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自然界の真理と哲学性

論理に数学を持ち込んだライプニッツ

17世紀に登場したライプニッツは、自然に起きた出来事に記号を当てはめて数学的計算を行えばその現象を説明でき、重要な概念を生み出せると考えました。これが「普遍記号学」と呼ばれるもので、論理の中に数学的要素が隠れていることを示す、ひとつの先駆けとなりました。

三角形の内角の和は180度、これは誰もが知る自然に内在する真理だ。
この規則正しく内在する真理こそ神の実在となぞる人が多くいるのもうなずける。

私たちは自分の意思に従って生きているように見えるが、同時に自然が内蔵する真理によって活かされているのだ。

もし、この真理が働かなければ私達は生きていけない。

無論私達も自然の一部であり、私達の中にも自然の真理が存在し、その真理が働かなければ生きていかれないことも事実なのだ。
そのようなものに熱に関するエントロピという真理がある。その熱力学の根幹をなす公理なのだ。

自然神学とは言う学問がある。自然の観察に基づいて神を学ぶことです。それは「超自然的」又は特別な啓示による神学と違います。
自然をありのままに観察する知的な探求なのです。自然神学は、神を知る方法として人間の思想 や理性が含まれます。

桜の花の構造と作用を調べることで、桜の花を造った神はなんと想像力があり賢いと思うことが自然神学です。

神は愛があり、私はその愛に包まれていると感じたなら、これは啓示された神学です。

神学の分野が“自然”と“啓示”神学に分かれたその根源はカトリックの神学者トーマス.アクィナス(紀元1224-1274)著書にあるそうです。

アリストテレスの論理 をクリスチャンの信仰に適用しようと試みて、アクイナスは、自然のみから神についてのある真理を理解することができると人間の能力を強調しました。

しかしながらアクイナスは、教会が教えているように、人間の理性は神の啓示には二の次であると主張しました。

アクィナスは“自然の理性”で学べることと教義的信条との区別に気を配りました。
自然から学んだ真理を“信仰箇条の前置き”と呼びました。つまり、理性は信仰に導くかもしれないが信仰と交換することはできないということです。

先に触れたエントロピーという真理に戻ります。世の中のありようは、現象化されたものと熱エネルギーも含まれるエネルギーとの等価の世界です。

人は死ぬまでエネルギーを消費しながら正のエントリピーを増大させていきます。一度使われたエネルギーは二度と再生されません。細胞は秩序を徐々に失い乱雑化します。それを補うため環境から食料として負のエントロピーを補充しなければなりません。それが追い付かない時、生命は死を迎えます。

病気の症状とは、部分的に高くなったエントロピーを排出する反応です。捨てきれなくて体内に蓄積してしまったエントロピーを排出)しているのが炎症反応だといいます。

今問題となっているコロナのような感染症は、細菌が感染することから起こるのではなく、宿主(人間)が捨てきれなかった正のエントロピーを排出するために、共生関係にある細菌の増殖が起こった結果ではないだろうかともいわれます。

私たちは物質的にもエネルギー的にも、外部環境とのつながりが不可欠であります。環境から何を体内に取り入れるかよりも、如何にエントロピーをうまく排出するかが重要となります。このようなシステムや、やり取りはエントロピーの増減として微分方程式を使えば計算できます。正に数学的世界こそが真理と言えるのでしょうが、それが神ともいえるのでしょう。




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