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今昔物語 巻二十四 第二十三 近頃ときたらまったく…

 今は昔、琵琶の達人である源博雅は、とある盲人が逢坂にある粗末な家で、琵琶を弾いていると聞く。それはなんとも素晴らしい演奏とのこと。

 弾いている曲は博雅さえ弾けない幻の名曲だったので、なんとか聞きたいと思うが、身分の違いは歴然としていたので会うことを躊躇していた。

 そこで、盲人に使いをやって、都に住むことを勧める。ところが盲人の琵琶弾きは、こう答える。
「この世は、どのようにしても生きていけるものです。宮殿でも、あばら家でも、いつまでも住むことは出来ません。いつの日か朽ち果て、消えてしまうのです」

 使者の報告を聞いて、博雅は思う。
「まったくその通りだ。私も、盲人も、そして琵琶の名曲もいつかこの世から消えうせてしまう。今はただ、身分の上下など気にせず、その盲人に会いに行こう。時は有限なのだから……」
 そして博雅は、盲人の住む粗末な家の前まで行って、物陰でコッソリ琵琶が鳴るのを待った。しかし、一日、二日たっても弾く気配が無い。それでも博雅は根気強く通い、なんと三年の月日が流れる。

 そして、三年目の八月十五日、名月の夜。
 逢坂を流れる強風を裂くように、琵琶の音色が響く。弾き終わった盲人は一人、「音楽の話を誰かとしたいなぁ」と言う。
 博雅はすかさず、「京の博雅がここにいますっ!」と、答える。

 二人は身分など忘れて朝まで語り合い、博雅は、琵琶の名曲を教えてもらうことができた。

※※※

 さて、この後なのですが、今昔物語は通常、『語り伝えたるとや』で終了、となりますが、その前になんと、作者のグチのようなコメントが入ります。

「芸の道はこのように熱心でなければならないのに、近頃ときたら、全く違う! だから”達人”がいないんだ。本当に情けない……」

 今昔物語の他の話で、作者のコメントが入ることはまずありません。小説の途中で作家のコメントが入るようなもので、読み手は突如現実に引き戻されるので、良い手法とは言えません。
 よっぽど腹に据えかねることがあったのでしょう。

 そのあと、今昔物語の作者は冷静に戻り、文末はいつもの様式どおり『語り伝えたるとや』で終わっています。

 僕が面白いと思ったのは、ここで言う作者の”近頃”というのは、12世紀前半、つまりまだ源平の争乱が発生する前、ということ。
 近頃ってどんだけ昔ですか。

 源博雅は918年~980年の人ですから、およそ150年前の出来事を作者は書き、『あのころはよかった』と思っているのですね。
 どんだけ昔ですか!

 現在に換算すると、令和の執筆者が明治初頭を想いながら書いている、という感じ。

 サラリーマン時代、上司が「最近の若いのははまったくなってない!」、「以前は良かったなぁ」などというたびに、今昔物語の源博雅を思い出し、(いつの時代も”昔は良かった”って思ってるんだなぁ)と、ついつい笑ってしまう僕なのでした。

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