Exotics
Twitterのタイムラインに、パウル・クレーの「Exotics」という絵が流れてきた。1939年の作品。この中に北条石仏そっくりのひとが描かれている。
羅漢たちを簡素に描けば概ねこんなふうになる…そういった線で、ぼくなども手に覚えのあるライン、それがクレーの絵として現れたのだから驚いた。むろん、クレーが北条石仏を識っていたとは思えない。Exoticsと題してあっても、それは造形思考の旅の成果であるだろう。
それでもこの発見は嬉しかった。それで羅漢たちに逢いたくなって、寒波の来る前に訪ねた。
家を出る時は曇っていても、羅漢寺に来ると晴れていることが多い。と言っても山一つ越すわけではない。歩いて十分もかからない距離なのだけれど。
いつからかこのひとの前にヒイラギが生えて、この頃はいい案配に影が映る。境内あちこちの白実マンリョウは鳥が運んだらしいから、これも鳥が植えたものか。
ウメノキゴケの冠を戴いた羅漢。樹木も石仏もみな地衣類の意匠を尽されている。地衣類は大気汚染に弱いとか、空気がきれいな証しではある。
どこかで見かけたような懐かしい顔だ、クレーの画集にでもいそうなひとだ…と昔に感じた羅漢。いまではそんな羅漢がいっぱいいる。クレーの絵の人物がここに紛れていてももう驚かない。
日が差すと、ほんとうに華やぐものがある。石の心身にも温まるものがあるだろう。詩を書いて長く月光派の時代を過ごしたが、鳥や花や石に寄りそうと太陽がとてもありがたい。お日さま、お月さま…である。
Exotics
羅漢場にも、クレーの絵にも、風変わりなひとはたくさんいる。異人、奇人も多いだろう。ぼくの草画にもそういうひとが増えた。本来ひとの数だけ、異なもの、奇なものはある。
それを慈しむために、ぼくはここに足を運び、ぼくはぼく自身を生きているのだと思う。
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