見出し画像

スポーツの日からスポーツと体育を考える

 今日は(と言ってももう終わってしまいましたが)スポーツの日です。本来は今日、2020東京五輪の開会式が催される予定でしたが…今回はスポーツの日の逸話とスポーツー体育の違いについて書きたいと思います。

なぜ「スポーツの日」なの?

 「スポーツの日」は元々体育の日だった、というのはご存知ですよね。「スポーツの日」の名称は今年(2020年)から使用されているものです。

 はじめに体育の日が制定されたのは1961年。当時はスポーツ振興法に基づくもので、国民の休日ではありませんでした。ちなみにこの時の体育の日は、10月の第1土曜日。

 国民の休日として体育の日が制定されたのは1966年。これは1964年の東京五輪がきっかけです。1964東京五輪は10月10日に開会式が行われましたが、この開会式の日程に因んで10月10日を「体育の日」と制定しました。当時の「体育の日」の目的は、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」こと。

 2000年には、「ハッピーマンデー制度」なるものが適用され、これまで固定で10月10日だった体育の日は、10月の第2月曜日となりました。

 そして、2020年から名称が「スポーツの日」に変更されました。いつも10月にくるスポーツの日(体育の日)が7月24日にずれているのは、2020東京五輪の開会式に合わせたからです。ではなぜ名称まで変更されたのでしょう。

 これは単純に言ってしまうと、「体育」よりも「スポーツ」の名称の方が妥当だと判断されたからだと言えるでしょう。確認しますが、体育の日が制定された目的は「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかうこと」でした。この時点で体育ではなくスポーツに親しんでほしいという思いが込められていたのがわかります。当時は「体育」という名称と「スポーツ」という名称が同じ意味で使われることが多く、さほど違和感はなかったのでしょう。しかし多方面で「体育とスポーツは区別すべき」という考え方が主流になっていく中で、国民の休日である「体育の日」も名称を変更するに至ったのだと思われます。

 ちなみに、スポーツの日の目的も少し改定され、「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」こととされています。

スポーツと体育の違い、理解できてる??

 さて、「スポーツの日」に名称が変更されたのは、思い描いているものが「体育」ではなく「スポーツ」だからでしたが、そもそも体育とスポーツを混同してしまっている場面はかなり多いです。

 そもそもスポーツとは、辞書での定義によると、

競争と遊戯性を持つ、広義の運動競技の総称(後略)(ブリタニカ国際大百科事典)

とされています。正直「スポーツとは」という問いに対し、「これ!」というものはなく、学者の数だけあると言っても過言ではありません。最近では「eスポーツ」も盛んになってきており、私たちがスポーツと言って思い浮かべるような、体を動かして汗をかいて…というものに留まらない世界になっています。なのでここでは踏み込んだ言及は避けますが、いろんな競技や余暇で行うトレーニングなんかもイメージして良いのではないかと思います。

 一方体育は、

身体運動を通して行われる教育をいう。(後略)(ブリタニカ国際大百科事典)

という定義は辞書ではなされています。体育とは、教育の一環スペンサーの三育思想というものがありますが、この「知育」「徳育」「体育」の3つ目を担う教科の一つです。

 私は体育を専攻する大学院生ですが、教員養成課程の体育分野では「体育ではスポーツをするのではない!」とよく言われます。それはその通りで、なぜらなば体育は教育の一環だからです。教育の目的(人格の完成)のもと、体育科の目標の達成のために、発達段階にあった教材を設定します。体育の授業はスポーツクラブとは違うはずです。

 ですが、私が受けてきた体育も、今教師をしている大人が子どもだった頃に受けてきた体育も、「スポーツ」をしていたという現状が多くあります。これはそのはずで、そもそも日本ではスポーツ振興の一番の方法が体育だったという歴史があります。明治維新後、「富国強兵」の元、体育は体を鍛えるためにありました。戦時中は、戦争で勝てる体を育てるために。戦後、スポーツをする機会は学校体育しかなかった。民間のスポーツクラブなどなかった時代に、体育はスポーツをする機会を提供する場所という役割も担っていたのです。

 最近では、スポーツをする機会は求めれば非常に多くあります。民間のスポーツクラブがある。少年団で地域スポーツに関わることもできる。スポーツにとって、学校体育はそこまで重要ではなくなったのです。(もちろん、“学校“はスポーツ振興に貢献しなくなったわけではありません。場所を提供することはもちろん、何より「部活動」というものがあります。部活動は学校教育の一環ですが、運動部活動ではスポーツを行います。実際に学校単位で試合が行われ、部活動がきっかけで日本を代表する選手になる可能性もあります。“学校体育“も同じで、「生涯スポーツに携わるような人を育てたい・スポーツが好きになってほしい」という目標が掲げられているのも事実です。)

 何がともあれ、このような歴史的な背景がもととなり、体育とスポーツは混同されてきました。最近になりやっと、体育とスポーツは違う!という考え方が主流になりつつありそうです。

 体育は教育の一環ということにより、体育という言葉が対象とする年齢は自ずと教育を受ける年齢だけになってしまいます。とすれば、「体育の日」で国民のスポーツ振興を推し進める…というのは、矛盾が生じてしまいます。このことにより、「体育」よりも広い範囲を包括できる「スポーツ」という言葉が国民の休日に採用されたのでしょう。

 余談ですが、「体育」の概念の正しい捉え直しが広く行われたことによって、「スポーツ」の名称に変更されたものは国民の休日に留まりません。「国民体育大会(通称国体)」は、2023年佐賀大会から「国民スポーツ大会(国スポ)」に変更、「日本体育協会」は2018年から「日本スポーツ協会」に変更されています。

まとめ

 スポーツは競技や余暇も含む、競争性・遊戯性のあるもの。体育は教育の一環。つまり、「スポーツ」という言葉の方が「体育」という言葉より、包括する意味が大きいのです。「体育」ですることと、「スポーツ」ですることは違う。似ているけど、違う。ここら辺はスポーツ界にとっては最近シビアなので、混同していないか今一度考えてみてもいいですね。

 この混同により、相応しくない体育の授業をしている、という指摘もできるのですが…それはまたいつかの機会にまとめてみたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました。良きスポーツライフを!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?