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神さまなんて大嫌い!⑪

  【汪楓白おうふうはく、最強の功力くりきを発揮するの巻】



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おい、邪魔だ! そこをどけ!」

「役立たずは引っこんでろよ!」

「一緒に吹っ飛ばされたいか!」

 怒り散らす隊員たち。

「おやぁ? どうやら、お目覚めのご様子ですぞい」

 目を細めて笑う醸玩じょうがん

「……先生?」

 眉をひそめるえん隊長。

 怪訝けげんそうに見つめる一同の前へ、進み出た《汪楓白》は、穏やかな口調で云った。

「やめなさい、最早……あなたがたの敵う相手ではない」

「なんだと? 今、なんと云った!」

「腰抜けのクセに、ふざけるな!」

「誰に向かって、口を利いてるんだ!」

地獄枘じごくほぞで、木端微塵にするぞ!」

 ますます憤る隊員たちに、楓白は淡々と、しかし威厳ある声音こわねで、さらにこう告げた。

「相手が鬼神級である以上、人外の物に……いや、私に、まかせておきなさい」

 ハッと息を呑む燕隊長。隊員たちも仰天している。それもそのはず……楓白の姿は、声音は、所作ふるまいは、今までとまるでちがう。ちがいすぎる。怜悧れいりで、静謐せいひつで、強靭で、何者にも屈せず、隷属せず、抑制できぬ、凄まじいまでの霊波を全身にまとっていたのだ。

「……先生!」

 恐る恐る口を開く燕隊長。

 彼が楓白に向ける眼差しは、今や尊崇の念に満ちあふれていた。

「やはり、そうでしたか……先生、あなたは……ああ!」

 長袍ちょうほうを透かして見えるのは、胸元に光り輝く聖なる右旋卍巴印うせんまんじどもえいん。額で開くは第三眼。

 背中を割って大きく開かれたのは、純白に煌めく翼。舞い上がる羽毛は雪のようだ。

 そして、神々しいまでに凛とした佇まい。端整で気品ある顔立ち。

 魅入られそうなほど壮麗な虹色の瞳。男とは思えぬ柔和にゅうわな体つき。

 放射状に差す後光は、あらゆる魔障ましょうを退散させる天帝御落胤てんていごらくいんの証。

 元結髷もとゆいまげは一瞬で解け、艶やかな黒髪が腰まであふれ、楓白青年をいよいよ女性のように美しく輝かせる。彼、いや……性別さえ超えた〝人外の物〟は、数々の困難に接して苦行を積み、さまざまな経験を通して成長し、《汪楓白》というさなぎから、ついに羽化したのだ。

 天上天下最強の戦士――【泰斗仙君たいとせんくん】として!

「「「泰斗仙君!!!」」」

 一同が、声を震わせ叫んだ途端、まばゆい光が楓白から照射され、上忌地じょういみち赤腐土あかふどを瞬時に浄化し始めた。雪に覆われたような、しかし温かみすら感じる大地へ、色を変える穢土。

 楓白は、虚空を蹴って、ヒラリと……そのまま宙へ舞い上がった。彼が触れ、彼が踏み、彼が息を吹きかけただけでも、そこはたちまち浄化され、白銀に煌めくのだ。ホンの寸刻前まで、野暮ったく、頼りなげな青年だった楓白に、今は誰もが見惚れ、魅せられていた。

 燕隊長が、感動に声を震わせながらも、部下たちへ説明する。

の者こそ、地上最強と謳われた仙族せんぞくの始祖! 羽化登仙うかとうせんをも超えると云う、唯一無二の存在! もう、なにも心配ない……これで鬼宿木おにのやどりぎは滅する! 趙劉晏ちょうりゅうあんも救われる!」

「先祖返り、か……なるほどねぇ」

 醸玩もニンマリ、ご満悦で楓白の麗姿を見やる。

『な、なんだ……アレは!?』

 最上忌地の中の鬼宿木も、楓白の変貌ぶりに気づき、驚愕している。

 それだけではない。純白の翼を羽ばたかせ、結界線を軽々超えて、飛来する楓白に、猛烈な危機感をいだいたらしく、核心部の楊榮寧ようえいねいは、あきらかに表情を強張らせたのだ。

 鬼宿木の動揺を、如実に表している。

『シ、シロ……そうか、てめぇ、やっぱり……そうだったのか』

 三妖怪と鬼宿木の猛攻により、息も絶え絶えで地面に伏していた神々廻道士ししばどうしは、自嘲気味に笑い、ようやく得心した。仙族の尊い血脈は、誕生・再生・転生を基軸とする。

 楓白が、あれだけ色々と傷つけられても、痛めつけられても、すぐに完治し、復元されたのは、そういうわけだったのだ。生の息吹を、誰よりもなによりも強く、内に秘める仙族の血統だからこそ、楓白という青年は、脆弱なようで、思いのほか、たくましかった。

 また、楓白の【本星名ほんしょうみょう】が読めなくなったのも、生命力を吸い取り、命令に従わせることができなくなったのも、彼の仙族としての血が、少しずつ、目覚め始めていたからだ。

『道理で……いじめ甲斐のある奴だと、思ったぜ……哈哈ハハ

 一方で鬼宿木は、楓白を結界内に侵入させまいと、木の根や枝葉、棘つき触手など、さまざまな凶器を用いて、進路を阻んだ。天女と見まがうほどに、美しく変貌した楓白は、しかしそんな攻撃など、最早ものともしなかった。魅惑的な彼が、微笑をたたえ、そっと手をかざしただけで、鬼業きごうの根は断たれ、枝は千切れ、刃のような葉は残らず枯れ落ちた。

 一足、二足、楓白が踏んだ穢土は、瞬く間に浄化され、白銀に煌めき、その聖光が消え去ったあとは、そこからたちどころに新緑が芽吹き、花が咲き乱れ、周囲に広がって往く。

 まさしく、誕生・再生・転生を司る仙族の始祖、【泰斗仙君】ならではの秘術だ。

「目を覚まして、蛇那じゃな

 猛毒の牙をむき、飛びかかって来る大蛇の鎌首を、楓白は優しく撫でた。途端に大蛇は大人しくなり、劇的に姿を変え、見る見る内に美少女へと変貌をとげ、地面に倒れこんだ。

悪戯いたずらはここまでだよ、蒐影しゅうえい

 続く鬼武者でも、同じような現象が起きた。黒い巨神は、楓白の聖光に照らされた刹那、身を鎧う暗影から解放され、黒は黒でも人間大の姿まで縮小され、地面に落下、虚脱した。

「元の姿に戻ろうね、呀鳥あとり

 最後は、千刃翼せんばよく怪鳥けちょうだ。楓白にいだかれるや否や、鋭利な凶刃はすべて抜け落ち、殺意も邪気も綺麗に消失し、あとには赤毛の精悍せいかんな男が、地面に横たわっているだけだった。

「うぅん……凄く疲れたぁ」

「眠い……猛烈に、眠いぞ」

「なんだか、体がだるいぜ」

 ぼんやりと、酔夢眼すいむまなこでつぶやく三妖怪。

 彼らを、慈愛に満ちた眼差しで見やり、楓白はさらに飛翔する。

 際限なく襲い来る棘つき枝の魔手を、そっとなし、踊るように舞い続ける楓白。

 彼が青白い光を放つ手で、足で、息吹で、触れた呪木じゅぼくの部分からは、禍々しい毒素が中和され、鬼業を孕んだ鋭い棘が剥落し、あっと云う間に枯れてしまう。

 鬼宿木が司るものは、死滅……ただ、それのみ。【泰斗仙君】とは対極にある。

 しかも、生死は表裏一体、背中合わせのようでいて、実は生の方が何倍も強い。死は必ず来る。だが本来、生には死を凌駕してあまりある膨大なエネルギーが、誰にでも満ちあふれているはずなのだ。

 そんな「生」の体現者である【泰斗仙君】に、ただ滅ぼすだけの鬼宿木が、敵うはずなどなかった。「死」から生まれ、「死」そのものである呪木は、たちまち樹冠を丸裸にされ、複雑な枝ぶりを落とされ、ついに女たちへ、子種を残すことすらできなかった。

 自分自身が、すでに滅し始めたのだから……。

『ヴオォオォォオォォォォォォォオォォォォォォォォォオッ!』

 壮絶極まりない叫哭きょうこくが……いや、死声しせいが、上忌地全体へ木霊した。

 文字通り、女を食う鬼【食女鬼うかめおに】の死骸を苗床なえどこに育った鬼宿木は、楓白の放つ聖光に晒され、禍力かりきを失い、最早、立ち枯れ寸前であった。しかしこのままでは、囚われの女たちも、呪木と運命をともにする破目となる。

 楓白は、ようやくたどり着いた鬼宿木の核心部で、樹幹に喰われた女たちの頬を、一人ずつ優しく慰撫し、そっと呼びかけた。

凛樺りんか琉樺耶るかや茉李まつり……そして、他の女性たちも、みんな起きて」

 楓白の声音は、玲瓏れいろうな水面に広がる波紋のようだ。女たちは、鬼宿木の忌まわしい呪縛から解き放たれ、次々と地面へ崩れ落ちて往った。女たちは全裸、汗まみれ、精も根も尽き果てた、といった感じだったが、みな無傷で命に別状はなかった。

 楓白は微笑する。

 そして、呪木の最奥部、うろの中に閉じこめられた憐れな男に、楓白は手を伸ばした。

「さぁ、君もだよ、楊榮寧。君こそ、最も救われるべき人間なんだ」

『グウ……ハァ、ハァ……』

 楓白の言葉に驚愕し、顔を上げた榮寧は、目前の美青年を見つめ、再度問い返した。

 その声音は、呪木に操られていた時の獣声じゅうせいから、徐々に元の男声へと戻っていった。

「お、俺も……救われる? そんな、こと……ん」

 楓白は楊榮寧に口づけし、息吹を送りこむと、鬼業の毒素を完全に浄化し、洞の奥に幽閉された彼を、スルスルと引きずり出した。そうして、榮寧を地面に下ろした次の瞬間!

「「「おおっ!!!」」」

 楓白は光り輝き、天高く舞い上がった。

 直後、稲妻の如く、半死半生の鬼宿木の真上へ、一直線に降り立ったのだ。

 ドドオォォォォォォオンッ……と、物凄い地響きをとどろかせ、【鬼宿木】の樹幹は真二つに裂け、そのまま圧潰された。そして瞬時に、幾千幾万もの青白い蛍火へと転生する。

 それは、楓白の「生」の力を宿しており、神隠しの森中へ分散。上忌地のあらゆる生物、植物、土壌にまで往き渡り、溶けこむや、緑輝く美しい森へと、瞬く間に再生させたのだ。

 若々しい常緑樹が萌え、可憐な花が咲き乱れ、艶やかな果実が実り、喨々りょうりょうと鳥たちが謳い、はしこく小鹿が戯れ合い、かぐわしい香りが満ちて……おおよそ、八町近くあった広大な穢土が、一瞬で浄土へと。そう……厭離穢土えんりえどから欣求浄土ごんぐじょうどへと、みなはいざなわれた。

 楓白を中心に据え、新たに誕生した森は、鳥瞰ちょうかんすると丁度、曼荼羅図まんだらずのようであった。

 これぞまさしく、寓話の中に登場する〝桃源郷〟だ。

 誰も彼もみな、その美々しさに陶酔し、息を呑んだ。

「……凄い、凄すぎる」

「なんて……美しいんだ」

「啊、信じられない」

「まるで、奇跡だ……」

 常に豪胆な【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】の面々も、呆然自失……魂を抜かれたように、楓白の麗姿と、生まれ変わった上忌地の森の様相に見惚れ、魅入られ、ただただ佇立するばかりだった。

 その楓白には、もう一仕事、残されていた。体を反転させ、白銀の綿毛を散らしながら、背後でへたりこむ神々廻道士の前へ、やわらかに舞い降りたのだ。
 莞爾かんじと微笑する楓白。

「最後になったね、劉晏。苦しかっただろう? でも、もう大丈夫だよ」

 鬼と化し、激闘を演じ、深傷ふかでを負った彼は、気息奄々きそくえんえんで、今にも意識を失いそうだった。

 にもかかわらず、楓白が差し出す手を、ぞんざいに振り払い、神々廻道士……いや、趙劉晏は、凄まじいまでの敵意をむき出しにして、【泰斗仙君】へ最期の戦いを挑んだのだ。

『なにを、えらそうに……俺は、俺は……救って欲しくなんか、なかったんだぁぁあっ!』

 趙劉晏は、なによりも、ずっと……死を望んでいたのだ。

 これで、すべてが終わる。そう思って、楓白に刃向かったのだ。

 けれど、彼の思惑は、見事に当てが外れてしまった。最悪の形で……。

「……ほら、これでもう、大丈夫……だい、じょ、う、ぶ……」

 劉晏が突き出した手刀は、無防備な楓白の胸を、聖なる右旋卍巴印を、貫通していた。

 ハッと目をみはる劉晏。楓白は、しかし、そんな彼の手を、さらに引き寄せ、傷口が広がるのも気にせず、もっと引き寄せ……恐ろしい鬼畜の体を、力強く抱きしめていた。

 さらに楓白は、ためらうことなく、鬼畜と唇をかさねる。

 鬼化した劉晏にも、浄化の息吹を送りこむ。

『……シ、ロ……』

 劉晏は恐怖に打ち震えた。

《汪楓白》という存在を失う恐怖に、初めておびえを見せたのだ。

 すぐに、周囲で見守っていた燕隊長や醸玩、三妖怪、討伐隊員たちが、駆け寄って来る。

「先生っ!」

「「「啊っ!?」」」

「なんてことだ……天帝君てんていぎみ!」

 楓白の体をつらぬいた腕からも、劉晏の体に、物凄い勢いで生命力が流れこんで来る。

 そうして彼も浄化され、忌まわしい鬼業の呪縛から、ようやく解放されたのだ。

『ぐふっ……』

 直後、劉晏が身をかがめ、吐き出したのは、巨大なムカデのような【酒蟲しゅこ】だった。

 それを見た燕隊長、ただちに踏み潰し、魔除けの焼緋塩しょうひえんで清め、現世から消し去った。

 すると、見る見る内に劉晏から、角も、爪牙そうがも、凶眼も、異形の体躯も、禍々しさも後退し始めた。そう……劉晏は、楓白の捨身行為のお陰で到頭、元の人間の姿に戻ることができたのだ。劉晏は、白銀の羽を散らし、くずおれ往く楓白の体を、すぐさま抱き止めた。

「シロ! お前……なんて、莫迦ばかな真似を……クソッたれ! 俺さまに恩だけ売りつけて、このまま死ぬつもりか! そんなこたぁ、絶対に許さねぇ……師父しふとして命令する!」

 楓白が渾身にまとっていた聖光も、胸の御驗みしるしも消え、青ざめた顔には、すでに死相すら浮かんでいる。まぶたは固く閉ざされ、唇は色を失い、気息は今にも止まりそうだった。

 燕隊長は、感情を無理やり抑制し、哀しみをこらえ、静かな口調で劉晏に云った。

「劉晏……先生は、我々みなを救うため、犠牲になられたんだ。もう……あきらめろ」

「うるせぇ、黙ってろ! 喂、シロ! 聞こえてるんだろ! 早く命令通りにしねぇか!」

 それでも劉晏は、あきらめきれず、何度も何度も、楓白の頬を叩いて、覚醒させようとした。最終的に、彼を死へ追いやったのは自分だ。そんな自責の念にさいなまれ、劉晏の心は崩壊しそうだった。常に冷酷無比で、悪逆非道だった男の目には、泪が浮かんでいる。

「劉晏! やめろ! お前の気持ちは、痛いほど判るが……」

 燕隊長は、とても見ていられず、劉晏の苦痛をやわらげてやろうと、慎重に言葉を選び、慰めた。しかし劉晏は、たとえ自分の命と引き換えにしてでも、楓白を救いたいという強い思いに駆られ、なおも彼の頬を叩き続けた。一粒の泪が、楓白の頬にこぼれ落ちる。

「今すぐ目を開けろ! 開けねぇと、ただじゃおかねぇぞ! 早く開けろぉぉおっ!」

その時である……冷たく青ざめた楓白の頬に、赤みが差し始めたのは……。


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――パン、パン、パン、パン、パンッ!

 …………うぅ、痛い、痛い、痛い……物凄く、ほっぺたが……、

「い、た……」

――バシン、バシン、バシン、バシン、バシンッ!

 ……ひぎぎっ、さっきより、力強く、情け容赦なくなってる! 痛い、痛い!

「いっ……痛いってばぁあっ!」

 僕は、あまりの痛みに堪えかねて、ガバッと身を起こし、自分の両頬を押さえた。

「「「「「…………!!!」」」」」

 アレレ……なんか、妙な感じ……なんなの、これは? どうしたの、みんな?

 そんな目で、見ないでよ……まるで、化け物か鬼でも、見るような目つきでさ。

「シロちゃん!」と、蛇那は何故か、僕の手をにぎり、感泪にむせんでいる。

「おぉ、シロ!」と、蒐影は何故か、僕の背をさすり、声音を震わせている。

「生き返った!」と、呀鳥は何故か、僕の頭を撫でて、鼻水をすすっている。

「よかったな!」と、醸玩は何故か、僕の肩をつかみ、深くうなずいている。

 だから、なんなのさ!? どうしちゃったのさ!?

「せ……先生!」と、燕隊長まで、何故か、僕の前にひざまずき、深々と頭を下げる。

 そんな指揮官に触発され、周囲に居並ぶ討伐隊員たちも、一斉に拱手こうしゅで礼を尽くす。

「「「無事のご帰還、心よりお喜び申し上げます!!!」」」

 でぇぇえっ!? ちょっと! 誰か、この状況を説明してくれよ!

 いやいやいや……それ以前に、まずは、はっきりさせとかなきゃ! この点を!

「ところで……誰ですか、僕の頬、思いっきり殴ったのは! おお、痛かった!」

 憤る僕の、すぐ真後ろから、聞き覚えのある声が、投げかけられた。

「ほらな。師父の命令は、絶対なんだよ。判ったろ、彪麼ひょうま

 何故かそっぽを向き、グスッと鼻をすすりながら、うそぶく神々廻道士。

 うそぶく神々廻道士……って、ありゃあ? 人間だ……鬼じゃない!?

「……え? 師父? えぇえっ!? いつの間に、元の姿に!?」

 目を丸くする僕。神々廻道士は、笑っている。

「あれれ、鬼宿木がない! 地面も、赤腐土じゃなくなってる!」

 声を裏返す僕。燕隊長も、副長も笑っている。

「……ってか、ここはどこなの!? 上忌地を、いつ脱出したの!?」

 キョロキョロする僕。討伐隊も、笑っている。

「そういえば、蛇那も、蒐影も、呀鳥も、以前の人間の姿に戻ってる!」

 混乱いちじるしい僕。三妖怪も、笑っている。

「なにより、女性たちは誰が助けたの!?」

 状況が呑みこめない僕。醸玩も、笑っている。

「うわっ! 楊榮寧まで生きてるよ!」

 顔を強張らせる僕。誰もがみな、笑っている。

 しかも、どういうわけか、目に泪を一杯ためて……だから、なんなんだよぉ、一体!

 僕はすっかり混乱し、頭の中は疑問符だらけになった。

 そんな僕の顔を、しげしげとのぞきこみ、燕隊長が問いかけた。

「先生……あなた、なにも覚えていないんで?」

「はぁ……なんか、ヤケに体が軽くなったような気はしますが……一体全体、どうなったんです? ねぇ、誰か説明してくださいよ! ちょっと! なにが可笑おかしいんです、燕隊長! 蛇那も、蒐影も、呀鳥も……啊! 師父まで一緒になって、僕を嘲笑ってますね!」

 とにかく、誰でもいいから、事情を説明してよ!

 僕、途中で気絶しちゃったのか、記憶が吹っ飛んじゃってて、肝心な部分を、なにひとつ見聞きしてないんだよ!? このままじゃあ、気になって、気になって……不眠症になりそうだよ! みんなして、僕を莫迦にして、笑ってないでさ……早く教えてってばぁ!

「……ふ、ふ、哈哈、哈哈哈、まったく……敵わんな。喂、シロ……」

 そう云いながら、神々廻道士は、唐突に僕の体へもたれかかって来た。

「えっ……師父、大丈夫ですか! うわっ……酷い傷! 誰か、早く手当てを!」

 よく見れば、半裸の彼は裂傷だらけで、逆に無傷な場所を探す方が、難儀なほどだった。

 僕は、なんて間抜けなんだ! こんな瀕死の怪我人に、今まで気づかなかったなんて!

 すると神々廻道士、僕の思惑を察知したのか、嫌味で皮肉めいたセリフをつぶやき……、

「その、間抜けっぷりに……まんまと、騙されたぜ。てめぇは、もう……破門、だ」

「それは、前にも聞きましたよ! ねぇ、師父! しっかりしてください! 師父!」

 気絶した。

 出血こそ止まっているが、なんにせよ、このままでは危険だ!

 そう感じたのは、燕隊長や討伐隊員も同じだった。

 すぐさま多くの被害女性たちや、楊榮寧ともども、救護班に運ばれて往った。

 僕もあとを追い、立ち上がろうとしたが、何故か腰砕け、虚脱してしまい動けない。

 そんな僕を、疲労困憊のはずの三妖怪と醸玩が、代わる代わる担ぎ、運び出してくれた。

 花模様をちりばめた緑青色ろくしょういろ絨毯じゅうたんに、こんこんと湧き出る清水、艶やかな果実、蝶が舞い踊り、小鳥がさえずり、さまざまな虫の大合唱が響き、若木を揺らす爽やかな風が心地よく、この世のものとは思えぬほど美しい緑の森から……ところで、ここはどこなのよ?

 やっぱり、疑問符だらけだ……なんで? なんで? なんで? (????????)

 結局、僕がすべての謎を、知ることになるのは、もう少しあとのことなのでした。



【百鬼討伐隊】本陣『白宿つくもじゅく冥府曼荼羅堂めいふまんだらどう』にて、さまざまな調査、取り調べ、書類の作成などに協力し、燕彪麼隊長の一存で、全員が無事に釈放されたのは、それから五日後のことだった。処罰を望む高官たちからの、集中非難を浴びてなお、燕隊長は僕らをかばってくれたのだ。
 本来なら、鬼憑き嫌疑をかけられた時点で、関係者一同連座の死罪が常套の世に、まだこんな熱い義侠の人がいたとは、僕はうれしくなった。それに、もうひとつ。

「結構、いい女だったんだな、凛樺」

 さらに数日後、驚異的な回復力で傷が完治(あとで知ったことだが、これも僕の力のせいらしい)した神々廻道士に誘われ、僕は久しぶりに、彼と一緒に出かけることとなった。

 昼日中の往来だというのに、彼は相変わらずの道服姿である。

 そんな神々廻道士に、凛樺のことをほめられ、僕は上機嫌で答えた。

「そりゃあ、そうですよ。僕の愛した女性ですからね。でも、本当によかった」

「うん?」

 不可解そうに、僕の顔をのぞきこむ神々廻道士。僕はうつむき、かすかな微笑を浮かべ、討伐隊本陣の医務室で、あらためて再開した折の、凛樺と榮寧の言葉を思い返していた。


『楓白さま、ごめんなさい……私、榮寧さまを愛しています。たとえ、どんな姿になろうとも、鬼畜に身を堕とそうとも、この人なしでは生きていけないの。もう、この人のそばを離れられないの……だから、私のことは忘れてください。私は彼と生涯を添いとげます』

 泪目で、榮寧にすがりついたまま、僕を見上げる凛樺は、相変わらず美しかった。

 啊、そうか……彼女は、強い男が好きだったんじゃない。最初から、楊榮寧に惹かれていたんだ。ならば、僕がどんなに強くなろうとあがいたところで、無駄骨だったんだな。

『凛樺、すまない……俺が浅はかにも、鬼宿木に近づいたせいで、酷い目に遭わせてしまったな。楓白君にも、すまないことをした。本当の負け犬は、俺の方だったよ。君は最高の男だ。きっと遠くない未来、素晴らしい女性と出会えるだろう。凛樺ほどでは、ないにしてもね……いや! 今のは決して、皮肉ではないぞ! 気を悪くしないでくれ!』

 寝台の上に身を起こし、泣きじゃくる凛樺を抱きしめる榮寧は、やっぱり男前だった。

 鬼神に憑かれ、一度は陥落しかけ、満身創痍だったのに……悔しいけど、敵わないや。

 だけど僕は精一杯の思いやりで、二人の新たな門出を祝福した。(意外と大人だろ?)

『判っていますよ、榮寧さん。凛樺を、大切にしてやってください……さようなら、凛樺』

『今度こそ本当に、さよならね、楓白さま。どうか、お達者で……幸せになってください』

『ありがとう、楓白君。さようなら……君の、艶やかな唇、甘美な吐息、忘れないよ……』

『は……はい!?』


 榮寧がささやいた、最後のセリフの意味だけは、いまだによく判らないけど……でも!

「あの時、もしも凛樺が、榮寧を見捨てて、僕の元に戻ると云い出していたら、僕は多分、彼女を軽蔑し、嫌いになっていたかもしれません……もう、彼女に未練はないけど、幻滅させられなくて、本当によかった。僕もようやく、気持ちの整理がつきましたよ。哈哈」

 強がって笑う僕の頭を、神々廻道士が、グイと引き寄せ、肩口に押しつけた。

 途端に、大粒の泪が、僕の目からあふれ出した。

「泣ぁくな、阿呆。無理して笑ったって、無様なだけだぜ」

 うぅ、優しい……いつも横暴で、非道な神々廻道士が、僕に優しくするなんて……赤い雪でも、降るんじゃないか? だけど、今だけは、素直にこの優しさに、甘えてしまおう。

「ぐすっ……じゃあ、どうすればいいのぉ?」

 子供染みた云い回しで、問いかける僕に、神々廻道士は、こんなことをのたまった。

「そうだな……往くか、悪所あくしょにでも」

「へ……?」

 一瞬、戸惑う僕……でも、待てよ? 悪所と云えば、もしかして!

「あ、啊! そうですね! 今すぐ、往きましょう!」

 そうだった、そうだった! 雁萩太夫かりはぎだゆう……いや、紗耶さやさんの件が、まだ片づいてなかったんだっけ! 神々廻道士が、やっとその気になってくれたんなら、急がなくっちゃね!

「喂、醸玩」

「はいよ」

 またしても突然、背後から出現した不潔で好色なおじさんに、僕は驚き、飛び上がった。

「うわぁっ! なんで、この妖怪が……だって、燕隊長の密偵だったはずじゃ!」

 醸玩は、口端をゆがめ、舌舐めずりすると、不気味な声で笑い、僕の尻を撫で回した。

「うむ。コッチに憑いた方が、面白そうなんでな。それに、君もいるし……ぐひひ」

 うひゃぁっ……さ、寒気が……僕は知らず知らずの内に、肛門括約筋へ力をこめていた。

「金は用意して来たか?」

「無論。お前さんが、今までにかき集めた金を、残らず持って来たわい」

「じゃあ、今回も頼むぜ」

「まかせておけ」

「それにしても、女の好みは判らねぇな。喂、醸玩。今度は、今までで一番、不細工なツラして、迎えに往ってくれや。雁萩太夫のヤツ……案外、醜男ぶおとこ好きなのかもしれねぇし」

「了解したぞ。二目と見られんくらいの醜男に化けてやろう。ぐひひ」

 二人の会話を聞きながら、僕はヤレヤレと首を横に振った。

「ダメですよ、醸玩さん。師父が自分で往かなきゃあ、彼女は落籍ひかせません」

「喂、そりゃあ、どういう意味だ? 俺さまが、そんなに醜男だと云いてぇのか?」

 拳を振り上げ、威嚇する神々廻道士に、僕は慌てて説明した。

「ちがいますよ。紗耶さんは、趙劉晏という幼馴染みのあにさんが、ひざまずいて求婚しない限り、苦界くがいを出る気はないんです。どんな美男や金持ちが云い寄っても、無駄なんです」

「……あ?」

 ポカンと口を開け、小首をかしげる神々廻道士だ。

 僕は、いよいよ頭が痛くなって来た。

「僕のこと、なんだかんだ云うワリに、鈍い人ですね、師父」

「なんだ、てめぇ! 俺さまを、莫迦にして……」

「とにかく! 早く往ってください!」

 前方に、彼女の居る見世みせ孔雀大酒楼コンチュエだいしゅろう】が現れた時、僕は唐突に胸騒ぎを覚え、神々廻道士を急かした。



ー続ー

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