陰ミラー(一) ー義経東下り外伝ー
色褪せない花はない。
しかし、花は、枯れても自らが色褪せたとは思わないだろう。
花自身にとって花とは、未来に命をつなげる、現実としての準備でしかないからだ。
色褪せたとは、美しい花を見、それがしおれていく経過を見た人が思う一方的な感想でしかない。
その意味で色褪せない花はない。
色褪せる理由は二つ。
一つは花の寿命だ。
しかし、美しい花のみを見て、枯れていく様を見ていないとしても、花は色褪せる。
見た人の記憶が時とともに霞むからだ。
それがもう一つの理由だ。
人の記憶の中で花は色褪せていく。
色褪せない歴史はない。
その理由も二つ。
一つは、歴史の体験者の寿命だ。
もう一つは、人の記憶が時代とともに霞むからだ。
人の記憶の中で歴史も色褪せていく。
しかし、花は種を残す。人は再び花が鮮やかだと感じる時がくる。
歴史は種を残す事ができるのだろうか?
再び、鮮かな姿を見せる事ができるのだろうか?
花のように、現実的で鮮明な。
※※※
鍾乳石から滴り落ちる水が、兜を濡らす。
鮮やかだった赤糸威の鎧は黒ずみ、藍色に染め上げた直垂もボロボロになった。
我ら源氏の大願である、平家の討滅は成し遂げられた。なのに、私はこの洞窟に隠れ、もう三か月にもなる。
「なぜだっ……」
私はいたたまれない気持ちになり、足元を這っているムカデを踏み潰した。
「有綱、どうしたのですか?」
一緒に隠れているのは、静という名の元白拍子の女性で、私の主君、源義経の側室である。
切れ長の瞼に黒く大きい、潤んだ瞳を宿らせている。少し面長で鼻筋が通った見栄えのする顔だ。かつては小袿に単衣という、上級貴族らしい姿をしていたが、追っ手から逃れるため、今は男物の直垂を着ている。年齢は私の二つ上、二十一才だ。
「なぜ、こんな事になったかと考えておりました」
「今しばらくの辛抱ですよ。殿がわたくしたちを見捨てるはずがありません。きっと、大軍を率いて助けに来てくれましょう」
「私たちが落武者狩りに捕まる前に、来てほしいものです」
「ええ、きっと、きっと来てくれます!」
静様は確信している。が、その理由に根拠は無い。私が答えようもなく無反応でいると、静様は俯いた。
我が君、源義経の任務は平家の討滅で、私はその軍に従った武将である。
討滅の作戦は、我が君の兄、鎌倉殿と呼ばれる源頼朝が立案し、戦場から遠く離れた鎌倉から命令を下す。我が君はそれを受けて動く、前線部隊というわけだ。
静様は、我が君が必ず助けに来ると言う。
私は、別行動を命ぜられたとき、我が君が静様に言ったことを思い出した。
「静、都に帰るんだ。この先は戦が待ち構えている。女の身の上では辛かろう。解ってくれ。お前の身の上が心配なのだ……」
そういいつつも、正妻の郷様は連れて行くという。
その状況から、見捨てられたのは確実でしょうに……とは、口が裂けても言えない。静様はまだ信じているのだ。
なんにせよ、信じるモノがある限り人は強い。しかし静様の信じている人は、主君としては不安定極まりない人物と言わざるを得ない。
敵であった平家一族の娘を妾にする、鎌倉殿の指示を無視する、また平家の残党狩りをしなかったり、無断で朝廷から位をもらったり。
我が君に対する鎌倉殿の不満をあげつらえばキリが無い。しかし、我が君はひとたび戦をやらせたら必ず勝つ。戦バカというのが正しい形容だと思う。
私は源有綱、十九歳。十五歳のとき、元服の儀式の途中で戦に巻き込まれ、断髪せずに、髪を前に下ろしたままの姿だ。
そのときの戦で、味方は残らず討ち滅ぼされ、私は事情がつかめないまま逃亡。その途中で我が君に出会い、配下に加えられたのだ。
私の祖父は源三位頼政、父は伊豆の守源仲綱で、諸国の源氏に先駆けて平家に刃を向けた、いわば先達である。鎌倉殿の懐には、父仲綱が記し、以仁王が署名した平家追討の令旨が今もあるという。
にも関わらず、私を含め、その一族郎党は冷遇されている。なぜながら、去る平治の合戦の際、祖父頼政が戦闘に消極的で、結果鎌倉殿の父、源義朝が敗死した遠因になっているからだ。
鎌倉殿は、それを今も忘れていないのだ。その因果が孫の私にまで寄せてきて、まるで干潮から満潮に至る海に浸かるように、今、私の首まで没しようとしている。
私からすれば、我が君との主従関係になったのは偶然であるが、今考えると、鎌倉殿はその偶然を、私を遠ざける手段に使ったのではないだろうか。
そして、ついに我が君と鎌倉殿との仲が険悪となり、私も追われる身の上となった。
私が捕縛されれば、平治の合戦から続いている恩讐の区切りとなり、鎌倉殿は、ほの暗い快楽の一瞬を得ることが出来る。
そして今、静様の護衛役を仰せつかり、一緒に別行動をさせられた。
我が君が、平治の合戦の経緯を知らぬワケが無い。鎌倉殿と和解を計るには、私は邪魔である。
また、連れて行った正妻の郷様は鎌倉殿の側近、河越重頼の娘だ。鎌倉殿との仲裁を頼むこともあるだろうから、機嫌を損ねてはまずい。だから、側室の静様は邪魔だ。
そう、私も静様も、我が君、源義経に見捨てられたのだ。
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