詩 六月のバラード・2
この詩の「踊り場」は、ある古洋館の一階から二階へ向かう途中にあった。一日訪ねて遊んだのは昔々のこと。1980年代の初め頃だったと思う。
当時の館主は金沢舞踏館の山本萌氏。土方巽のアスベスト館から独立して、ここで旗揚げ公演を打った。金沢市の郊外、犀川上流の上辰巳村。国家安康と名を二分された家康は怒ったが、土方さんは「たつみ」の上に弟子に立たれても構わず、館開き公演『埃をあびた蛍のような男』を演出して世に送り出した。
1977年から1982年まで、金沢舞踏館はここを本拠とした。最後の公演が『Signalして空歩きとは!』。記念に寄せた俳句十句がチラシに使われた。
古代白耳館
──金沢舞踏館「上辰巳最後の夜」惜別十吟
老館や新月ひとつ温めて
交尾する宇宙螢の闇にあり
犀も眠れ龍もねむれ垂乳根祭
月光の踊り場は蛾の死美人よ
草いちめんムカシトンボの独り言
いまはただばくばくばくの夢千夜
白濁の時代もありき舞踏船
老館や花嫁ダンスも二、三あり
花しんしん古代白耳にふりつもり
あるじなき蔦は虚空にからみゆけ
この公演の記録を、友人の写真家に頼んで『上辰巳最後の夜』という手焼き写真集にして六角文庫で限定20部作製した。
舞踏館が退去した後、学生時代からのスタッフであり、後にガネー舎を主宰する青年(田中羊彦氏)がしばらく住んでいたが、その後洋館は忘れられていった。
久し振りにその姿を見たのは、なんと映画の中だった。鈴木清順の『夢二』を観ていたら、いきなり見覚えのある屋根が現れて驚いた。夢二の密会場所に使われていたのだ。なるほどねぇと思ったが、懐かしいという感覚は起きない。オルタネイティブな空間に仕上がっていたからだ。モノクロームの追憶の館がフルカラーの艶やかさに建っていたのに眩んだり、戸惑ったり…。幻想と一口に言っても色合は様々。舞踏の暗黒も、夢二・清順の美学も、詩のヴィジョンも。
金沢舞踏館以前は、写真家が借りていたとも聞いたが、館の来歴はよく識らない。建物には建物の主客がある。歴史もある。あるけれども頓着しない。そういう建物が好きだ。建物が無頓着でも、誰彼かに敬意を払われている、愛されている。そういう空間の主(ぬし)が好きだ。
金沢舞踏館時代の二階。詩に書いた踊り場を含めて何十枚か撮った写真を探したが見つからない。唯一PCのフォルダに移していたのが上の一枚。
詩「六月のバラード」は2000年の創作。不意にフラッシュバックしてきたのだろう。映画『夢二』を観たのは21世紀に入ってから。
いまあの館はどこに立っているのか。とっくに取り壊されて、とある人たちの記憶の上流に立っているのか。
風は川を遡る
下辰巳
中辰巳
上辰巳
白髪の古洋館
そのかみの
暗黒の舞踏館
魚止
駒帰
熊走
川は風を遡る
── 詩「失語祭 十月 1987年」より
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(金沢舞踏館の外観写真二枚は、吉多保写真集『上辰巳最後の夜』から)
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