星野道夫ヒグマ襲撃事件の闇
この事件を書こうと思ったきっかけは、僕自身、登山中、5mの距離でクマに出くわしたことがあり、その対策を調べていたとき、この事件を知ったこと。そして、TBSが作成した「遭難報告書」によるものとする、ウィキペディア記載の星野道夫ヒグマ襲撃事件を読んだことから。
でも、その文章を熟読しても、事件の状況が全くイメージできなかったのです……
時系列で事件の状況を整理しつつ、僕の考えや謎を”☆”項目に記していきます。
1.平成8年7月25日に『どうぶつ奇想天外』の撮影のため、星野さんとTBSスタッフ3名、そしてロシア人ガイド2名の計6名がロシア、カムチャッカに現地入りした、とあります。
その際に、小屋でヒグマがあさった形跡を見つけたにも関わらず、星野さんのみ、小屋から数mほどの屋外にテントを張り、そこで寝泊まりしたとのこと。
なお、この企画は星野さんの持ち込み企画と記述があります。
☆→冒頭から不可解です。ウィキでは”小屋”とありますが、現地の写真を見ると、小屋というより、”ロッジ”と表現したほうが正しい大きな建物で、高床にした、2階建ての立派なものです。星野さんが入るスペースが無いことはありません。
星野さんが外にテントを張った理由は、ヒグマを観察しやすい環境にいたかった、もしくは、TBSのスタッフが星野さんを撮影する際に、小屋にいるより、テントの方が絵面が良かったためのいずれか、または双方の理由によるものと推定できます。
☆→”星野さんの持ち込み企画”という一文は何のためにあるのでしょうか?
持ち込みだとしても、TBSが確認、承認、実施体制を確立しているので、誰が企画を持ち込んだなどは事件と関連性はありません。「遭難報告書」に記述する内容ではないと思います。まるで、”持ち込みだから、星野さんは必要以上に無理をした……”とでも言いたげな印象を受けます。
2.7月27日に、米国人写真家が星野さんのテントの近くにテントを張ります。
その夜、米国人写真家は金属音で目覚め、見ると、ヒグマが小屋の食糧庫の屋根に乗り、飛び跳ねているのを目撃しています。
☆→なぜかヒグマは、食糧庫に食べ物があることを知っています。でも変です。なぜこの一頭だけ、知っていたのでしょうか?
3.そして、ヒグマは星野さんのテントに接近。米国人写真家が手を叩くと、星野さんがテントから顔を出したので、「あなたのテントの3mにヒグマがいる。ガイドを呼ぼうか?」と聞きます。星野さんは「呼んで」と答えたため、米国人写真家はテントを出て小屋のドアを叩き、ヒグマがきたことを知らせます。
☆→星野さんのテント近くにヒグマがいるので、星野さんはテントから出ません。しかし、米国人写真家はテントから出て、小屋にロシア人ガイドを呼びに行きます。つまり、星野さんのテントより、米国人写真家のテントが小屋の入り口に近かったことになります。
4.ガイドは小屋から出て7,8mの距離から熊よけスプレーを噴射しますが、ヒグマに届かず、ダメージを与えることはできませんでした。
しばらくすると、ヒグマは立ち去っていきます。
☆→熊よけスプレーの射程距離は、一般に4mほどです。7,8mだと効果的ではありませんが、ロシア人ガイドも怖かったのでしょう。仕方ありません……というか、ロシア人ガイド、この時点で星野さんに熊よけスプレーを渡せばいいのでは?
5.ガイドは、星野さんに小屋で寝るよう勧めますが、星野さんは「この時期はサケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」として”取り合わなかった”。とあります。
☆→”取り合わない”とは、呼びかけに対して相手をしない、という意味ですが、ちゃんと星野さんなりの根拠を返答しています。”取り合わない”と書かれているのは、言葉の選択を誤っており、読む人の印象を操作しようとする意図を感じます。これは、冒頭で”星野さんの持ち込み企画”と書かれていることでも同じ印象を受けます。
6.一方の米国人写真家は危険を感じ、テントから出て近くの鮭観察タワーに避難しています。
☆→なお、ここまでTBSのスタッフ3名の反応は、記述がありません。ヒグマが星野さんの3mの距離にいても、無言だったのでしょうか。。。
☆→ここまでが事件のイントロダクションです。一旦、状況をまとめます。
まず、小屋と星野さんのテントの位置関係ですが、ウィキでは小屋から”数m”とハッキリした表現を避けています。しかし、米国人写真家がヒグマが食糧庫にいるのを発見し、また星野さんのテントに接近したことを小屋に知らせた状況から、米国人写真家のテントは、星野さんのテントよりも小屋に近かった、と判断できます。
つまり、小屋→米国人写真家のテント→星野さんのテント、という位置関係と考えられます。もちろん、直列で並んでいたわけではないと思います。ここでは、小屋の入り口からの距離順をあらわします。
そして、米国人写真家から知らせを受けたロシア人ガイドは、ヒグマに近付き、7,8mの距離で熊よけスプレーを噴射しています。米国人写真家の発言では、ヒグマから星野さんのテントとの距離は3mです。
ガイドがヒグマに近付いた上で、7,8mの距離でスプレー噴射……という状況ならばおそらく、ガイドとヒグマとの間に米国人写真家のテントと、星野さんのテントがあったのではないでしょうか。
距離的な配置にヒグマを加えると、下記の通りと推察できます。
小屋→米国人写真家のテント→星野さんのテント→ヒグマ
距離の表記にも違和感があります。
テントとヒグマの距離→3m
ガイドがヒグマにスプレー噴射した距離→7、8m
ヒグマも、ガイドも”動いている”にも関わらず、距離がハッキリ書かれています。
しかし、動かないはずの星野さんのテントと小屋の距離は、”数m”と、ほやかしています。
ぼやかしているならば、その理由があるはず。
仮に、星野さんのテントが小屋の入り口から5m付近だとするなら、小屋と星野さんのテントの狭い隙間に米国人写真家のテントがあったことになりますが、広い土地でそのような配置は不自然ですし、ヒグマとの距離が近すぎて、米国人写真家も星野さんと同様、テントから出られなかったはずです。もしくは、星野さんが自ら小屋にガイドを呼びに行ってもいいはずです。
しかし、ウィキの記述では、小屋の入り口から星野さんのテントの距離”数m”、つまり、10m以内であるとの印象を受けます。10m以上離れていたならば、”十数m”、それ以上ならば"数十m"という書き方になるはずです。
これは、「すぐ小屋に避難できる距離に星野さんのテントは設置されていた」と主張したい、TBS側の意図が感じられます。テントの設置場所はTBSスタッフも認識していることから、『小屋の近くにテントを設置しなかった』というTBS側の責任を回避したい、のかと思われます。
しかし、小屋と星野さんのテントの間に米国人写真家のテントがあったことと、ヒグマが接近したときに星野さん自らガイドを呼ばず、米国人写真家が呼んだこと、さらに小屋から出たガイドがヒグマにスプレー噴射した距離からすると、星野さんのテントと小屋の距離は、限りなく10mに近い、もしくはそれ以上の、”数m”ではないかと想定できます。
それからも、星野さんはテントにいて、小屋に避難していません。小屋はロッジのように大きな建物ですから、スペースが無いことはありません。
一方の米国人写真家のほうは、テントから出て、小屋には入らず、近くの鮭観察タワーに避難しています。
ヒグマが現れたことを知らせてくれたんだから、小屋に入れてあげれば……と思いますが、TBSのスタッフ、ガイドともにそのような配慮はありません。屋外に危険があれば必ず収容してくれる、登山で利用する山小屋とは違うようです。
ここまでの状況で留意すべきポイントは、
・現地入りした当初から、人間の食料をあさるヒグマがいることが解っていた
・ヒグマは1頭しか記録されていない
・星野さんのテントは小屋の入り口から離れている
・米国人写真家は、鮭観察タワーに避難している
追加すべきは、
・星野さん、米国人写真家、ロシア人ガイドはなんらかのアクションがあるが、TBSスタッフ3名の発言、行動が不明。
以上の5点かと思います。
7.8月1日、環境保護団体のグループが同地でキャンプをします。その際、靴をヒグマに持ち去られたり、鮭観察タワーに泊まった1人は、一晩中タワーによじ登ろうとするヒグマに怯え眠れなかったとのこと。ちなみに、このとき、米国人写真家は不在だったとのこと。
☆→米国人写真家は、8月1日には”不在”となっていますが、これ以降登場しないことから、一時的にいなかったのではなく、立ち去った、もしくは拠点を変えた、と考えられます。なぜ、立ち去ったのでしょうか?
例年ならこの時期、鮭が遡上してヒグマはそれを食べるためにやってくるのですが、この年は鮭の遡上が遅れていた、とのことです。
米国人写真家は避難した鮭観察タワーからその状況をまのあたりにし、この場にいても撮影できないと考えたのではないでしょうか。
星野さんの狙いもまさしく、ヒグマと鮭です。しかし、星野さんは「この時期はサケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」と発言したとされているので、遡上が遅れていることを知らなかった、と考えられます。
8.8月6日夜、再度星野さんのテント近くにヒグマが現れて、ガイドがスプレーで追い払った。ガイドは星野さんに対し、再び強く小屋への移動を勧めたが、星野さんはこの時も聞き入れなかった、とあります。
☆→この文章からも、星野さんは鮭が遡上していること、またヒグマは襲ってこないと信じていた、と考えられます。
でも、変です。ロシア人のガイドは、鮭の遡上が遅れていることを知らなかったのでしょうか? また、撮影テーマが『ヒグマと鮭』にも関わらず、事前に調査しなかったのでしょうか? ガイドなのに。。。
9.そして事件当日、8月8日です。
星野さんの悲鳴とヒグマのうなり声が暗闇のキャンプ場に響き渡った。小屋から出てきたTBSスタッフは「テント!ベアー!ベアー!」とガイドに叫んだ。
ガイドが懐中電灯で照らすとヒグマが星野さんを咥えて森へ引きずっていく姿が見えた。
ガイドたちは大声をあげシャベルをガンガン叩いたが、ヒグマは一度頭をあげただけで、そのまま森へ消えていった。
テントはひしゃげていてポール(支柱)は折れ、星野さんの寝袋は切り裂かれていた。ガイドが無線で救助を要請し、ヘリコプターで到着した捜索隊は上空からヒグマを捜索し、発見すると射殺した。
☆→ヒグマが出ても音沙汰の無かったTBSスタッフは、ここにきてやっと小屋から外に出て、ガイドを呼んでいます。叫んでいる、とありますから、他の場面でも同じ対応をしてもいいのでは、と思いますが、記述がないので不明です。すくなくとも、星野さんが襲われる前までは、なんのアクションも無いので、事件発生を左右する言動は、TBSのスタッフには無かった、と、印象づけられる文章になっています。
しかし、ここから事件は混沌としていきます。
10.ヒグマを射殺したヘリは、そのままヒグマをヘリに吊り上げ、帰路、カムチャッカのどこかに投棄します。
☆ヒグマの胃袋を調査した形跡がありません。せめて星野さんの遺体を、たとえ一部なりとも、取り出して供養するべきではないでしょうか?
国内で発生した人身の熊害では、すべて解剖されますが、ロシアではやらないのでしょうか?
大正4年の北海道三毛別事件でもヒグマの胃袋を開いています。この平成8年の事件よりも、大正4年のほうが綿密に記録され、状況がハッキリしているところに、妙な違和感があります。
11.事件から10年後の2006年に、星野さんの友人らによって、星野さんを襲撃したヒグマは、地元テレビ局の社長が餌付けした個体であることが判明します。
☆→餌付けしたヒグマだとすると、ヒグマが1頭だけ、食糧庫の屋根で飛び跳ねている、小屋の中があさられていたという謎が解けます。
しかし、それは事件とは直接結びついていません。
なぜなら、星野さんを初めとするTBS隊は、到着したその日に”人間の食べ物を狙うヒグマ”の存在を知っていたのですから。また、その後も何度か危険な目に遭っています。
つまり、危険をまのあたりにしながら、避けなかったことが、餌付けした事実より直接的なのです。
また、餌付けしたのなら、餌付けを続けて、ヒグマを飢えさせない、という選択肢もありますから、餌付けが直接の原因とはなりません。
☆→餌付けした理由は明らかにしなければなりませんが、記述が無いのでよくわかりません。餌付けしたのは地元テレビ局の社長とありますから、撮影用?とは想像できますが。
鮭の遡上が遅れているので、ヒグマが寄ってこない。だから餌付けしたのでしょう。ということは、地元テレビ局は”鮭の遡上が遅れている”ことを知っていたはずです。
撮影用だとすると、疑問があります。世界一ヒグマの密度が高いといわれるカムチャッカの地元テレビ局が、この時期、改めてヒグマを撮影する意味ってあるのでしょうか? 餌付けしてまで。しかも社長自ら。それこそ、スタッフにやらせればいいのでは? と思ってしまいます。
ところで、小屋のオーナー、もしくは管理人に知られること無く、”ヒグマに餌付け”などということが、できるものなのでしょうか?
ヒグマが餌付けのエサを求めて定期的に姿を現しても、管理人は気付かない、もしくは、無視するものなのでしょうか? 観光客もいるのに。
”小屋”というイメージとは違い、ロッジのような大きな建物なのですが、管理人などいないのでしょうか?
このあたりで、もうイヤな予感がします。
つまり、撮影するためではなく、"撮影させるため”に餌付けしたという可能性が浮き上がってきます。すると、小屋のオーナー(管理人)もロシア人ガイドも餌付けの事実を知っていた可能性が高いです。
つまり、ヒグマの餌付けは、『事前工作』ということ。
誰が? これは地元テレビ局の社長、と記述どおりかと思います。撮影させて社長さんに何の得があるのかは、わかりません。が、ここでもイヤな予感だけはしますが、わからないので書けません。そういえば、TBS隊もテレビ番組の撮影が目的でしたね。
どこで? ヒグマの行動を考えると、餌付けした場所は小屋の前です。米国人写真家が、食糧庫の屋根でヒグマが跳ねている場面を目撃したことから、それはわかります。地元テレビ局の社長は、そこから食糧を出して、与えていたのでしょう。
いつ? 餌付けしている場面を、外国からきた撮影隊に見せるワケにはいきません。
餌付けしたのは、TBS隊が現地入りする前、としかいえないと思います。
そして、TBS隊が現地入りした直後、入れ替わるように餌付けをやめたはずです。なぜなら、餌付けの目撃者がいません。
すると、ヒグマは、昨日までエサがあったのに、今日はなぜ無いのか? という気持ちになり、人間の臭いのする小屋や、食糧庫、テント、鮭観察タワーなどを徘徊し、エサをくれない人間にストレスを感じていたのかと思われます。
そして、事件発生の8日。外に残っていたのは、星野さんただ一人だった……
それまでは、米国人写真家、環境保護団体と、複数の人間がいたため、ヒグマも警戒していたのではないかと思います。
☆→なぜ、ヘリは未解剖のヒグマを投棄したのでしょう?
いつもそうしてるのなら、問題ありません。ロシアなので逆に納得感さえあります。
しかし、そのときだけ投棄、という場合、投棄した理由、解剖しない理由があるはずです。
餌付けがわかったのは、10年後の2006年ですから、事件当日の時点では隠しておきたかった可能性もあります。つまり、胃袋を開いたとき、星野さんの遺体以外に、餌付けの証拠が出てしまうのではないか……という恐れから、解剖調査せず、ヘリで投棄という方法を取る。
そのような可能性はありますが、後に餌付けはバレるのですから、今となっては重要視するようなことではありません。
☆原因は?
1.ヒグマを餌付けして人間への警戒心を失わせた。(これはウィキにもありますが、ヒグマの警戒心と事件は直接結びつきません)
2.餌付けしていたことを隠すため、餌付けを中止してヒグマを飢えさせた。(こちらの方がより直接的です)
3.人間のエサを求めるヒグマの存在を知りながら、テントに居続けた星野さん
4.人間のエサを求めるヒグマの存在を知りながら、星野さんを小屋に収容しなかったTBSスタッフ
5.『鮭の遡上が遅れている』、『餌付けされたヒグマがいる』という情報をロシア人ガイドが知らない、または知っていても仕事を失うことを恐れて星野さんに伝えなかったため、星野さんは屋外のテントに居続けた。
6.『鮭の遡上が遅れている』、『餌付けされたヒグマがいる』という情報を星野さんは知らず、ヒグマが飢えている可能性を想定しなかったことにより、油断が生じた。
上記の項目4と5は、特にコワイです。人間が。
経緯から、地元テレビ局も、ロシア人ガイドも鮭の遡上が遅れていることを知っています。おそらくは、事前工作としての餌付けの事実も。
その中で、星野さんのみ、知りません。
もし星野さんがそれを知って帰ってしまったら、TBSは撮影できず、少なくとも”ヒグマと鮭”の企画を変更せざるを得ません。そして、現地のロシア人ガイド2名(兄弟らしい)の仕事はなくなります。
ロシア人ガイドは、星野さんの「この時期はサケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」と言ったことを、7月27日の時点で、すでに聞いています。そのときに「そもそも遡上遅れてますよ」と返せば、星野さんは撮影を断念し、小屋に入ったことでしょう。結果、この事件は発生しなかったと思われます。ただし、撮影を断念すれば、ロシア人兄弟の仕事は無くなります。
番外として、TBSが作成した「遭難報告書」によるものとする、ウィキペディアの記述。
経緯を明らかにする、というよりも、主に上記項目4番について、”TBSに責任はありません”という意図が文章に見え隠れしており、報告書としては全体像がボヤけています。
付け加えたいのは、TBSが「遺族の意向もあり、追加報告書の作成は見送った」と発表していること。”遺族の意向”という伝家の宝刀により、真相を究明する道が閉ざされます。
僕が星野さんだったら、”それじゃ俺は浮かばれない”と思うでしょう。ご遺族は本当に納得していたのでしょうか……
※※※
この報告書に登場する、ヒグマの”個体”はコワイです。
一方、人間は、星野さんと米国人写真家以外、全員、怖ろしい。
さて、責任回避しようとすると、文章がボヤけます。
つまり、書いてあるべきことが書いていない。書かなくてもいいことが書いてある。
そして、事件に闇のベールがかかります。
しかし、経緯を整理して読み解くと、少ない文量でもある程度真実のカケラが見えてきます。
結論として、ウィキの記述を読む限り、”遭難”というよりも、関係者の思惑や複数の不注意が絡み合った結果発生した、人災に近いものかと思います。
あげた6項目のうち一つでもされていたなら、防ぐことができたと思うと、今さらながら、残念な気持ちになるのです。
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