日本霊異記 中巻 第五 ー日本の地獄は民主制ー
時は聖武天皇の治世
摂津国東成郡
朝廷は混迷を極めていた。
天然痘の大流行によって民に多くの犠牲者がでているばかりでなく、藤原四兄弟をはじめ、朝廷の重臣も次々に逝去して対策も停滞していたのだった。
そのような世相に付けこむように広まったのが、怪しげな宗教である。
東成郡のある男は、その宗教の教祖に言われるがまま、牛を七匹殺し、教祖に布施を施した。
しかし、お布施の功無く、その男も病に倒れてしまった。
そして七年。重くなる一方の病に男はやっと、妙な宗教にハマり、そのときの殺生が祟っているのではないかと疑い始める。
それからは、人が変わったように生き物を大事にし、市に使いの者をやって生き物を片っ端から買い取って放してやった。
しかし、男はそのまま死去してしまった。
男はあの世で目が覚めると、牛の角を生やした鬼が七匹、閻魔大王に訴えている。
「この男ですっ! 私たちの手足を切り、邪神に捧げたのは!」
その訴えを聞いた閻魔大王は大きく頷く。
「うむ、けしからん男だ。無間地獄へ……」と、言いかけたところ、多くの動物達が閻魔の庁へと駆けつけた。
「その人は悪人ではありませんっ! 私たちを助けてくれました。悪いのは、流行り病につけこんだ邪神なのです!」
「うむぅ、確かにそのようだな……」
ほとほと困りはてた閻魔大王は言った。
「では、多数決にしよう。この男を無間地獄に落としたい者は何人だ?」
牛7票である。
そして、男を助けたいという動物たちは、閻魔の庁にひしめいていたのだった。
「判決を申し渡す。多数決により、男は無罪。生き返ることを命じる」
男は程なく目を覚ますと、病気も完治しており、その後90歳まで長生きしたそうな。
※※※
日本霊異記は弘仁13年、西暦822年成立と言われている日本最古の説話集で、今昔物語にも霊異記を元にしたと思われる物語が多数存在します。
作者が僧侶なので、仏教第一、という思想がそこかしこにちりばめられているのがちょっと気になるのですが、そのぶん、根底に生命の平等思想が流れていて、現代の日本人が読んでも理解しやすいのですね。
この話では、閻魔大王が決定権を持ちますが、その意思を決めるのは動物たちです。ギリシア、アテネの民主制と比較すると、間接的で妙に先進的に感じます。
その当時の人々はもしかすると、地上よりも地獄の方が政治に関与できていたのかもしれませんね。
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