花粉に墓標はいらぬ

どんな物語にでも必ず「終わり」があるなんていうのは幻想だ。始めてしまった物語は誰かの手で終わらせなければならない。いや、その終わりすらも仮初めの姿であって「暫定的な終わり」に留まる。変更不可能な絶対の終わりを目指して物語は常に、進行形の終了と並行しながら走り続ける。故に、だからこそ、我々は強い意志で物語を終わらせようとしなければならないのだ。

杉の木を全て切らなければならないのだ。必ず。
花粉が出ない杉の木が開発されている?関係ない。全て切らなければならない。

花粉症という物語が、私の免疫システムによって書き始められたものだとすれば、私が適切な医療処置を受けることによってその物語を終わらせられる選択肢を抱いていると思われるかもしれない。しかし、そんなものも当然幻想なのである。花粉症が終わる。つまり、私の鼻腔から止め処なく流れ続ける鼻水が枯れ、血走る目の紅が引いていき、体中を鉛がまとわりつく気怠さも消えたとして、果たしてそれで本当に終わりなのだろうか。否である。これは一時的な状態の保留に過ぎない。かつて私を苦しめた元凶は地面に根を張り、無意識な中に数多の人々を苦しめ続ける。そして、私の免疫が正常に戻るまで、即ち私が再度物語を書き始める準備を終えるその瞬間を待ち続けているのだ。いや、正確にはこれも違う。杉も花粉も誰かを待っていることはない。意識も持たないままにただ漂っている。警告も鳴らさず、通りますよの一声もかけず、ただ漂っている。ナイフの切っ先が鋭く光るのをナイフ自身が自覚しないことと同じだ。それはそうなのだから、そうなのである。

はてさて、私は如何様にしてこの難局を乗り越えるべきであろうか。


なんて言ってないで早く耳鼻咽喉科にかかるべきなことは知っている。知ってるよ。うん。大人だもん。わかってるって、うん。もー!わかってるって言ってるやん!あーあ、今行こうと思ってたのに!お母さんがめっちゃ言うからやる気なくした。スイッチ返して。

そういう病院行くとさ。あれ絶対やられへん?あの、鼻の奥に棒みたいなん突っ込んでくるやつ。虫歯と同じぐらい痛いやつ。あれ怖すぎる。やめて。あれ怖すぎて行かれへん。
ちゃうねん。子供とかちゃうねん。もーあれは無理やねん。前世でなんかあったと思うねん。たぶん前世はあれで死んでんねん。あれが最後の光景やったんやわ。しょーもない田舎の病院であれ突っ込まれて死んだんやで。ほんまに嫌い。

花粉症ってちゃんと公害やん。最近喉痛いし、体しんどいし、鼻の下めっちゃ荒れるてるし、絶対に弱ってる。微熱の時の方が元気やもん。絶対に。
マスクしててもしんどいねん。マスク越しに入り込んだやつが大暴れするから。そうなったらもうマスク無い方が良いしな。息苦しいだけ。呼吸不可能。

鼻うがいが良いとか言うやん。確かにな、鼻うがいした後の1分間は快適やねん。でも1分。儚い命やで快適な時間。1分後にはドデカくしゃみしてるもん。
花粉症のせいでくしゃみのボリューム上がってもうたわ。爆音やもん。国際線と同じ騒音レベル。
昔はさ、くしゃみデカいおっさんにムカついてたわ。絶対抑えられるやろって思ったもん。でも無理やねん。抑えるとかちゃうねん。体が花粉を拒絶しすぎてボリュームで花粉を遠ざけようとすんねん。そういうことやねんあれは。

にしてもさあ、ほんまになんで杉の木まだ植えてんねん。もうええやろ。もー杉林の景色も飽きたで。杉林の地面って結構水じゅくじゅくやから嫌やねん。せっかくやったら色んな木植えたってくれよ。そのほうが山行っても見た目綺麗やん。

でもちゃうわ。俺ヒノキとかもあかんからな。ていうか植物全般あかんからな。全部で花粉症なるからな。自然そのものが無理やわ。

え、待って。拒絶されてるのって俺のほうか。
花粉おわり

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