泉井小太郎
空想のライヴ・スポットです。音のない音楽です。
謎に満ちた北条石仏についてのノート
バド・パウエル生誕100年! 音座マリカ作の珠洲焼像と、 パウエルのライヴ演奏三枚組CD《BUDISM》。 パウエルの像は1987年作像、1988年焼成。中世の珠洲焼を復興させた友人で、やはりジャズを愛する中山達磨氏の窯で焼成。同じ棚にセロニアス・モンクの像も並んでいた。モンクの像はそのまま珠洲に残ったが、度重なる地震でどうなったか。中山氏の窯はここ数年壊れて、直し、壊れて、直し、また壊れて……ついに珠洲での作陶を断念、現在みなし仮設住宅に暮らしながら新しい窯場を探して
能登半島地震で被災した輪島市の龍昌寺。そこに住む版画家の江崎満さんからの震災状況を報せる記事がありましたので、それをシェアします。 与呂見の震災状況 江崎満 皆さんにはご心配をかけたことと思います。いまだ停電が続き、ネット環境も繋がらず無事の報告もできませんでした。私は携帯を持っていませんが、今、近くの村まで出かければ私のパソコンも若者たちの携帯の電波を借りてネットにも繋げられるようになったので、今日は40センチの雪を踏んで近くの村まで歩いてきました。そして今、このFBで
古くから親交のある輪島の龍昌寺も今回の地震で大変な被害を受けています。 住職の村田遼雲さんより支援のお願いがSNSに投稿されました。 少し長いメッセージですが、全文と写真をシェアします。 * 「 義援金ご支援のお願い 」 地震から今日で7日目となりました。 こちらはまだ停電していて電波も悪くあまり連絡を取れませんが全員元気に過ごしております。 暖かいメッセージをほんとにありがとうございます。 現在はみんなで寺の厨で食事をして、寺の宿坊と車中で村人全員寝ております。
大晦日に奥能登輪島山中の龍昌寺から餅が届いた。みんなでわいわい搗いただろう賑やかなエネルギーが詰まっている。それを雑煮にいただいて正月気分を味わった午後、能登半島を大地震が襲った。 東日本大震災の一週間後に訪れた時、自然に合掌羅漢ばかり巡っていた。この日もまた掌を合わせるひとの前に多く佇んだ。 それぞれの羅漢が、それぞれの思いで掌を合わせている。ここの石仏は祈られる側ではなく、祈る側に立っているように思われる。境内には「三界万霊平等利益飢渇飽満」の文字を刻んだ三界万霊塔が
『歴程』の古い号を入手した。1951年2月1日発行の35号。 若い頃に室生犀星や萩原朔太郎の『卓上噴水』、『生理』などの完全復刻版を、最近では恩地孝四郎特集、山村暮鳥特集の『感情』を求めたりはしているが、発刊時のままのオリジナル詩誌というのは初めてである。 歴程と言えば、詩を書く人で知らぬ者はないほど高名で、いまなお続く歴史的な詩誌。1935年5月に、草野心平、中原中也、尾形亀之助、逸見猶吉、岡崎清一郎、高橋新吉、菱山修三、土方定一の八名で創刊、26号で一旦休刊。戦後に復刊
羅漢寺に来春の笑羅展のポスターとチラシを届けに行った。 風の強い寒い日だったが、羅漢場に着くと雲の合間から陽もさした。 こういうことがよくある。 石仏たちは晴男晴女が多いのかもしれない。 クレーの妖精のような一体の前に野菊が咲き群れていた。 陽射しを片頬に受けて、白く美しく輝いていたひと。 ワビスケ、サザンカの花、マユミの実、ドウダンツツジの紅葉の彩り。 この日のもう一つの目的は、とある句集の表紙を飾った石仏に会うこと。 ネットで発見、今日ポストに入っていた一書。
(十月四日の記録) 久し振りに羅漢寺。「草画帖」の最新号を届けて、境内の石仏たちに会いにいく。 曇りの閑かな午後だったが、ひと時光も射した。他に拝観者はいない。 石仏たちはみな秋の寂びた表情で寛いでいる。 緑鼻のらかん。苔や地衣類はかれらの表情を変えてしまう。 もとの顔がどんなだったか判らないひともいて、摩訶不思議な空気で立っている。 石にも風化はある。新たな剥落を三体見つけた。 珍しい笑顔のこのひとも左頬が削げ落ちている。 柔らかい石質のかれらもまた雨風に破れやすい。
(五月十五日の記録) 「加西の『隠れキリシタン』考察」という講演会があったが、体調万全でないので、終了後の石仏見学だけ合流した。講演会は七十人ほどの参加があったという。そのうち二十人余が羅漢寺を訪れて、境内はいつになく賑やか。雨の後で石仏はみなきれいで明るく見える。 この写真の左のひとは金槌と樫の葉、右のひとは釘と海綿を手にしている、共にキリストの受難具である……という話。他にも、鉈や槍、棕櫚(ヘッダ画像)やクローバーの葉などを持つ石仏がある由。 この人が手にしているのは
雨の降る前に羅漢寺へ。空は全面雲に覆われて、光の一点だに射さない。 けれどこういう日には、翳りある表情で、曰く言い難く羅漢は佇む。 境内の桜はもう散ってしまったが、白椿、肥後椿が咲き残っている。肥後椿は大輪で羅漢の掌よりも大きい。 眉間にウメゴケが生えて、眉と鼻とで十字架を描いたように見える。キリシタン異形仏との説もあるから、こういう案配もおもしろい。 このひとにも妙な苔が頭部に生じて、なんとも言えない髪型、なんとも言えない表情。 苔や地衣類はかれらに独特の意匠を与えて
草画帖 47号を公開しました。 紫雲英号です。 レンゲソウ、レンゲ、ゲンゲともいいます。 新美南吉の詠った、 「のらは/いちめん/れんげそう」の懐かしい風景。 ゲンゲの蜜、 ゲンゲの花飾り。 昔は牛が放たれていて、暴れる仔牛もいました。 げ ん げ 畑 そ こ に も 三 鬼 呼 べ ば 来 る 橋本多佳子 頭 悪 き 日 や げ ん げ 田 に 牛 暴 れ 西東三鬼 俳句は「雲雀」「げんげ田」。 詩は「春宵」。 * 閲覧・ダウンロードは下記ページでどう
羅漢寺。3月11日。 薬師堂と枝垂れ紅梅。地面にはキジバト二羽。メジロ、ヒヨドリが椿の蜜を渡り、ジョウビタキが石仏の頭に乗る。 今日の合掌羅漢。後ろには「三界万霊塔」。 天災人災(地震・ウイルス・戦争)の犠牲者を哀悼し、平和を祈念する。 どこか異人風の羅漢。口が欠けても祈りはできる。言葉は胸でも呟ける。 合掌は世界共通形だ。 暗澹たる二十一世紀。人類はどこへ向かうのだろう、と思い煩う足元に緑がかった珍しい羽根。つれあいに見せるとアオバトだと同定。参道を巡ると何年振りか
草画帖 46号を発行しました。 夢号です。獏号との姉妹編。 ネム、オジギソウ、ユメミグサ(桜)、マツヨイグサなどの筆で。 明恵上人ほどではありませんが、 夢はこどもの頃から好きでした。 夜見る夢も、昼見る夢も。 夢側通行で生きてきたところもあります。 『夢線通信』『夢と天然』『夢側通行』、 こんな本たちも作ってきました。 俳句は「春雷」。 詩は「夢字」二篇。 * 閲覧・ダウンロードは下記ページでどうぞ。 草画帖 46 サイトのPDFは表示しにくい時があります。再
草画帖 x2号を発行しました。 箱入り合本(21〜40号)特典の獏号です。 磨り終えた固形墨で描いたものです。 昔、一頭の宋獏(乾漆像)と邂逅しました。 それ以来獏を追い続けています。 ・個人誌「貘座」 ・HP「貘の詩画館」(現・貘祭書屋) ・絵本「ばくの木」 ・Poetry Roman「獏の甘い夢」 獏には大きな夢を食べさせてもらったり、 一緒に大変な悪夢に見舞われたりもしました。 俳句は「桃の花」。 詩は「獏 2022」。 * 閲覧・ダウ
草画帖 45号を発行しました。 松の号です。 大王松の松葉と松毬で描いています。 松葉は珍しい三本葉で、25cm。若い木の葉は最大50cmもあるそうです。 松毬はまだ青い時期に嵐で落ちたもの。筆の穂の形のまま茶色に変色。 俳句は「冬深し」。 詩は「双子座1・2」。 * 閲覧・ダウンロードは下記ページでどうぞ。 草画帖 45 サイトのPDFは表示しにくい時があります。再読込しても表示しない場合はRomancer版をご覧ください。 草画帖 45 (Romancer
チャールズ・ミンガス(Charles Mingus) 絵・音座マリカ 文・泉井小太郎 Better Git It In Your Soulおまえのことを喋るんだ と あなたは言う 息をしているんならな でも ぼくは 喋りたくない さんざんな目に遭ってきたんだ 足弱のガキの頃から 足弱の老いぼれになるまで これ以上ぼくが ぼくであってたまるもんか そうさ 前を向いて いつも笑ってきて こころでも泣かなかった それがブルースだろ ぼくのことはどうでもいいが ぼくのソウルは
極寒の正月。鐘つきにも行かず、草舎に籠もっていた。 三日は青空が広がり、ようやく羅漢寺へ。 元日には雪に震えただろう石仏たち。この日は暖かく陽もふんだんに降る。参拝者もちらほらいて、のどかな初春の空気が漂っている。メジロが椿や侘助の蜜にうれしそうな声を零す。 小さならかんが持っているのは何の葉か。 隠れキリシタン研究家によると、このひとはミトラという帽子を被り、棕櫚の葉を捧げもっているらしい。実際は聖書に多く登場する棗椰子のこと。それを棕櫚と訳してきたそうだ。 ヨーダに