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小泉八雲の生涯ー1

ギリシャ時代
 私は昭和生まれなので表題の明治の帰化人小泉八雲とは年代のずれはあるが生まれ育ったのが静岡県焼津市で小泉八雲とは子供時代から彼が晩年焼津で書かいた傑作といわれた数編の随筆を通して馴染みであった。


 ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲はギリシャ西部、イオニア海に浮かぶレフカダ島でアイルランド系イギリス人軍医チャールス・ブッシュ・ハーンを父にこの島に生にまれた。

チャールズは当時イギリス領だったこの島に軍医として駐在し、出会った島の名士の娘と恋におちたのだ。

土地の名士の娘である母はイオニア群島のひとつであるキティラ島で生まれたローザ・カチマチ。


アラブの血を引くギリシャ人の女性を母にギリシャの誇る美しい島の一つににうまれ、また『怪談』をはじめとした数多くの著作で日本人にも馴染み深いラフカディオ・ハーン―小泉八雲は世界の三分の二を回った末、運命に導かれるように当時の神秘な国にして東洋の島国日本にたどり着いたのだ。


しかし、この美しい島の名から彼の名が取られたということを文学ファンの間では意外と知られていないのです。

ある年の夏、私はこの島を訪れた。


 なぜこの島といえば、当時彼と多少の交渉があった哲学者西田幾多郎による「「ヘルン氏(ハーン)は万象の背後に心霊の活動を見るといふ様な一種深い神秘思想を抱いた文学者であつた。

彼は我々の単純なる感覚や感情の奥に過去幾千年来の生の脈搏を感じたのみならず、肉体的表現の一々の上にも祖先以来幾世の霊の活動を見た。(中略)氏の眼には、この世界は固定せる物体の世界ではない、過去の過去から未来の未来に亙る霊的進化の世界である。」と述べ、ハーンの神秘主義を指摘している。


私は哲学の専門家ではないが明治の開花期、東洋と西洋の知的交流をした西田の著作に影響を受けた一人として八雲の神秘主義の根底は何であったのかその幼児期、すなわち彼がどのような環境下で幼児期を過ごしてきたのかに関心を持ったからである。

成田から直行便でギリシャの地に立ちました。レフカダ島には橋が架かり陸路車で行くことができました。


イタリア、フランスなどのヨーロッパの国々の源流をたどると4000年の歴史を誇るギリシャの地に至ります。

ギリシャには、今も生き生きと語り継がれる神話の世界や、厳しい自然の中で原初のキリスト教精神を受け継ぐ正教の祈りの声、碧いエーゲ海イオニア海に輝く白い家並み、そして明るく陽気な人々を抱く表情豊かな国でした。

日本にも日本神話があり、八百万の神という信仰概念がある。様々な自然の中におわす神々に守られているという信仰概念です。

ギリシャ神話では天地創造以前は混沌としたカオスで、そこから地母神・ガイアや冥闇の神・タルタロス、夜の神・ニュクス、エーテルの語源アイテールなど原初の神々が次々に生まれた事で世界の礎が形成されていくいったように日本神話に似通った神話伝説を持つ国であることから幼児といえこのような風土で誕生した八雲(ハーン)には神秘主義的な傾向が心の基層に芽生えていたのは当然であろう。

 八雲は、出生名をパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)といった。パトリックは典型的なアイルランド名です。一方、ミドルネームの「ラフカディオ」は生誕地のレフカダにちなんだ名前です。


だが、後半生ではパトリックを省略し、「ラフカディオ・ハーン」と名乗るようになる。なぜ彼はアイデンティティのひとつを消し去ってしまったのか。そして、どうして日本に帰化するという道を選んだのだろうか。その謎を解くにはその人生の道行きを知らねばならないのだが、この疑問解消には現地に立ちその空気を知るのが一番であろう。そんな思いの今回の旅のであったのです。

アイルランド時代へ

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