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アインシュタインと宮澤賢治 2

宮澤賢治は生涯に於いて熱心な法華経の信奉者であった。その道を極め真理を求め行動する人を行者というが当に宮澤賢二は法華経の行者であった。

宮澤賢治が死 ぬ2年 前 に書 いた 「アメニモマケズ」 の最後 の表現 では彼 の切 々な宗教的な誓願が充分感 じられる。

そ こに現れ た誓願 は法華経不軽菩薩品の中 の常不軽菩薩 の行道 を意味 してい る。

みんなに デ クノボーよばれ ほ められもせず 苦 にもされず そういうものに わたしはなりたい」 ここでのデ クノボーが常不軽菩薩 の行道 の誓願である。

表面的なテクノボーの意味は、ボーッとしてて役に立たない人というのだろが常不軽菩薩を現実 の人間 活 動 の比喩としたのだろう。

常不軽菩薩とは法華経第20「常不軽菩薩品」に出てくる菩薩のことである。
賢治がこの菩薩にいかに関心をよせていたかわかる。この菩薩こそ「雨にも負けず」のデクノボーの原型である。

常不軽菩薩は、僧も世俗の人もみんなことごとく礼拝して「私は深くあなた達を敬い、あえて軽んじるようなことはしません。なぜかというと、あなた達はみんな菩薩の道を行って、まさにみ仏になることができるからです。」と言った。
 
すると皆は怒り出し、杖で追い払い、瓦や石をもって殴りかかってきた。
 菩薩はその場を逃げて、遠くから大声で「私は深くあなた達を敬い、あえて軽んじません。あなた達はみんな仏になるでしょう」と叫んだというのである。

永遠 な生命 の脈動 が感 じられ るそ のよ うな菩薩行 は賢治 に深 く影響 を与えた。

彼 の四次元の世界 は銀河 を包む心象宇宙 であって彼 の芸術論 におけ る主 な精神 は科学 の原理と信仰 を結 びつ けた。

生活 の芸術化 を通 じて彼の独 自的な芸術観 がみ られ る。
塵点劫 とい う特 異 な時間意識 が理解できれば賢治 と彼 のすべ ての作 品がわか りやすく理解で きるだろ う。

はかりきれない長い時間を法華経では塵点劫という。
賢治 は不滅 の四次元 の芸術 は可能 であ る と考 えた。そ れが塵 点劫 と言 う時間 の軸で それは宗教的かっ生命 的な時間意識であるが、こ れは仏教 の時間観 念で あって、無始 無終の久遠 の時間 の流れ を表現 してい る.

賢治文学 に現 れてい る法華 思想 は旅 人のイ メー ジ"の 具現 で ある と言 えると同 時にその よ うな旅 人 のイメージ"は 法華経 の信行者 が求道的 な誓願 の実践 のために絶 え間 な く努力 す る菩薩行道の表現でなのである。賢治は"塵 点劫 の旅 人 のイ メージ"を 持って菩薩道 の現実的実践 の永 遠性 を提 示 した と考 え られ るので ある。

宮澤賢治は「相対性理論」を知っていただろう。「四次元」という言葉が彼の「農民芸術概論綱要」などに見出せる。

そればかりではなく、彼の詩や童話、とりわけ「銀河鉄道の夜」の時間と空間が溶け合った記述にそれを感じる。

アインシュタインの物理学は、神への信仰を重ね合わせたものという。彼の科学知識は彼の信仰告白に他ならないし、神は世界をきっとこう創造したであろうということを数学的に演繹したにすぎないといわれる。

同様に、賢治の詩と童話は彼の神、彼の場合、仏は世界をこう造ったであろうという信念から出来ているのだ。

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