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休校中チャレンジ~長唄三味線~8日目&「子育てwith長唄」回顧録

2度目の大舞台

今日は2015年、息子が5才の頃の舞台のお話を致します。
2回目になるゆかた会に選んだ曲は「供奴」。まだ5才の息子には長くて難しい曲です。
この年の11月末に私が所属する「杵勝会」の定期演奏会が博多座で開催され、そこで子どもたちが大人数で合同発表する演目が「供奴」なのです。
お家元が「座っているだけでもいいから出てみたら(笑)」とお声がけ下さり、大勢で唄うのだったら何とかなるかな、博多座の舞台に立てるなんて貴重な事だしと、出演を申し込みました。

そんな経緯で夏のゆかた会と、博多座の1週間前に11月に先斗町歌舞練場で開催される杵屋東成師匠(私の叔父・息子にとって大伯父)の演奏会である「東成會」は、「供奴」に決まったのでした。

その東成會で、私の弟(当時は杵屋禄丈)が2代目杵屋禄三(東成師匠の前名)を襲名しました。襲名に関しては、先日の私の時のもあわせていつか書ければと思います。この時の写真は、記事の最後におまけで載せています。

「供奴」お稽古開始

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お稽古開始。この頃の娘はまだ2歳なので、「おけいこ??」状態。

長唄はその名の通り、曲が長いのです。短い曲もありますが、だいたいは10分を超える曲ばかり。20分、30分なんて普通にあります。長いものになれば1時間超えます。そこで、“抜き差し”と言って曲の箇所を抜粋し編曲し、曲を短くすることが良くあります。

「供奴」は13分ほどの曲ですが、それを半分ほどの長さに抜き差ししました。それでも5歳の子供にとってはまだ長いです。しかも、歌詞は歌謡曲のように現代語ではありません。大人が聞いても分からないような、難しい言葉で書かれています。

「供奴」

仕て来いな(してこいな) やっちゃ仕て来い今夜の御供 ちっと後れて出かけたが 足の早いに 我が折れ田圃(たんぼ)は近道 見はぐるまいぞよ 合点(がってん)だ
振って消しゃるな台提灯に 御定紋付でっかりと
ふくれた紺のだいなしは 伊達に着なしたやっこらさ
武家の気質や奉公根性 やれさていっかな出しゃしょない
ひびやあかぎれかかとや脛に 富士の雪程あるとても
何時限らぬ お使ひは かかさぬ正直 正道者よ
脇よれ 頼むぞ 脇よれと 急ぎ廓へ 一目散 息を切ってぞ駆け付ける
おんらが旦那はな 廓一番隠れないない
丹前好み 華奢に召したる 腰巻羽織 きりりとしゃんと しゃんときりりと
高股立の袴つき 後に下郎がお草履取って それさ これさ
小気味よいよい六法振が 浪花師匠のその風俗に 似たか 似たぞ 似ましたり
さてさてな 寛濶華麗(かんたつかれい)な出で立ち
おはもじながらさる方へ はの字となの字を謎かけて ほどかせたさの八重一重 解けてうれしき下ぶしに アアままよ 仇名がどう立たうと
人の噂も七十五日 てんとたまらぬ 露のけはひの初桜
見染め見染めて 目が覚めた 醒めた夕べの拳酒(けんざけ)に ついついついついさされた杯は
りうちえいぱまでんす くわいと云うて払った
貼った肩癖ちりちり身柱(ちりけ)亥の眼灸(やいと)がくっきりと
ねぢ切からげた千鳥足 手ッ首掌しっかと握った
石突 こりゃこりゃこりゃこりゃ成駒 やっとこよんやさ
面白や 浮かれ拍子に乗りが来て ひょっくり旦那に捨てられた
うろたへ眼で提灯を つけたり消したり灯したり 揚屋が門(かど)を行き過ぎる

読んでもらったら分かったと思いますが、難しいですよね。
ですので、夏のゆかた会までには無理だろうと、まずは抜き差しされたものよりも短くした、超短縮版でゆかた会に出演するつもりでお稽古を始めました。

幼稚園児へのお稽古

まだ幼稚園で、言葉を読むものままならない息子。当然、唄本なんて読めません。なので、ぜんぶ口伝です。これが本当に大変でした。何度やっても覚えれないし、違う風に覚えてしまったり。

泣かせた日も拗ねらせた日もありました。ご褒美で釣ったり(当時のブームはTV戦隊モノでした)、お稽古カレンダーを作って毎回シールを貼らせたり、一日のタイムスケジュールを厳守したり。一日1回のお稽古ではなく朝と夕方の2回したり、稽古をこなすのにはまだ親の頑張りの方が絶対の時期でした。

しかし、子供の頭は柔らかい!少しずつ吸収していき、ゆかた会までには当初予定していた超短縮版なんてすぐに覚えてしまい、結局全部覚えてしましました。

初めてお稽古で最後まで唄えた時、三味線を弾きながら涙が出てきました。

これは、私の一生の思い出です。

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2回目のゆかた会

夏のゆかた会の時はまだ4歳だった息子。4歳でよく覚えました。本当に。
ゆかた会ではミスもなく、子供らしく唄ってくれました。これで11月の東成會の練習は出来たからね。

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お稽古から得たもの。そして大舞台へ

親子共々お稽古に打ち込めたのは、発表する場があるというのは本当に幸せな事だと、私自身が身に染みて感じているからです。ゆかた会や演奏会という多くの人々に支えられて開催し、日頃の精進の成果を披露する舞台は尊いものだと、子どもに伝えたい一心でした。

演奏会で様々な人が息子の出演を応援と祝福をして下さったのは、今でも励みになる思い出です。暖かく見守って下さった方々のお陰で、息子もよく分からないままに「お舞台は素晴らしいもの」という事だけは体得していったようでした。

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東成會では前回と同じく父と私が三味線を弾きました。
父も孫が唄うので緊張してたのか出だしで間違い、息子は息子で歌詞を飛ばして唄い出すなど、舞台では色んな事がおこりますね。

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終演後に幼稚園で仲良しのお友達に会えた時、やっと普段の笑顔が出ました。息子にとっては歌舞練場なんて超絶アウェイ空間ですものね…。

ゆかた会と東成会を無事に終えて、子どもに長唄を教える事に、大いに手応えを感じることが出来ました。
しかし喜びもつかの間、努力に結果が伴うのだ、為せば成るのだという思いをへし折る事態が、それからたった1週間後の博多座で起こる事に。
名付けて「絶望の博多座」。そのお話はまた明日に…。

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次世代への継承という意味だけでなく、お稽古を通しての子育て、父と子の時間。私の想いなどをお伝えし、感じて頂ければ幸いです。またアナログな長唄の世界、ネット配信など新たな試みに挑戦し、長唄の魅力を広めていきたいと考えています。宜しくお願い致します。