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「選手」という選択をずっと後悔していた

私は5歳から高校3年生まで、新体操というスポーツをしていました。

人生には何度か、大きな選択を迫られることがあります。私は、新体操をしている間、たくさんの選択の場面がありました。そして、幼少期の自分の選択をずっと後悔していました。

私の新体操生活の選択について、振り返ってみました。

始めたての選択

新体操を始めたのは5歳で、幼稚園の年長の頃。
近くに住んでいた友達が体操をしていて、「うちのチーム新体操もあるし、バスで送迎もあるからやってみたら?」と、同じマンションのお友達と一緒に習い始めました。

大きな鏡のある教室で、ピンク色のかわいいレオタードを着て、かわいい演技をする。純粋に楽しく新体操に取り組んでいました。

小学生に上がる頃、進級の話が出ました。試合を目指して練習する、低学年の選手コースのようなものです。母に「どうする?」と聞かれたので、「友達も入るし私もそっちに行く」と、車の後部座席で返事をしました。

この選択を私は数年後悔することになるのです。

厳しい世界に怯える日々

試合に出るには、それなりの練習が必要です。
そして、練習態度にも厳しい目を向けられることになります。
これまでワイワイ新体操をしていた私は、今までとは豹変した先生を見て、ビクビクしながら練習をするようになりました。

柔軟運動でこれでもかと押されて、痛い。
忘れ物をして、こっぴどく叱られる。
練習場から出されて、嗚咽を抑えながら謝る先輩たち。

言われたことをすぐに受け止める癖のある私は、こうした環境の中でも「やれ」と言われたことに無心で取り組んでいました。

この時はビクビクしながらも、まだ何も考えていなかったのですが。

移籍しても

引越しせざるを得なくなり、チームが変わることになりました。

引越し先でも新体操をするという選択しかなく、実績のある2つのチームを紹介してもらいました。

家の近くのチームに行くと、紹介状を返され、試合に出ていない別のチームを紹介される。ここでは自分は必要とされていない、むしろ邪魔と言わんばかりの対応をされて、もう一つのチームへ。
家から電車で1時間かかる、こちらの強豪チームは私を受け入れてくれ、このチームで頑張ることにしました。

全国に名の知れた選手が複数在籍しているチームなだけあり、練習内容は厳しいものでした。
学年が上がるにつれ、求められるものも多くなります。私は能力も高い方ではなく、太ってしまい、怒られることも増えていきます。コーチから見捨てられたように感じることも多くなり、「新体操が嫌だ」と思うようになってしまいました。

小学校を卒業したタイミング、中学でチームを卒業するとき、いろんなときに「辞める」の言葉が頭を駆けめぐりました。

あの時、選手コースに入らなければ、自分はもっと楽しく過ごせたのに。こんな苦しい思いをしなくてよかったのに。

しかし、親や先生からの圧力(自分が勝手に感じていたのかも)により、辞めると言えず、高校でも続けることになります。

根強い後悔は雑念を生む


高校でも、厳しい練習が続きました。もともと「新体操は嫌だ」と思っていた自分にとって、高校での練習は辛かったのですが、環境が変わり、自分がここにいていいと思えることが増え、嫌ながらも真面目に取り組むことができました。さらに、「もう高校で終わりにする」という強い信念を持つことができ、終わりが見えたことで吹っ切れた部分もありました。

ただ、それ以上に自分で作った「新体操は嫌なもの」という意識が根強く残っており、どこかで力を抜いたり、新体操ではない別のものに逃避したりして、チームや先生が理想としていた「新体操一筋の人間」になることはできていませんでした。
こんな逃避する自分を後ろめたく思いながら、真面目に取り組む自分を演じていて、雑念だらけの高校生活だったように思います。

もっと新体操に真剣に取り組めたら、違う自分になっていたような気がします。

後悔が感謝に変わったとき


大学に進学し、晴れて新体操を卒業することができました。
今まで自分を呪縛していた大きな綱がほどかれたような心持ちです。

離れたかった新体操から離れて、気づいたことがあります。

長年やっていた新体操は、私の体や心に深く根付いているということです。

姿勢、歩き方、立ち振る舞い、思考。今の自分の言動や行動の多くは新体操が軸になっているように思います。

新体操をここまでやっていなければ、自分はもっと違う人間になっていたと思います。

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とある選択により、長年苦しい思いをすることになることがあるかもしれません。
しかし、私の場合、この苦しさは、「成長から逃げようとする心」だったように思います。
ほぼ強制的に逃げられない環境になっていたから続けることができましたが、今となってはそうやって苦しい選択を後押ししてくれた周りの大人に感謝しています。(今となっては。

高校の先生が、「迷ったら苦しい方を選びなさい」と教えてくれました。結果が出なくても、自分が努力して、向き合うという過程が、自分を強くしてくれます。
私はオリンピック選手にはなれなかったけれど、新体操を通してたくさん向き合うことができて、今の自分と出会えてよかったと思っています。そして、長年このことに気づけなかったことを悔しく思います。


これからは、何かを選択して結果だけを見て判断するのではなく、その過程が自分を高めてくれたと思って進んでいきたいと思います。

そして、私が関わる子どもには、私のように長年後悔をしながら取り組むようなことがないように、過程を認めて成長をサポートしていきたいです。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました😊

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