【留守を守る】生誕100年 芥川(間所)紗織 フェミニズムと映像表現 MOMATコレクション(2024.9.3–12.22)東京国立近代美術館
東京国立近代美術館の常設展の入れ替えが行われた。
10月からの埴輪展を前に常設展だけの時期に見ておきたい。
今回はおなじみの所蔵品たちが大阪のTORIO展へ出張中なので留守を守る常設展がどんなラインナップになるのか気になっていた。
4階
新宿の風景
「ほてい屋6階から」とあるがこれ現在の伊勢丹の位置じゃないか?と思って調べたら伊勢丹とほてい屋はもういろいろあったのですね。現在の建築物にもその痕跡が微妙にわかったりその筋のマニアがレポートを上げているので詳しくはそちらを。
風景の絵はどこから描いたのかわかると面白い。
特に新宿は1923年以降に発展した地域なのでそのころからやっと絵画作品が増えてくる。毎日乗降している駅なのでおのずと親近感がわく。
しかしこの絵に載っている新宿三越も今はなく、ビックロという謎の建物になった。今度はまたUNIQLOの旗艦店になるという。
呉服屋→百貨店→電気屋&衣料→衣料品
という変遷だけ見ると、この場所での商売カテゴリは衣服という点で回帰してんだな、と。
3階
ズンベラヨー
桂ゆき「ゴンベとカラス」
民謡、種蒔き権兵衛からの作品という。
この桂ゆきの目が描かれた作品が好きだ。
なんかセサミストリートみたいな、と解説を書いていた美術館があった様な…府中市美で見たのかな。
この民謡と民話を知らなかったので、ちょっと調べてみた。民話から絵画を起こすってあまりない例なのかもしれない。面白いなぁ、ズンベラヨー。民謡聞いたことないのだけども。
そして調べている途中でヒットしたのがこの機械。
種まき機ごんべえ というのがある。
これ種まき権兵衛から拝借したんやろなぁ…
写真の部屋
千葉の!風景が!
何でもない千葉の風景…好きだ。
しかし2000年代の写真なので私が幼少期見た風景とは違う。千葉の、どこなのだろうか?撮影場所を特定したい。
写真を撮り忘れてしまった、もう一枚は蘇我にあった川鉄病院じゃないか?ちがうかな。
2階
いつも推しの2階展示。今回はミニマルアート系だった。好き好き。近代所蔵のジャスパー・ジョーンズは初めてみた気がする。
今回面白い!と思った作品は川田 祐子さんの作品。
解説も読まず見始めて、遠目で作品を見た時と近づいて見た時に、思っていたテクスチャーとぜんぜん違っていて驚いた。
遠目で見た時は点描というか絵の具のみの作品だと思ったらなんだか妙な気がする。
なんだこれ?
描いた?欠いた?掻いた?
カッターで引っ掻く様な線と面相筆での線を合わせた作品だそうだ。(ご本人のホームページの解説より)
その細かい部分が見えてくると良い意味でゾワゾワしてくる。
うわぁーーってなる。
視界は接近しているのに視界が開ける様なこの感覚、たまに抽象画を見ている時に起きるのだが、これが楽しくて抽象画を見るのがやめられない。
フェミニズムと映像
概要をしっかり読んだほうが良いだろう。
ダラ・バーン・バーム
ワンダー・ウーマン作品は映像を必用に繰り返すことで滑稽さを煽りつつ、なんでこの格好になる必用があるんだ?と違和感に繋がる。
こんなん、日本の一昔前の美少女アニメーションにも意味のない露出いっぱいあったんだなー。
あれは何だったのかー。
出光真子
この当時の主婦の方々言葉がそのまま残っていることが貴重だ。言葉遣いにしてもそうだし、こうして音声を聞いてみると話し方、言葉って変わる。会話中「主人が帰ってきて〜」って言っていた。夫を「主人」って言わないな…「旦那」もないか。
主人、って世帯主ってこと?扶養者、なのか?主な人、とは。
そう言えば、この方はサム・フランシスと夫婦だったのだっけ。
フェミニズムと私
私はフェミニストでありたい。
自分の性別も否定したくない。
自分の親世代、昔に比べたら幾分マシなんだろうけど、それでもそう思ってしまう程度にまだまだジェンダーの問題はあるだろ。
マシという考えがそもそも馬鹿げてるかも、過去が酷すぎなだけだから。
私は自分の性別と違う子供を育てなければならず、たまにそちらの世界を見てると、自分自身が小さい頃通った制約がはるかに少ないことを知る。
例えばその一つとして言葉遣いとか、しぐさ、振る舞いとか。
自分自身の成長過程の途中で「おかしいくないか?」と気づいてちょこちょこ思い込みを放棄して行くわけだが、初めからそんな制約が無いのとエネルギーを持って放棄しなければいけないのとは随分違う。
真の自由度というか、そういう土壌がもう違うレベル。
では私も彼らに「男の子なんだから」は言わないようにしたいと思った。
例えば「男の子なんだから泣かないの」とは言わなかったけどそのせいなのか物凄く泣き虫な男児2名が家にいる。
それが正解なのかもわからないし今までは正解だったことなんて簡単に崩れるから突き進むしかない。
男の子だって女の子だって「泣きたければ泣いていい」だろうし反対に「そこで泣くのは違うよね」という我慢が必要場面もある。性別関係なく。
ここから先は彼が自分自身で耐えなければならない場面で涙を堪えられる技を習得すればよいのかもしれない。
うわぁ…美術館で美術展を見てただけなのにこんなにもツラツラ思い浮かぶことがあるのか。
なかなかどうして、実は腹の奥底には色々な感情があるんだろうな。
そういうのを見つめ直して吐き出すのも美術館に来る理由の一つなのかもしれない。
芥川沙織生誕100周年に関しては、東京都現代美術館との館を跨いでのレポをどこかで書きたい。