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ゲット ネイキッド イン トウキョウ ~芋女の考察~

服が何となくダサい。

制服を脱いで以来の私の悩みである。
今日は何故ダサいのか考えたい。

思想が中途半端

ファッションはそれなりに好きだと思う。
よく読む雑誌はFUDGEとGINZAとNYLON、たまに荘苑、そしてar。

まずここである。

arはこの中で異質だ。
「雌ガール」「おフェロ」等のやや卑猥とも取れるワードを生み出したこの雑誌。

誌面が、その中で微笑む彼女たちが、他に比べて圧倒的に他者を意識している。
私もそれが目的で読んでいる。

本当はいつも全身真っ黒で、唇だけをマットに赤くしていたいのだけれど、いざ殿方とお酒を嗜むわ、なんてことになったらやっぱり迷ってしまう。

手に取るのは有彩色の服で、チークは入れてみるわ口紅はちょっと艶のあるピンクを選んでみるわでポリシーなんかあったもんじゃない。

思うに私のダサさはここにある。
思想が中途半端なのだ。

黒ずくめの組織の気分の時も、もし帰りに皆でごはん!ってなった場合を考えると、飲み屋の照明に映える色とか、テーブル越しに見える上半身のラインとかを私なりに考えてしまう。

だからオールブラックとMACのリップでやって来た私は、あなたに興味がないか心を開いているかのどちらかです。
よろしゅう。

似合うと好き

私、実は赤がそんなに好きじゃない。

みんな驚くので「実は」って書いた。
だいたいの人は私のイメージを赤(+黒っていう方も)と言う。
それはそれでいいし、印象を教えてもらえてありがたい。

だけど、私が好きな色は青だ。

しかし似合うのは自他共に認めている。
似合うというのは素敵なことである。

パーソナルカラーや骨格タイプの理論は、田舎者の私にこんな色や形がよろしいという分かりやすい指標を与えてくれた。

だけど似合うと好きは別である。

例えば紫。赤以上に苦手、というか嫌いな色なのだが、めちゃくちゃ似合うことが昨今の研究で明らかになった。

逆にゴールドのピアスの映えないこと。
アクセサリーを見ているとき、金具が金色であることは私の購買意欲を減退させる確実な方法である。
大好きなのに。

美容系アカウント風に言うと、PC秋になりたい。

現状私は似合うと好きが混同していて、売り場で適切な判断が出来ない。
これも原因のひとつだろう。

まとめと、地域における街-服装の関係

色々書いたけど、結局私のダサさは

・「やりたい格好」と「見られたい自分」の解離、およびそこに生じる半端さ
・「似合う」と「好き」の混同

の二点に起因すると考えられる。

前にも書いた通り、就活ではるか東京まで流れ着いてしまった私。
そろそろ田舎者を言い訳にせず「きちんと」した格好を習得しなければ、と思っている。

思うに東京は、街が人を作っている。高層ビルみたいな直線と低い彩度で構成された人々。

対照的なのは大阪である。そんなに長く滞在した訳ではないが、人々の好きな服を着たい!という意志があの極彩色の街を作っているのだと行く度に感じる。

東京はar的だが、大阪はNYLON的だ。

都会に馴染みたい気分と、好きなものを好きなように着たい気分。

まだどちらにもなれない私は、およそ都会らしくない、提灯や看板の赤が鮮やかな下町に住んでいる。

中途半端だ。

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