仮想通貨をやるべきでないたった一つの理由

タバコはやめろ
酒はほどほどに
ギャンブルに手を出すな

人の欲求は社会の風潮やあるいは理性によって制限されている。

仮想通貨をやりたい理由は何かと聞けば、「これからの時代の云々〜」などと大層な言い訳を持ち出すが、その実は「ギャンブルをしたい」という心によって突き動かされて考え始めるものだ。

どんなに「儲かる理由」を並べ立てようとも、あれが人のギャンブル心に刺さって検討を始めたことは多くの人にとって事実だろう。

株は上手く学び未来を読めば十分に当てる事が出来る。それなのにやらないという強い正義感を持っているくせに、仮想通貨などという社会の動向でも読めないモノを受け入れるのは矛盾している。

稼ぎやすい方法や新たな技術が導入されるなどの変化はあっても、それが事実だとしても後付けの口実なのだろう。

ただギャンブルをしたい、しかし周りの人間や自分の理性がそれを許さない。だから、仮想通貨という一見頭の良さそうな取り組みに言い訳を探して、参加するのだ。

どう考えても「株・FX・仮想通貨」として同じようにカテゴライズされるものだが、革新的という理由で何か別のものだと自分に言い聞かせているように見えて仕方ない。

私も仮想通貨は魅力的だと思った。そしてすぐに調べ、「参加しない」と判断した。

それは私が商売人だからだ。

商人とは「絶対に儲けられるモノ」を嗅ぎつけ、その商売を始める。

商人は絶対に失敗するリスクを負ってはいけない。一時的に儲けたとしても、同じことを続けて稼ぎ続けられないのなら、あるいは続けてきた商売を棒に振るような失敗を一度でもしてしまう可能性があるとするならば、それはやってはいけないのだ。

その仕組みを見て一瞬で理解した。これはただのFXと同等のものだと。
その儲かるという仕組みはFXとほとんど変わらない。

ブロックチェーンの仕組みも覚えた。大量の消費電力やグラフィックボード、その他手数料や運営費に対して、誰が金を払っているのかと言えばもう仮想通貨を買っている人しかいない。

仮想通貨という大金の動く世界に対して、金を払っているのは仮想通貨を買う人だけだ。

いつかその「金」という信用や信仰の塊が崩壊し、現実の金に変換される時、その時残される実態は入念に計算され続けてきた莫大なデータと、既に使ってしまった消費電力だけなのだ。

まさしく通貨らしくて「仮想通貨」という表現は美しいと思った。

その幻想が今後何百年にも渡って信仰され続けるなら、仮想通貨は現実の金と同じように価値をもつのかもしれない。

しかしそれが定着するまで、その製造コストと宣伝コスト、取引や維持コストは仮想通貨を買う者が払い続ける。

勝者は作った者と電力会社と石油会社等と、それと一部の運の良い参加者達だ。

私は通貨として絶対的に定着するまで、購入者としては参加しない。

商人たるもの、リスクを何一つとして負ってはいけない。

アレに参加することを商売とは呼ばない。

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