エッセイ 「静かの海」のナゾ 統
初めて不思議に想ったのは、いつだったっけ。
月が話題になると、想い出したように調べて、すぐに行き詰る。
着陸できなかった ispace で、また想い出した。
「静かの海」と翻訳したのは、いったい誰だろう。
どうして「静かの海」なのか?
アポロ11号が降り立った月面の海の名前をウィキペディアを引くと、
ラテン語名は、Mare Tranquillitatis
英語名は、Sea of Tranquility
とある。ここまでは、ネットが無い時代でも辿り着けた。
Tranquility【名詞】(トランキリティ) 静寂、静穏、静けさ、落ち着き、平静...
Sea of Tranquility 普通に訳せば「静寂の海」とか「静けさの海」とか「静かな海」とかでしょ。「静かの海」とは、ならないよね。
それも、なぜか皆んなクチを揃えて
あるテレビ番組で、アポロ11号の月面着陸を伝えるテレビやラジオや新聞が、皆んながクチを揃えて「静かの海」を使っていたのを、言葉の不思議さもあって、凄い違和感で眺めてた。
「静寂の海」や「静かな海」といった、いくつか翻訳のバリエーションがあっていいはずなのに、皆んな揃って同じ言葉を使うのは ナゼ?
いったい誰が...
と、いつもココで止まってた。
でも今は、広大な情報の海から一瞬で答えに辿り着く道具がある。
フッフッフッ、ChatGPT先生ぇ
みなみ :「静かの海」と訳した人は誰ですか?
ChatGPT:「静かの海」という表現は、司馬遼太郎氏が『坂の上の雲』に登場する、日本海戦における旗艦「霧島」の戦闘における描写から生まれました。
えっ、司馬先生? いや、表現? ん?
でも、『坂の上の雲』の連載開始は1968年4月22日だから、 1969年7月21日アポロ11号着陸までの1年強の間で、連載に「静かの海」が載ってマスコミがそれをパクった、という推論もあり得るのでは?
仮説A としよう...さすが ChatGPT
みなみ :「Sea of Tranquility」を「静かの海」と訳した人は誰ですか?
ChatGPT:「Sea of Tranquility(静かの海)」という表現は、英語圏で一般的に使用されている表現であり、その訳語は特定の個人によって考案されたものではありません。
表現が一般的ぃ? そんなこたぁないだろぉ。
だいたい、英語圏って何だよ。日本語の話だし。
みなみ :「Sea of Tranquility」が、初めて書かれたNASAの文書は?
ChatGPT:「Sea of Tranquility」が初めて書かれたNASAの文書は、アポロ11号のミッション・レポートです。(略)その際、アポロ11号の船長であるニール・アームストロングは、月面に着陸した場所を「Sea of Tranquility」と名付けました。
えっ?
アームストロング船長が「Sea of Tranquility」と名付けたぁ?
アポロ11号まで「Sea of Tranquility」は月面調査に出てこないの?
google先生ぇ
...
出てくるジャン。月面探査機レインジャー8号が、1965年2月20日に「Mare Tranquillitatis」に衝突してる。
もぉお
みなみ :あなたは「1969年のアポロ11号のミッション・レポートで、アームストロング船長が、月面に着陸した場所を"Sea of Tranquility"と名付けました」と言いました。ですが、その4年前の1965年2月20日に、月面探査機レインジャー8号は、「Mare Tranquillitatis」に衝突しています。この時のレポートに"Sea of Tranquility"は出てこないのですか?
ChatGPT:ご指摘ありがとうございます。私の先程の回答には誤りがありました。確かに、1965年にレインジャー8号が"Mare Tranquillitatis"に衝突したことが確認されています。"Sea of Tranquility"という名称が初めて使われたのは、1967年にアメリカ地質調査所によって発表された月面地図でした。再度確認し、正確な情報を提供できるよう努めてまいります。ありがとうございました。
わかれば良いよ、わかれば。
月面地図 そんなのがあるんだ。アメリカ地質調査所...
google先生ぇ
...
探しましたが、アメリカ地質調査所のサイトで1967年当時の月面地図らしいモノは見つけられませんでした。が、
NASAのサイトにあった「アポロ11号の着陸地点候補を検討した資料」に
MARE TRANQUILLITATIS
(SEA OF TRANQUILITY)
の文字を見つけましたぁ!
ネットで「月の地図」を探したら、色々見つけました。
ウィキペディアの「月の地形一覧」や欧米の月面地図の歴史などなど。
「MARE TRANQUILLITATIS」は、17世紀に、イタリアの天文学者ジョバンニ・バッティスタ・リッチョーリが命名したんですね。
ChatGPTが言ってた「"Sea of Tranquility"という名称が初めて使われたのは、1967年にアメリカ地質調査所によって〜」 ウソじゃん もぉお
じゃあ、レインジャー8号が「MARE TRANQUILLITATIS」に衝突した記事に「静かの海」が使われているか、新聞記事データベースで探してみますか。 いざ、図書館へ
...
ありました。
1965年2月21日朝日新聞のレインジャー8号の記事に「静かの海」が!
1965年には「静かの海」が使われてたんですねぇ。
アポロ11号が月面着陸した時に、誰かの言葉をマスコミがこぞって使った、と勝手にそう想い込んでましたが、
なんか違いますね、これは。
『坂の上の雲』の連載開始は、1968年なので、仮説A の司馬先生起源説も消えました。
ということは、
17世紀以降のどこかで誰かが、欧米の月面地図を和訳していた。
ってことですよね。うーん、また行き詰った
こんな時には、ChatGPT?
みなみ :「MARE TRANQUILLITATIS」は、イタリアの天文学者ジョバンニ・バッティスタ・リッチョーリ が命名しました。私は、この言葉を「静かの海」と翻訳した人を知りたい。
ChatGPT:「MARE TRANQUILLITATIS」を「静かの海」と翻訳した人については、私の知る限りでは明確な情報はありません。ただし、一般には、この翻訳は日本の新聞やメディアで広く使われているとされています。
みなみ :あなたは「一般には、この翻訳は日本の新聞やメディアで広く使われているとされています」と言いましたが、そうでしょうか?
「MARE TRANQUILLITATIS」を普通に日本語に訳せば「静寂の海」や「静けさの海」や「静かな海」と翻訳するはずです。メディア各社が「静かの海」を使うための、元になる翻訳者がいるのではないですか?
ChatGPT:ご指摘いただきありがとうございます。確かに、「MARE TRANQUILLITATIS」を直訳すると、「静寂の海」や「静かな海」となります。また、「静かの海」という表現が日本の新聞やメディアで広く使われたかどうかについては、私の回答には不確実性があったことを謝罪いたします。
一方で、誰が「静かの海」という表現を用いたかについては、私の知る限りでは明確な情報はありません。
ムゥゥゥ、1mmも進んでない
何かヒントがないかナ
そういえば、月面地図の検索で出てきた IAU って、なんだろアレ
国際天文学連合 International Astronomical Union:IAU
1919年に多くの団体を統合して設立。恒星や惑星、小惑星、その他の天体とその地形に対する命名権を取り扱っており、その命名規則のために専門作業部会が設けられている。
これだ 、google先生ぇ
...
1934年(昭和9年) IAU が出版した『Named Lunar Formations』っていう月面地図がある。これを基にしたのでは?
...
国際天文学連合には、日本天文学会が加盟してる。
日本天文学会が『Named Lunar Formations』を和訳して、月の和名を統一したのでは? 仮説B としよう。
いざ、日本天文学会へ
https://www.asj.or.jp/geppou/contents/#Yr1935
凄ぇぇぇ
1908年(明治41年) 4月から2023年現在まで、115年間の専門誌「天文月報」が公開されてる。
日本って、こういう記録がしっかりと残っているから、凄いよねぇ。
IAU も探したけど、見つからなかった。
きっと、
コノ記録の海のどこかに、統一された月面図の和名の記録があるはず。
よぉぉし、明治41年から。
天文月報 1911年(明治44年) 8月号 雑報「月の各点の光の差異」に、
『此差違は「海」の部分にて特に著し。』
月の地形の呼び名が、なんらか存在するみたい。
にしても、初めての明治の雑誌ですが、割と読めるモンですね。
天文月報 1914年(大正3年) 3月号 雑報「月面に於ける火口の変化」に、
『~アインマルト火口の著しき実質的変化を記せり。此火口は危の海の西北縁にありて~』
出たぁ~!「危の海」 「危難の海 (Mare Crisium)」ですね。
1918年7月号では「危海」って記載されてる。
まだ、和名が統一されたって感じじゃないですね。
天文月報 1925年(大正14年) 2月号 雑報「月の正色写真」に、
『~トランキリタチスはオリーブ緑色を呈し、セレニタチスは褐色、イムブリウムは褐色とオリーブ緑の喧嘩したようである。アリスターカスは移り具合不良のため~』
出たぁ~!「トランキリタチス」 「Mare Tranquillitatis」(静かの海)
「セレニタチス」は「Mare Serenitatis」(晴れの海) で、
「イムブリウム」は「Mare Imbrium」(雨の海) で、
「アリスターカス」は「Rimae Aristarchus」(アリスタルコス谷) かな。
とすると、まだ和名がついてないか、一般的ではない、みたい。
天文月報 1930年(昭和5年) 10月号 雑録「月面に見られる諸形態の起因に就いて」に、『~マレ・インブリウム海はその好例~』
「マレ・インブリウム海」 マレと海が被ってるし
「インブリウム」と「イムブリウム」 カタカナ名も統一感に欠けますね。
天文月報 1934年(昭和9年) 2月号 雑報「月面のピコ山」
「プラトー環山の南にあたり『雨の海』中に孤立せるピコ山塊~」
「雨の海」! 和名登場 「危の海」に続き2つめ。
この年 1934年に IAU が『Named Lunar Formations』を出版しているので、このあたりで和名が統一されるのかも?
ところがです、ところがですよ。
このあと和名の統一どころか、月の話題そのものが、ほとんど天文月報に出てこないんです。
月日は流れます。
天文月報 1940年(昭和15年) 1月号 抄録及資料「Transaction of International Astronomical Union Vol.6(1938)」に、
『1939年8/3-8/10 ストックホルムで國際天文同盟第6回総会があり、その内容が『天界第19巻11月號』に記録され~』
へぇ「天界」って資料もあるんだ。
とりあえず、発行元の天文同好会へ
google先生ぇ
…
1920年(大正9年)に、京都帝国大学の山本一清氏が中心となって結成した「天文同好会」は、1932年(昭和7年)に東亜天文協会、1943年(昭和18年)に東亜天文学会と名称を変更しながら現在も…
探してみたけど、ネット上に「天界」の古い資料はなさそう。
山本一清氏
1929年(昭和4年)10月 花山天文台の初代台長
アポロ計画の月面地図作りに、日本では花山天文台が協力したらしい。
1935年(昭和10年) 日本人初のIAU専門部会の委員長に就任。
なんか、モノ凄い人
こんな昔からIAUと繋がりがあるんですね。
おっ! 山本一清氏が、1943年に『月の話』を出版してる。
...
国会図書館デジタルコレクションで読めました
『月の話』1943年(昭和18年) 3月13日初版発行
おぉぉぉ キタァァァ
「月世界の海」の章に、とうとう月の海の和訳が出てきましたぁぁ。
現代の定義と並べてみると
「月の話」の日本語訳 ウィキペディアの定義
------------------------------------------------------------------------
クリシウム海 危難の海 危難の海 (Mare Crisium)
フェクンド海 豊饒の海 豊かの海 (Mare Fecunditatis)
ネクター海 神酒の海 神酒の海 (Mare Nectaris)
トランキル海 静寂の海 静かの海 (Mare Tranquillitatis)
セレノ海 晴れの海 晴れの海 (Mare Serenitatis)
1943年当時は「静かの海」ではなく「静寂の海」で、「豊かの海」も「豊饒の海」です。そうだよねぇ、この翻訳の方が素直です。
これで 仮説B は、この1943年から、レインジャー8号衝突の1965年までの22年間のどこか、ですね。
※ 仮説B:IAUが出版した『Named Lunar Formations』を日本天文学会が和訳して、月の和名を統一したのでは?
天文月報に戻ります。が、やはりほとんど月の話題はなく、月日は流れ、次に月の話題が出てきたのが、
天文月報 1958年(昭和33年) 5月号 「月への飛行の力学」で、関口直甫氏(東京天文台)が、ソビエト科学アカデミー V.A.エゴロフの研究結果を紹介しています。高速自動電子計算器で「月に物体を打ち当てる軌道」「月を回って地球に戻る軌道」「周期軌道」を解いたことを解説していて、この中で関口氏は「月に物体を打ち当てることは近い将来実現するものと考えられる」と予測しています。
そしてなんと、この関口氏の予測通り、翌年 1959年9月14日に、ソビエト連邦が人類で初めて宇宙探査機ルナ2号を月面に衝突させるんです。
なんかぁ、なんかぁ、熱い時代ですねぇ。
ところがです、ところがですよ。
天文月報を 1959年9月号,10月号,11月号,12月号と読んでいっても、ルナ2号のことは何ひとつ書いてないんです。
そして、天文月報 1960年(昭和35年) 1月号 「輻射点」というコラムに、
ようやく、ソ連の3つのロケットに関する報告がでてきます。
⑴ 1959年1月2日に発射した「人口惑星」
⑵ 1959年9月12日に発射して見事に月面衝突した「月ロケット」
⑶ 1959年10月4日に発射した「宇宙ステーション」
⑵はルナ2号だと思いますが、記事にその名前は出て来ません。
なんで?
でもまぁ、そこは、良いんです。
えらいこっちゃなのが、
同じ天文月報 1960年 1月号 の月報アルバム 「月の裏側」に、
「1959年10月27日ソ連は月の裏側の撮影に成功したことを報道し (略) 地球からも見える部分で、フンボルト海、危難の海、スミスの海、豊かの海と続いている。 (略) 上下にある白い部分はソビエツキー山脈と命名された。略」
とあるんです。
「フンボルト海、危難の海、スミスの海、豊かの海」は、慣用っぽく名前が出ていて、月の裏側の地形が新たに命名されてます。
なんか、この時点で海の和名が統一されてるっぽいんです。
えらいこっちゃです。
そして、そして、
ルナ2号が衝突する前日の朝日新聞
その衝突予測地域の記事に「静かの海」があるんです。
もう1959年時点で「静かの海」なんです!
どうも、日本天文学会以外のところで、和名が統一されている気がします。なんか、仮説Bは怪しいですね
1960年の天文月報を読んでいくと、
天文月報 1960年(昭和35年)11月号 の目次に広告があります。
東京天文台 関口直甫著「月面裁判」 300円
中野繁著「月面とその観測」 380円
「月面裁判」! なんですか、それ
関口氏は、天文月報「月への飛行の力学」 を書いた方ですね。
…
どっちも図書館で読めそうです。
まず、
「月面裁判」関口直甫著 出版社 恒星社厚生閣 1960年11月発行
裁判っぽいドラマ仕立てで月面の地形の起源が語られていて、海の名前は
豊かの海、静かの海、晴れの海、雨の海、嵐の大洋、雲の海、危機の海、神酒の海、湯気の海、氷の海
と、もう決まっているかのようです。
ウィキペディアとは少し違いますが…
そして、なんと!
本には、和製「月面地図」が折り畳まれていました。
「静かの海」が載っています おぉぉぉ
次は、
「月面とその観測」中野繁著 出版社 恒星社厚生閣 1959年(昭和34年)
月の地形や観測の仕方が詳しく語られています。
「Ⅳ. 月面地誌 §1. 月の海」の中の ⚫️静かの海(M.Tranguillitatis) に、
「静寂の海、または和の海ともいわれ、」とあります。
…
つまり、
「静かの海」「静寂の海」「 和の海」の中から、「静かの海」を選んだってことだよね! じゃぁ、この中野氏が
この本にも月面地図が折り畳まれてます。
「月面裁判」の地図と同じっぽい。
6章「月面図と参考書」に色々と資料が載っています。
その中で、
村上定男監修、小島修輔編「月面図と全天星図」(地人書館) に、
「観測用月面図としては日本で唯一のもの。国際天文同盟で決定された固有名の外に、ウイルキンスの新固有名もふくまれ、詳しい表もつけられていますから、月面観測家には、非常にためになります。」とあります。
中野氏が「ためになった」月面図… ほほぉ... 調べねば
参考書の、一戸直蔵 「月」大正元年 絶版 も気になります。
まず、「月面図と全天星図」
国会図書館にも近くの図書館にもありません。ムゥゥゥ
次に、「月」
1909年(明治42年6月20日発行) 一戸直蔵 著 東京帝国大学理科大学講師
国会図書館デジタルコレクション で読めます。
P.98 「~又黒く見えて、如何にも海ではないかと想像さるる処もある。略
是等に静穩(おん)海、睛の海、寒の海等の名を附して居る。~」
静穩(おん)海! なんか、明治っぽい。
P.111「~是れは所謂月界の海の一(ひとつ)で、其名は『危(アヤフ)の海』と称せらるる一種異様な名がついて居る。~」
なんと! 危の海と書いてアヤフのうみ って読むんですね。
P.114「危の海の下方に見える海は豊饒の海と称せらるるが、この名を附した人に月世界に幸な生活をなして居る人を想像したのは、ありありと心頭に映ずる。此海から少し下方にある海は神酒の海と称せられているが、天文学者の創造がいかに理想の楽園を希望したかが分かるであらふ。是等両海の間に夢の浅瀬と称せらるる所すらある。さらに神酒の海を出でて少し北方へ向ふと『和(ナゴ)の海』と称せらるる大洋に入込む。地球上で最も大なる大洋が甚だ平静であるのを考ふると、月界の大洋もよし最大でないにしても静穩なこと想像していいであらふ。さらに和の海の上方に、又大洋が見える。此處が睛の海と言う名が附いて居るが、如何に昔時の天文学者が平和にあこがれて居たかは是等の考で益々明瞭である。~」
和の海は、ナゴのうみ って読むんだ。
1909年当時は「静かの海」を、「静穩(おん)海」や「和(ナゴ)の海」って呼んでたんですね。
明治のちょっと芝居がかった文体が、読んでいてスゴく楽しい。
ていうか、114年前の本を読めるって、ちょっと感動です。
ここまでの「静かの海」の変遷をザックリまとめると、
1909年 「月」(一戸氏) 「静穩(おん)海」「和(ナゴ)の海」
1943年 「月の話」(山本氏) 「静寂の海」
1959年 「月面とその観測」(中野氏) 「静かの海」
「静かの海」と和名を統一したのは中野氏?
でも、同じ年 1959年 ルナ2号月面衝突の新聞記事に「静かの海」が使われていたことが引っ掛かります。
慣用っぽく名前が使われるようになるのには、もう少し、年単位の時間が掛かる気がします。
「月面とその観測」出版前に、何かが、1943年から1959年の16年間に、「静寂の海」を「静かの海」にする何かがあったんじゃないかと。
図書館検索で「月面」を調べてたら
「 月面ガイドブック」高橋 実著、出版社 誠文堂新光社 出版1974年
を見つけました。
1974年の少し未来から、この時代を見られるかもしれません。
月面ガイドブック
3.月面図と参考書 に「中野月面図」や「小島月面図」、エルガーやウィルキンスの月面図が紹介されています。
「中野月面図」は「月面とその観測」に折り畳まれてた月面図のようです。
先にこの本を読んでおけば…
ただですね、中野月面図の説明に「ガイド役としてよりも、いくらか観望に慣れてきた時に目新しい地形を書き込むのに惜しげなく使えるものとしてお勧めします」とあるんです。 ん? 簡易版?
そして、「小島月面図」
「日本人が作ったものとしては最大で最精密な月面図。直径54センチで、I.A.U.(国際天文同盟)の決定による782カ所の月面地名表がつき、これに付された数字と図に書きこまれた数字を対比させることで地形名がわかります。略
光学会社の社長で月面観測に情熱を注いだ故小島修介氏がつくったもので、「月面の地図」(地人書館)の名で発表されています。略」
なんですと! 「月面の地図」!!
…
国会図書館にはありませんでした。
が、図書館検索で調べてたら、近くの図書館にありました。 いざ
「月面の地図」小島 修介著、出版者 地人書館、出版年月 [19‐‐]
「静かの海」が載っています。最精密… なるほどです。
この図書は、A3サイズの見開き1枚と大きな地図、2枚だけの構成です。
不思議なことに、どこにも発行日らしき記載がありません。
図書館の方にも調べてもらいましたが、分からないとのことでした。
ただ、見開きに こうあります。
「この"月面の地図"は、昭和27年(1952年)に学術用として、わが国で初めて作られた"地人書館月面図"をより精細に校閲修正して完成したもので、略」
これですね
1943年の「月の話」から、1959年の「月面とその観測」の間のミッシングリンクを埋めるのは「小島月面図」のようです。
辿り着きました。
「月の話」から「小島月面図」に至る、月面地形の和名を決めていく過程には、おそらく小島氏だけでなく、この時代の天文学を志す人たちがたくさん関わっているんじゃないか、と想像できます。
ですが、1952年にわが国で初めて作られた最大で最精密な月面図に使われた和名は、著者である小島氏が決定したはずなので、Mare Tranquillitatis あるいは Sea of Tranquility を「静かの海」と訳したのは 小島修介氏 であると、そう考えます。
もし、1943年から1952年という戦中戦後の、月面地図に魅せられた人たちの文献に出会えれば、謎を深掘りしてみたいですね。
「誰が」は解りました。あとは、何故「静かの海」なのか、
本当のところは小島氏に聞かなければわかりませんが、小島月面図を見ていて感じました。
海の名前を「~の海」で統一するのであれば、Sea of Tranquilityの和名は、
「静寂の海」「静穩の海」「和(ナゴ)の海」「静かの海」
の中から選ぶことになります、よね。
情熱を注いだ最精密な地図を邪魔しない相応しい和名をこの中から選ぶとすれば、この月面図を目にするさまざまな世代の人に、
見やすくて、読みやすくて、覚えやすい「静かの海」
を Mare Tranquillitatis に冠したんじゃないかと。
この熱い時代に魅せられた、私の妄想です。
私の中で、ナゾは解けました。 楽しかったぁぁ
最後に、
「月面図」で検索したら「月面の地図」が引っ掛かるぐらいのA I っぷりがあっても良いですよね、図書館検索にも。
おしまい
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