこまった格好をしているものなのだな。もっと、煌びやかな衣装を纏っていると耳にしていたが」
 唯一ガルシアの中で、彼らが王室に侵入して来るまでの間にやり残したことがあるとすれば、それは、ルークの服を自身の王服と着せ替えられなかったことだ。万全を期して、王服は、衣装室に隠してあるのがせめてもの救いだった。
 もし、脱いだ服を玉座の上にでも置いたままにしていたら、すぐに疑念の目を向けられたことだろう。が、そもそも、国民軍の自警団・農民・商人で構成された兵士たちは、王服がどんなものであるのかはろくに知るはずもない。
 所詮は、些細なことに過ぎなかった。恐るるに足らず。ガルシアに死角はない、はずだった。
 しかし、倒れ込んでいるルークの顔を見て、反乱軍の先頭に立つリーダーらしき男の顔色がみるみる怒気色に染まっていく。血走った目には、この世の全ての憎しみが詰まっていた。
 そして、彼は、猛然とガルシアの下へ近づいて行き、剣を勢いよく振り下ろした。
「貴様が、暴虐の王・ガルシアだな。騙しても無駄だ! そこに眠っている方こそが、我らの偉大なる指導者、ルーク様なのだから!」
 青天の霹靂、瓢箪から駒、藪から棒…。そんな言葉たちがガルシアの脳内を次々と駆け巡ったときには、全てが遅かった。
 一体、いつからだ、ルーク。いつから、私を…。
 声にならなかった一つ一つの言葉が、血の海に沈んでいく。

 城内に獣のような雄叫びが鳴り響いた。
 名もなき小市民の怒りが、夜明けを告げたのだ。
 それに呼応するように、城下では、王の死を知った反乱に参加していない国民たちが反乱軍に喝采を送っている。王からの報復を恐れて、または現状の虐げられる生活に満足して立ち上がらなかった、国民たち。
 彼らがのうのうと喜んでいる陰で、どれだけの数の勇ましき戦士が凶刃に倒れ、尊き生命が失われたことか、当然、知る由もない。無論、心から敬愛する指導者を失った悲しみも。G帝国の歴史を変えるべく立ち上がった影の英雄の存在も。
 その光景を王室の窓から見下ろす反乱軍は、思う。
 本当に守りたかったものは、座して待つだけの臆病な国民ではなかったのだと。

 憎悪と希望を孕んだ陽が、城の上に昇ってくるのはもうすぐだ。

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