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『浦島太郎』原初の物語 ー風土記・日本書紀・古事談・水鏡・宇治拾遺物語より集約ー

時は雄略天皇の時代。

 丹後国与謝郡に水江浦嶋子(みずのえの うらしまこ)という人がいた。眉目秀麗な男子である。

 釣りが好きなので、この日も海に舟を出していたが、なぜかまったく釣れない。
 ただ、綺麗な亀を一匹捕まえることができた。

 そのとき、浦嶋子は眠気をもよおして舟でうたた寝をし、目が覚めると、そこには絶世の美女がいてびっくり。
「あのう、イキナリ現れたあなたはどなたでしょう?」

 美女は答える。
「わたしは、蓬莱山を住処とする、天女です。前世であなたとわたしは夫婦になる約束を交わしたのに、私は天女となり、あなたは地仙となって海で遊んでいます。わたしは前世の思いを果たそうと、ここにやってきたのです。あなたはどう思いますか? 嫌か嫌じゃないか、早くお答え下さい」(ちなみに、この天女、かなり肉食系ですが風土記に書いてあるままで、僕が作っているワケではありません)
「嫌なはずがありません……」
「ではあなた、舟をこいですぐに蓬莱山に行きましょうホラ」(原文は「棹廻らして」。つまり、”舟のオールをこいで”と天女は浦嶋子を急き立てますが、なぜか目を閉じるように言い、舟は蓬莱山にワープします。舟こぐ必要ないじゃん。みたいな)

※※※

 そして二人は、蓬莱山の邸宅で幸せな日々を送っていました。
しかし、三年が経過したある日……浦嶋子に変化が現れました。
寝床を同じくしながら、天女は言いました。
「浦嶋子? 最近顔色が悪いわ。もしかして故郷を思い出してるんじゃない?」
「うん…… 父母や親戚にも何も言わず来ちゃったから心配で。ちょっと軽率だったかな……」
 その言葉に、天女は顔色を変えます。
「あのね、わたしは千年も万年も一緒にいるって気持ちなのよ? なのにわたしを捨てようとするなんてっ!」
 しかし、浦嶋子の意思は変わらず、故郷へ帰ることになりました。

 見送りに来た天女は浦嶋子に、綺麗な櫛箱を手渡して言います。(この時代の櫛箱は3段かさねの重箱のように大型だったらしい。櫛のほかにもヘアケア用品一式搭載していたようです。つまり、女性にとって必需品ということ。今でいうと、化粧道具一式彼氏に渡すイメージか)
「もう一度わたしに逢う気持ちがあったら、開けてはいけません」(つまり、わたしの必需品だから、すぐ持って帰ってきて、という意味か?)

 戻った浦嶋子は、故郷の変わりようにおどろき、道行く人の尋ねます。
「あの、水江浦嶋子の家はどこでしょうか?」
「300年も昔にそのような人がいたと言い伝えられているけれど、あなたはなぜ今頃そんな事を聞くのですか?」

 浦嶋子は悲嘆に暮れて10日あまり。今となっては蓬莱山の天女が恋しく、櫛箱を撫でながら幸せな日々を思い出し、つい、その櫛箱を開けてしまう。
 すると、その若々しさはあっという間に消えてしまった。

 浦嶋子は後悔して言う。
「あなたの国に雲がたなびくように、僕の足元はたよりない。僕はあなたとお話したい」
 すると、海風に乗せて天女の声が返ってくる。
「大和から風が吹いたとしても、わたしを忘れないでね~」(丹後は日本海沿いなので、大和は陸側。なぜ天女が”大和”と言ったのかはナゾですが、ここに彼女が”もう逢えない”とする核論があるような気がします)

※※※

 さて、昔話の浦島太郎について、あまりに筋が通らないと思った僕は、その原初の形を探して調べてみました。

 これかなぁ?と思ったのは、『風土記』です。朝廷からの編纂指示が出たのは和銅六年(713年)五月二日。ちなみに、同時進行で編纂中の書物は『日本書紀』。これより古い書物は『古事記』ですが、浦嶋子の物語は記述されていません。

 その当時、丹後の国でこの物語が相当流行していたらしく、風土記には「これが世に言う水江浦嶋子の物語である」と誇らしげに書いています。今で言う都市伝説みたいなものなのでしょうね。

 しかし”竜宮”は出てきませんし、亀をいじめた子供もいません。もちろん鯛やヒラメの舞い踊りもありません。浦嶋子は亀に化けた美人に連れられて蓬莱山に行ったのですね。山ですよ。そして、蓬莱山での彼女の呼び名は”亀姫(比売)”。

 さらに、風土記では彼女は突如として現れるのですが、あまりにも出会いが唐突過ぎるのでこれも文献を探したところ、鎌倉時代の『古事談』にありました。

「前世から夫婦となる因縁があったから、わたしはやってきたのです」なるほど。

 もう一つは浦島子の年齢。古事談とほぼ同時期に成立した『水鏡』によると、天長二年(825年)十一月四日丙申時点において、「今年三百四十七年といひしに帰りたりしなり」。はいはい、47歳ですね。もうちょっと若いイメージがありますが、まあいいや。300年は蓬莱山にいた時期ですから、デーモン閣下的な数え方でよいのかと思います。すると、蓬莱山に行ったのは西暦525年になりますが、その時点での天皇は継体天皇。

 風土記では雄略天皇の時代の出来事となっていますので、50年(もしくはそれ以上)の差があります。しかし、その時代の天皇の在位年を西暦に直すのはほとんど不可能なので、50年は誤差の範囲なのかもしれませんね。

※※※

さて、浦島太郎に弟がいることはあまり知られていません。
ここからは、弟さんについてご紹介します。


平安時代初期のある夜
陽成院の御所での出来事。

 見張りの武士がウトウトうたた寝をしていると、老人の細長い腕がどこからともなく伸びてきて、武士の頬を撫でた。
 武士はその腕を掴むと抜刀し、斬りかかろうとすると、それは粗末な服を着た老人で、こう言うのである。
「わしは浦嶋子の弟だ。この屋敷に住んで千二百年以上になる。わしを崇め、祀ってほしいのじゃ」

 武士は老人の手を離し、答える。
「おれは陽成院に仕える武士だから判断できぬ。院に報告する」
 それを聞いた浦嶋子の弟はなぜか逆上。
「なにをっ、憎らしい物言いぞ。こうしてくれる」
 武士をニ、三度ばかり蹴り上げ、突如見上げるような大男に変身して、武士を喰らってしまったのだ。

※※※

 昔話の『浦島太郎』の原初の物語を『風土記』や『古事談』、『水鏡』、『日本書紀』に求めて物語のスジを見いだしかけていました。
 しかし、何気なく『宇治拾遺物語』を読んでいたら、水江浦嶋子(いわゆる浦島太郎)の弟に関する物語を発見して驚いたとともに、大事なことを見逃しているのに気がつきました。

 それは、そもそも、蓬莱山(竜宮城)に行く前から、水江浦嶋子は人間では無かった、ということです。

 それは『古事談』の天女のセリフとして書いてありました。

「わたしは天仙として蓬莱山にあり、あなた(浦嶋子)は地仙として海で遊んでいる」

 浦嶋子は”地仙”なのですね。ただし道教の教えでは、天仙とは違い、地仙は一度でも悪事を行えば、長寿などの神通力を失うとされているのです。

 浦島太郎のストーリー上での”悪事”とは、もちろん櫛箱(玉手箱)を開けたことです。それが天仙(亀比売/乙姫)に対する決定的な裏切り行為なので、長寿の神通力を失い、老人となった。

 つまり、水江浦嶋子の物語は、それが語られた時代の『道教』の教えを色濃く反映しているのですね。
 それは当時の人には理解しやすく、なるほどそりゃ爺さんになるわ、と思い、道教の教えなど知らぬ僕は、ヘンな物語だなぁ、と感じる。

 僕のクセとして、ついつい数字にこだわってしまいますが、300年(蓬莱山/竜宮にいた時間)とか1200年(浦嶋子の弟が陽成院に住んだ時間)とか、これに限ってこだわること自体無意味に思えます。

 道教では、1200は天仙の行うべき善行の数で、300は地仙の行うべき善行の数です。この数字も道教の教えにかけているだけなのですね。

『宇治拾遺物語』に話を戻すと、浦嶋子の弟は天仙の数に関連しつつも、地上にいる”ワケのわからぬもの”になっているのです。
 あ、これもよく読んだから書いてありました。『陽成院妖物の事』そう、タイトルに”妖物”とあります。もはや天仙でも地仙でも人でもない。だから祀られたいし、人を喰うという、悪行をしても人に戻ることは無い。

”妖物”なのですから……

 浦嶋子とその弟は地仙を目指して一緒に修行した日もあったのでしょうか。

 そして、二人とも何かにつまずいた。

 ヘンな昔話だなぁ、とばかり思っていた『浦島太郎』。

 しかし、調査した上でよく読むと、昔話として子供たちに教訓を語るには、最高の材料なのかもしれません。

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